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『僕の野球人生』vol.11 青島 秀多 内野手

先日より4年生特集、『僕の野球人生』が始まりました。
この企画では、ラストシーズンを迎えた4年生に1人ずつ、今までの野球人生を振り返ってもらいます。

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「僕の野球人生」 vol.11 青島 秀多 内野手(4年/学芸大附)

僕の野球人生青島 2-2 3-2

野球を始めて15年になり、今までの人生の半分以上をこのスポーツと共に過ごしてきました。そんな野球人生もあと1ヶ月で幕を閉じようとしています。この15年間で経験したことは将来の自分に大きく影響を与え、折に触れて多くの思い出が蘇ってくることでしょう。そんな自分にとってかけがえのない時間を振り返る、大切な機会をくださったこの企画に感謝いたします。長い文章となってしまい恐縮ですが、最後までお読みいただけると幸いです。

 

野球を始めたのは小学校3年生の頃です。親友に誘われて地元の野球チームに入団しました。それまで父と兄と、たまに母と多摩川の河川敷でキャッチボールをしていたこともあり、入団早々試合に出させてもらえました。初打席で三塁打を打ったのは今でも覚えています。両親の喜ぶ声がビデオに録音されていて、その声が嬉しくて動画を何度も再生していました。少ない人数ながらも小学校6年生の春の市大会で優勝し、都大会に出場するなど、充実した野球人生を過ごしていたと思います。

 

受験して入った中学でも野球部に入りましたが、全体練が週に2回、夏休みの活動も月に4日間のゆるい部活でした。それに加え勉強自体が忙しい中学であったため、中学は勉強ばかりしていました。この頃はあまりちゃんと野球をしていた記憶がありません。一方野球を犠牲にしたおかげか成績は良好で、東大を意識したのはこの頃からだったと思います。

 

内部進学して進んだ高校こそは部活も勉強も頑張るかと意気込み、硬式野球部に入部しました。当時のキャプテン木戸さん(R5卒)の代から、高校野球に対する取り組むべき姿勢や心構えを一から叩き込まれ、激ゆる中学出身の自分を鍛え上げていただきました。自分たちの代ではキャプテンを務め、同期に恵まれたおかげで勝てる回数も増え、秋春とかなりの成長を感じて夏に臨みました。が、感じた成長は弱小校としての域を越えるものではなく、結果は初戦敗退、9回に逆転負けでした。負けに対する悔しさもありましたが、好きだった同期ともう野球ができない、そのことがたまらなく悲しかった記憶があります。個人的にはもう野球に満足していたので、『次は東大野球部だな』と木戸さんが声をかけてくれたものの、正直大きなモチベーションとはならず、現役では東大に不合格、諦めて慶應義塾大学の理工学部に進学することにしました。

 

慶應に入ってから、高校同期の1人が理工学部の野球部(通称リコタイ)に所属すると聞いて自分もそこに入りました。今振り返ると、ここが野球人生の転換点だったと思います。リコタイには自分より野球が上手い人ばかりでした。後のプロ注目選手や甲子園出場校出身の選手もいて、今まで見たこともないプレーのレベルに圧倒されました。この時、自分は全然野球をやり切れていなかったのだなと痛感しました。リコタイの活動は楽しかったですが、もっと野球自体上手くなれるんじゃないかと思い、練習日数が多い慶應の軟式野球部に体験練習に行ってみたこともありました。しかし部に理工学部生がほとんどおらず、授業との両立が不安で断念。他にも野球じゃなくても何か打ち込めるものがあればいいか、と陸上部の練習に参加するも熱中症で初日で挫折。モヤモヤとした日々を過ごしていました。

 

そんな夏休みのある日、経緯は覚えていませんが、父親と慶應対東大のリーグ戦を見に行きました。結果は4対5で東大の負けでした。しかし最後まで互角の争いをする東大、当時理科二類2年の中井さん(R5卒)のタイムリーヒットを見て、自分もこの神宮の地で挑戦してみたいという思いが抑えられなくなっていました。両親や兄にも背中を押され、9月から無謀にも仮面浪人を決意しました。大学の単位をとりつつも、もうこれ以上勉強できないというレベルで勉強し、たまに息抜きで先輩たちの『ぼくじん』を読んでモチベーションを上げ、なんとか合格しました。慶應で得た50単位ほどを捨てて東大に入学しました。

 

そして迷うことなく野球部に入部しました。一年の春からフレッシュのベンチに入れてもらい、リコタイのおかげで浪人生の割に動けてるキャラでいいスタートを切れていたと思います。ただボロはすぐに出て、再現性や確実性がないプレーの連続でB戦にすら呼ばれない日や、ベンチにいるのに全く試合に出してくれない日が続き、野手として自分の使いずらさを感じた下級生時代でした。特に投げることは本当に下手でした。コントロールが悪いのは当たり前で、そのうえ野手のくせにキャッチボールや守備練習をしたら、高校時代には感じることのなかった肩肘の痛みに襲われ、まともに投げれない状態でした。再現性高く上手く投げるために多くの方に指導を頂き、自分でも情報を集め、気づけば自主練の時間の多くを投げることに割くようになっていました。


なんとか2年の春でフレッシュのスタメンを勝ち取りましたが、相変わらず送球のコンプレックスは消えることはありませんでした。打撃も迷走し始め、全てが中途半端になりそうな予感がし、うだつの上がらないこの状態を変えなければいけない、その思いで2年の秋に大きな決断をします。投手転向です。高校時代も投手をやっていたこと、2学年含めて投手が少なかったこともあり、転向はそこまで悪くないだろうとは思っていましたが、とにかく苦手なことに正面から向き合いたい、その一心でした。かなり迷いましたが、井手峻前監督に相談し、『野球で生計を立てているわけではないのだから、やってみたいことにどんどん挑戦したらいい』と言っていただき、投手になる決断をし、やるからにはリーグ戦で投げることを目指して色々なことを試してきました。

 

しかし思惑とは裏腹に、投手となってからは全く結果を出せませんでした。投げることが得意な人たちの中で、苦手を克服したくてやっているのだからそらそうだ、という感じですが。2年の冬に行った沖縄合宿では興南高校相手にボコボコにされ、自分を含め3人だけがその後の鹿児島合宿のメンバーから外されました。その日の炎上を皮切りに、投手としての可能性を示す投球はその後一回もできませんでした。ある日には勝っていた試合にクローザーで登板し1回6失点。試合を台無しにし、夏の盛岡合宿では先発で1アウトも取れず7失点しました。今でこそ、防御率が正の無限大に発散していると同期にいじられ笑い話になっていますが、3年の夏でそろそろ結果を残さなければいけなかった自分にはあまりにも精神的ダメージが大きかった記憶があります。それ以外の記憶はありません。とにかく心が折れる経験ばかりでした。

 

内野手時代に共に頑張っていた同期は続々とAチーム入り、リーグ戦デビュー、主力として結果を残す傍ら、一年続けても立ち位置としてはBの最下位にいた自分は後悔して止みませんでした。

『挑戦したのはお前だ。これは全て自業自得だ。』

当然かもしれませんが、自分に対して必要以上に厳しくしてしまう内なる声に苦しみ、周りにもあまり相談できない時もありました。

 

そんな自分を救ってくれたのは同期の仲間達でした。当時怪我ではありましたが、同じように苦しんでいた薫平(4年/投手/堀川)にご飯に誘ってもらい、お互いの本音を打ち明けあいました。それからもお互い相談したり相談されたり。もちろん薫平としては不本意だったかもしれませんが、Bで一緒に練習してくれて、また話を聞いてくれて良かったと何度思ったかわかりません。また、試合で炎上し、誰もが気まずい空気を感じる時でも、寄り添って励ましてくれた颯真(4年/内野手/彦根東)真之介(4年/内野手/小山台)、改善点を一緒に考えてくれた平田(4年/投手/都立西)涼ちゃん(府川捕手/4年/西大和学園)にも感謝してもしきれません。同期の存在のありがたみを一番感じた時でした。

 

3年の秋になり、学生コーチを新たに選出する話になりました。めぼしい結果を残していない自分は候補に選ばれるだろうなと思いました。ここでようやく自分のことを客観視した気がします。当初憧れたリーグ戦の舞台を経験することなく終わりたくないと思う一方、好きなことをやらせてもらったのだから、残りはチームに貢献することに徹した方がいいのでは、と悩んでいました。そこで当時学生コーチだった秀島さん(R6卒)にご飯に連れて行ってもらい、『神宮への憧れがある以上、可能性のある道で選手を続けた方がいい。チームのためと言って本当に達成したいことを押し殺す必要はない。選手としてもチームに貢献できることはたくさんある。』と言っていただき、もう一度自分を奮い立たせ、まだ可能性がありそうな野手に戻ってもがくことに決めました。

 

この時、学生コーチになると決めてくれた大巻(4年/学生コーチ/花巻東)間島(4年/学生コーチ/八王子東)には本当に感謝しかありません。また野手に戻っても暖かく迎えてくれた当時のBの4年生の先輩方、一緒に頑張りましょうと言ってくれた晃治(3年/内野手/ラ・サール)臼井(3年/内野手/静岡)にも本当に感謝しています。恩返しのためにも、絶対にリーグ戦に出て勝利に貢献すると誓うと共に、周りを見渡し、選手としてチームを支えられる行動をしようと心がけました。

 

投手としてやっていた分のブランクを埋めようと、普段の練習に加え、冬の長期オフも大好きな箱根駅伝を見ている時間以外はほぼ休まず練習しました。高橋佑太郎さん(R4卒)に何度か打撃を指導してもらったことや、開智(4年/内野手/開成)の通称バッティング内部指導のおかげもあり、あまり得意でなかった打撃も少々改善され、守備は投手時代のおかげで毎日投げても肩肘の痛みはこなくなり、元々得意だった走塁も武器に春のオープン戦で少し結果を残せるようになっていました。

 

そして幸運も重なり春の早稲田戦で代走として2試合出場することができました。ずっと憧れた神宮の舞台、今までに感じたことのないものすごい歓声の中プレーしたあの時間は一生忘れることはできません。代走としての出番が終わり、ベンチに戻ろうとした時、スタンドで父親が笑顔で拍手している姿が目に入り、今まで散々心配をかけてしまっていただけに泣きそうになってしまいました。


また、1年の頃から切磋琢磨してきた真之介と一緒に神宮に立てたことが自分にとっては本当に嬉しくて、僕の野球人生の写真は彼と一緒に受けたシートノックの写真にしています。チームはボロ負けで悔しいはずなのに、あの時だけは個人的な達成感が上回ってしまいました。

 

ただ、その後もチームは敗北の連続でした。リーグ戦に出てから、やはりチームが勝たないと何も面白くないと感じるようになりました。とにかくチームの勝利に貢献できるよう、走塁長として勝つための走塁メニューを考え、夏の暑さにやられつつも自ら実践してきました。

 

春以降、個人としてはオープン戦で上手く結果を残せず、とうとう練習内容も制限され、現在はかなり心身に応える日々を過ごしています。しかし、同期の意地、特に谷村(4年/内野手/湘南)の鬼気迫る努力や、選手を諦め献身的にサポートしてくれる同期を見て、自分がへこたれてはいけないと思いなんとかここまで頑張ってこれました。今の苦しみは投手時代に比べたら全然マシですし、様々なポジション変更を経ても今こうやってリーグ戦に向かって選手として練習させてもらえているだけ、本当に幸せなことだと思います。
そんなこんなでもうすぐ因縁の慶應戦が始まります。残りの日々を大切に、残りのカードを全部勝ちきって、選手として最後まで貢献できるように野球人生を全うしたいと思います。

 

ここまでが僕の野球人生です。特に大学時代はうまくいったことの方が少ないと思います。ですが東大野球部に入らなきゃ良かったと思うことは絶対ないですし、浪人時代の自分がこの『ぼくじん』を読んでもきっとワクワクして野球部に入ってると思います。結局自分が大学生活に求めていたことは、野球というスポーツを通じて、数えきれない思い出と大切な仲間を作って次のステージに羽ばたいていく、このことだったのかなぁと思います。

 

ここまで長々と書いてしまいました。最後になりますがこの場を借りて、お世話になった人へ感謝を伝えさせてください。

 

両親へ

小学校3年から今まで、練習試合も公式戦もほぼ全部見に来てくれました。およそ15年分の休日を僕の試合観戦に使ってくれました。平日もお弁当を作ってくれたり洗濯をしてくれたり、遅くまで打撃練習に付き合ってくれたり、多くの愛情と時間を僕に注いでくれました。辛くてたまらない時、しんどくて感情的になる時も、いつも僕の努力を肯定してくれて、励ましてくれました。ここまでの野球人生を一緒に駆け抜けてくれて本当にありがとう。秀多という名前に恥じないように、多くのことに秀でていられるように、勉強も野球も頑張ってこれました。結果的にどうかは自分では判断しかねますが、それを目指した過程はかけがえのないものです。ありがとうという言葉で済ませていいかわかりません。これからもしっかり恩返しできるよう頑張ります。

 

小中高、リコタイの野球部同期へ

野球をどのステージでもどんな形でも続けたいと思えたのは、みんなが本当に素晴らしい人で、野球を通じて出会える人とは絶対仲良くなれると確信していたからだと思います。本当にありがとう。

 

大学同期のみんなへ

最高の4年間を過ごせたのは間違いなくみんなのおかげです。寝食まで共にし、辛いことも楽しいことも全部みんなと経験してきました。こんなに密度の濃く、最高の仲間を持てて本当に幸せです。引退してもみんなで会おうね。

 

関わった全ての指導者の方へ

自分に野球を教えていただきありがとうございました。のびのびと野球をすることができ、野球自体を嫌いになることがなく野球人生を終わらせることができました。どういう形になるかはわかりませんが、この経験をいつかどこかで次の世代に還元したいと思います。

 

東大野球部の先輩方へ

困った時や聞きたいことがあったらいつも丁寧に教えていただき本当に感謝しております。野球は努力で上手くなれる、四年間最後の最後まで成長できる、そのことを毎年のように示していただき、本当に勇気付けられました。自分がようやくリーグ戦に出ることができた時、秀島さんや佑太郎さんからお祝いのLINEが来て胸が熱くなりました。先輩方のおかげで今の自分があります。本当にありがとうございました。

 

後輩達へ

頼り甲斐がある本当に優秀な後輩達に恵まれたと思います。一緒に野球をしてくれて本当にありがとう。走塁しかしない、精神的にしんどい練習が続いた時、みんなの励ましのおかげでなんとか自分を奮い立たせることができた時もありました。他人思いで優しいみんなが本当に大好きです。

 

多くの人に支えられ、大切な仲間によって彩られた野球人生は本当に豊かで一生の思い出です。ありがとうございました!

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次回は10/2(水)、谷村雄太内野手を予定しております。

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