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『僕の野球人生』vol.31 藤田 峻也 主将

4年生特集、『僕の野球人生』では、ラストシーズンを迎えた4年生に1人ずつ、今までの野球人生を振り返ってもらいます。

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「僕の野球人生」vol.31 藤田 峻也 主将(4年/内野手/岡山大安寺)

僕の野球人生藤田 2-2 3-2

野球部への入部を決めていなかった1年春に見にいった開幕戦。

「この舞台で野球できたら幸せだろうな。」強い憧れと決意が入部を後押ししてくれました。今では東大野球部で野球ができて心の底から良かったと言い切れます。

僕が野球に出会ったのは小学校1年生の時です。始めた理由は野球が好きだったからではなく、当時外で遊ぶことがあまり好きではなかった僕を父親が心配して、何かスポーツをやらせたかったからです。僕の小学校にはサッカーチームとソフトボールチームの二つがあり、両方の見学に行きました。小学校1年生から見た上級生は非常に大きく、怖かったのですが、ソフトボールチームの先輩たちが非常に優しく迎えてくれたことが嬉しく、入団しました。入団当初は体力も根性もなく、泣きながら練習していたのを覚えています。1、2年生の頃は「ちびっ子」と呼ばれる下級生練習に励みました。その中で徐々にボールがバットの芯に当たる感触や、内野手としてショートバウンドをグローブに収める感触がたまらなく最高だと感じ、野球にのめり込んでいきました。全体練習は土日しかありませんでしたが、平日も毎朝父親と僕と弟の3人で早起きしてトスバッティングを繰り返していました。上級生に上がると練習の雰囲気は非常に厳しく、一度エラーをしただけでとんでもなく怒られるような緊張感がありました。それでも熱意ある指導者の方々のおかげで大きな成長を遂げることができました。厳しい練習を乗り越えた後の試合はとても楽しく、6年生の大会では半分以上優勝することができ、いい思いをしました。

受験して入学した中学校でも迷わず軟式野球部に入部しました。この三年間は人生観を大きく変えてくれた三年間でした。特に顧問である松井先生からは多くのことを教わりました。凡事徹底ができる選手になること、野球と勉強に対して互いを言い訳にせず取り組むこと、最後は気持ちで勝負するということ。進学校にもかかわらず練習はハードで、「山」や「階段」やノーエラーノック、素振り2000本など思い出したくないような練習ばかりでした。しかし、県大会出場を本気で目指し、みんなが高い熱量で練習する三年間は非常に充実していました。最後の一年間は投手に挑戦し、夏の大会ではエースナンバーもつけることができました。地区予選の初戦を完封勝ちし、2回戦は終盤まで1−1の接戦でした。しかし、連投した僕が二死満塁で相手打者に投じた球は甘く入り、右翼手の頭を超えていきました。結局、2回戦で敗れ、県大会出場の夢は潰えました。試合後は責任を感じ、かつてないほど泣きじゃくりました。と同時に、この悔しさは高校野球で絶対やり返すと誓いました。

誓いとは裏腹に高校での三年間は苦しいことばかりでした。まず、中学校で8人いた同期が2人減りました。一緒に高校野球をやろうと必死に説得しましたが、彼らは野球ではない他の道に向かって歩み始めました。この出来事は中学校と同じメンバーで高校でも野球を続けたかった私にとっては非常にショックな出来事でした。その後は高校1年生の秋季大会でスタメンの座を勝ち取ったはいいものの、初戦で1試合5エラー(6エラーかもしれません)を喫しました。次の試合でも僕のトンネルで失点し、負けました。1個上の代は本気で選抜出場できると思っていたので、先輩たちの夢を潰してしまい、申し訳なさから野球をやるのが辛くなりました。自分が試合に出てはダメだと思いました。それでも慰めてくださった先輩のおかげでなんとか前を向いて頑張ることができました。

最高学年になるとさらに苦難の連続でした。中学校の時と同じように投手に軸を置いて練習しましたが、一向に思うように行かず、中学校の時よりもコントロールが悪くなっているようにも感じました。チームも少ない部員数でなんとか勝利を目指して頑張りましたが、秋季大会は全敗でした。練習試合でもほとんど勝てず、チームのまとまりもなかったのですが、この時期は何をしたら勝てるようになるのか、どうしたら自分が上手くなるのかが全く分かりませんでした。その後、新型コロナの感染拡大によって3ヶ月間練習ができなくなり、あっという間に迎えた最後の夏の大会では初戦でコールド負けしました。それまでの人生で努力を継続すれば必ず結果がついてくると考えていた僕の考えはここで完全にへし折られました。

勉強面では高校1年生の頃から東大を目指して、部活と並行して取り組んでいました。僕は東大野球部に多くいる、高校時代から東大野球部を目指していた人では全くなく、将来やりたいことも特に決まってないからとにかく日本で一番の大学に行って視野を広げようと思っていたのが東大に行こうと思った理由です。勉強の方は割と安定していい成績をとれており、コロナ休校の期間のおかげもあって現役で合格することができました。

大学入学が決まってからは大学で何をしようか考える期間が続きました。野球を続けるか、それとも野球とは全く別のことを始めるか。どちらの選択肢も決定打がなく、4月に突入しました。とりあえず野球部のリーグ戦もはじまるみたいだし開幕戦を見にいくかという軽い思いから1人で神宮球場に足を運びました。それが冒頭に書いた東大野球部との出会いです。初めて入る神宮球場。青く生えそろった人工芝。高校野球の地方大会では考えられないほどの観客。足を絡めた超積極的な攻撃をする東大。後半怒涛の追い上げに湧く応援席。ギリギリのところで惜敗する東大。僕の目にはその全てが魅力的に映りました。

次の日にはマネ部屋に入部届を持って行きました。その時には高校と同じように挫折したらどうしようという後ろ向きな気持ちは一切なく、東大野球部、六大学野球という輝かしい舞台でなんとしても活躍したいという前向きな気持ちに突き動かされていました。

入部した直後は毎日が刺激的でした。先輩はもちろん同期にもレベルが高い選手が多く、入部初日のキャッチボールでは太陽(4年/投手/国立)と組んで、見たことがない球の威力にグローブの紐が切れたことには衝撃を受けました。レベルの高さ以上に僕が東大野球部という組織が心地良く、楽しいと思った理由はみんなめちゃくちゃ野球が好きで、練習する環境があったからです。夜遅くまで自主練するし、知識の多い選手や学生コーチにアドバイスを求めると1が10になって返ってくる環境は今までの僕の経験からすると考えられないものでした。そんな環境に身を置き、負けじと必死に練習しました。1年生では春フレッシュで、2打席でツーベースとタイムリーという神がかり的なスタートを切りました。しかし、そもそもの能力が高かったわけではなく、6月に同期で一番乗りのA昇格を果たしたものの1週間でBに降格しました。そこからは1年生の間はこれといった結果を出すことができませんでした。当然リーグ戦に出ることもありませんでした。1年生でリーグ戦に出られないのは当時の雰囲気だとまあしょうがないといった感じでしたが、僕としてはこの状況が悔しくて仕方がありませんでした。大敗するのをスタンドで見るたびにそれを見つめることしかできない自分の無力感に腹が立ったからです。秋のフレッシュでは春よりさらに出番が減り、結果も出ませんでした。こういった現状をなんとしても変えるために「2年の春にショートでスタメンを張る」という目標を立てました。当時の僕の実力を考えれば、周りからすると無謀だと思われたかもしれません。それでも無謀のように思える挑戦をするための覚悟がないと、一生自分は浮上していけないと思いました。この頃から外部指導に行ったり、先輩にもできるだけアドバイスを聞きに行ったりすることを意識しました。

2年生の練習で強く記憶に残っている出来事があります。春の明治戦が迫った投内連携です。当時春リーグはすでに始まっており、僕はベンチ入りすらできていない状況でした。割と結果も残せるようになり、ベンチにすら入れないのはおかしいと恥ずかしながら思っていたことを覚えています。雨の中行われた練習で僕は飛んできた1球目の打球を捕ることができませんでした。その1球は僕にとっては練習のノックでやってしまったエラーと同じくらいのものと捉えていたのですが、指導者の方の目には異なって映っていました。数日後に学生コーチに伺ったのですが、当初は明治戦で僕をスタメン起用する予定だったのが投内のエラーで白紙になったそうです。この話を聞いて自分がいかにレベルの低い考えだったか、ハッとさせられました。みんなを代表して神宮に立つということの責任を感じました。そこからは100人を超えるチームの中で全員に認めてもらわないと試合に出ることはできないと考え練習するようになりました。

夏のオープン戦とシートバッティングでは奥田さん(R5卒)と積み上げたフォーム改良が身を結び、秋の開幕戦ではスタメンを獲得することができました。「春にショート」という目標は叶わなかったけれど、「秋にサード」でのスタメンは勝ち取ることができました。この時は諦めずに理想を追い求めてやってきて良かったと思いました。開幕戦はめちゃくちゃ緊張して、初回のイニング間では全球暴投して終わったかと思いましたが、試合ではいいプレーができました。初回ベンチに帰ってから鈴木部長からかけていただいた「ナイスプレー」というお言葉ははっきりと覚えています。何より大好きな先輩たちと最高の環境で野球ができることが本当に楽しかったです。慶應戦では初めてグラウンドで勝利を経験でき、東大が勝つということの意味がはっきりとわかりました。

一方で、調子の良かったバッティングは全く通用しませんでした。ほとんど芯で捉えたあたりはなく、他大学投手との圧倒的な実力差を痛感しました。結局後半戦は怪我から復帰した浦田さん(R5卒)がスタメンで出場していました。

秋季リーグ戦が終わりました。チームは1勝止まりでした。当時の4年生は力のある先輩方ばかりで、絶対最下位脱出できると思っていたのに勝ち点は取れなかったのが衝撃的でした。しかも来年はチームを支えていた多くの4年生が抜ける。2年生ながら自分が主力になってチームを引っ張らないといけないと強く思ったのを覚えています。

3年の春は全試合スタメンで出させてもらい、上位打線を任されることもあり、成長を感じる部分もありました。しかし、明治戦での伝説の落球や度重なる送球ミスなど自分のミスがチームの負けにつながる恐ろしさも身をもって実感しました。結局このシーズンは1勝もあげられませんでした。春シーズンが終わり、秋リーグこそとバッティングや守備で新しいことを取り入れました。ですが、ほとんどが上手く行かず、「去年の方がよかったな」とか「成長が止まってしまったな」と思う瞬間が増えました。試合の出場機会は減っていき、かなり精神的にきつい時期でした。秋季リーグが終わり、チーム2023は1勝、勝ち点0で幕を閉じました。その中心に僕はいませんでした。去年の立場を考えると主力としてチームを勝たせる働きをしなければならなかったのにそれができなかった。「お前たちの代は頑張れよ」と最終戦後声をかけてくれた当時の4年生に合わせる顔がありませんでした。

代交代のタイミングで幹部決めのミーティングがあり、そこで僕は主将に立候補しました。主将になりたいというのは前々から考えていましたが、立候補を決意したのはミーティングぎりぎりのタイミングでした。というのも当時の僕に主将をやっていく自信はありませんでした。この一年間自分のことだけでも精一杯で結果を出せなかった自分が主将になっていいのか、葛藤しました。立教との最終戦後、梅林さん(R6卒)や永田さん(R6卒)に悩んでいる自分の胸中を打ち明けました。お二人からはチームを勝たせることを一番に考え続けられ、それを周りに波及できる存在が主将になるべきという言葉がありました。その言葉を聞いて僕は「絶対に苦しいことの方が多いけどチームを背負う強い覚悟を持って主将をやり遂げよう」と決意を固めました。

主将になるにあたって大きく二つのチーム像を掲げました。

一つ目は部員が組織の内部からも外部からも応援される人間になることです。これは先代が掲げた「勝つべきチーム」に似ていると思います。東大野球部は野球のスキルを上げることにリソースを割ける人間は多いけど、人間力やチームにベクトルをむけ行動していく力といったような一見野球とは直接関係ないことに目を向けられない人が多いところが課題だと感じていました。僕はそういった部分こそがチームの文化として後々継がれていく部分であり、最上級生として残さなければならない部分だと感じていました。全体に向けた声に対するアンサー、全体練での身だしなみ、間の時間の全力疾走などグラウンドの中でも外でも気になることは都度口うるさくいってきたつもりです。全体としてかなり改善したと言いたいところですが、正直なところまだまだ詰めが甘いところが多いと感じています。なぜそういうチームを作ろうとしているのか自分が説明して浸透しきれていなかったのが大きな要因だと思っているのでとても後悔しています。新チームは方針決めのミーティングがあると思いますが、こういった組織力は間違いなく重要な要素だと思っているのでさらにアップデートしながら残していって欲しいです。強いチームを目指すためにも全員が責任感を持ちながら目を背けずこだわって欲しいと思います。東大野球部の体質を変えていってください。

二つ目はとにかく勝ちにこだわるチーム作りです。就任当時は26年連続で最下位という現状を打破するためには今までと同じことをやっていてはだめだという気持ちが大きかったです。今年の目標が優勝になったのもそういう経緯でした。シンプルに走攻守の地力をつけ、他大学の選手と互角に張り合える力をつけることを目標としました。この勝ちにこだわるチーム作りに関しては本当にいろんな人の努力があって日々の練習がいい練習になったと思っています。投手長の平田(4年/投手/都立西)、捕手長の府川(4年/捕手/西大和学園)杉浦(3年/捕手/湘南)、外野手長の橋元(4年/外野手/修猷館)、打撃長の内田(4年/内野手/開成)、走塁長の青島(4年/内野手/学芸大附)、バント長の大智(4年/投手/駒場東邦)、そして常に日々改善できるところがないか確認してくれた門池(4年/学生コーチ/都立富士)やアナリストといった人たちのおかげで毎日の練習が回っていました。本当にありがとう。僕がやったことといえば練習を試合と同じ雰囲気や緊張感でできるように努めたことくらいかもしれないです。

この一年間は四年間の中でも特に長く感じた一年間でした。最上級生として、主将としてチームを背負っている責任感と常に隣り合わせでした。時間で言えば100のうち、99.9くらいは苦しい時間だったと思います。プレーヤーとして結果が出なかったのはもちろんきつかったですが、それ以上にチームの春季リーグでの全敗、七大戦でのコールド負け、秋季リーグの早稲田戦の惨敗など今までの取り組みを否定されているような結果が続きました。特に開幕の早稲田戦は自信をつけて臨んだにもかかわらず投打ともに全く光が見えない苦しい試合でした。個人的には本気で優勝という目標を達成できると思っていたので目標が大きく遠のいていった実感があり、帰りのバスでは涙が止まりませんでした。優勝という目標を掲げておきながら1勝もできずに終わってしまうのか。後輩への申し訳なさから自分たちが最上級生としている意味を見失いそうにもなりました。

しかし、この秋の慶應戦、法政戦での勝利で少しだけそれらが報われる感じがしました。時間で言えば0.1しかないかもしれないけどその一瞬に東大野球部の全てが詰まっているような感じがしました。勝ってスタンドを見上げた時の全員総立ちの光景は忘れられません。勝利の瞬間の、体の内側から興奮が湧き出てくる感じは人生で他に経験したことがないし、これからも経験できないような気がします。

六大学のスケールや憧れから入部しましたが、当初からは想像もつかないほど苦しみ、悩み、絶望してきました。しかし今振り返るとそれほどまでに感情を大きくゆさぶられるような経験ができたのは東大野球部だからこそだと確信しています。そして何より入部を決意したあの日に感じた以上の興奮を最高の仲間とグラウンドで体感することができました。心から東大で野球ができて幸せだったなと思います。

こんなに長かった野球人生もいよいよ残り数日です。目標の優勝は達成できなかったし、2勝したものの勝ち点にはつながっておらず、悔しい気持ちの方が当然大きいです。今自分たちにできることは最後の立教戦に向けて最高の準備をし、勝ち点を取ることです。あと2回あの勝利の瞬間を掴み取りたいです。後輩たちが来年以降もっと強くなっていくためにも絶対に勝ち点を残して引退します。

最後にこの場をお借りしてこれまでお世話になった方々に感謝を伝えさせていただきたいです。

・同期のみんな

四年間本当にありがとう。学ミとかで揉めることもあったけど、お互いがお互いのことを大事にしている最高の学年だったと思います。みんなと学年部屋で話したり、オフに出かけたりするのが本当に楽しかった。この代の思い出といえばソウル大の試合が忘れられません。武(4年/外野手/戸山)のスーパーキャッチや見坂(4年/外野手/水戸一)のヒットとかあげだすとキリがないけど、全員が輝いている姿が自分のことのように嬉しかったのを鮮明に覚えています。おそらく人生で一番楽しかった試合です。そんなみんなと野球ができてよかったです。また、スタンドで4年生が応援席を盛り上げてくれていることが本当に嬉しく、ありがたいです。グラウンドとスタンドの一体感が感じられてとても心強いです。最後まで全員で戦おう。

選手からマネージャーや学生コーチになってくれた岩瀬(4年/主務/開成)、門池、谷保(4年/学生コーチ/屋代)間島(4年/学生コーチ/八王子東)大巻(4年/学生コーチ/花巻東)には本当に頭が上がりません。転身する中でいろんな思いがあったと思うけどみんなチームのために献身的に動いてくれました。チーム2024が最後まで一つになって戦えているのはみんなのおかげだと思います。ありがとう。

・学生コーチ、マネージャー、アナリストのみんな

まず学生コーチのみんな。ノックを打って欲しいとお願いした時もバッピをして欲しいとお願いした時も嫌な顔一つせず引き受けてくれて本当に感謝しています。チームのことを最優先に考えて動いてくれるみんながいるからこそチームが回っています。ありがとう。

次にマネージャーのみんな。僕は主将になってから他の運動部と関わる中で、選手がチーム運営に関わることなくプレーだけに集中できる環境がどれだけありがたいかを知りました。東大野球部は部員も多く、露出も多い環境だからこそ大変なことも多いと思うけど、みんなの活動は間違いなくチームに必要不可欠です。ありがとう。

最後にアナリストのみんな。東大のアナリストは六大ナンバーワンだと思っています。今やアナリストの存在無くして分析はできません。選手とコミュニケーションをとりながらもっと強固なチームを作っていって欲しいです。ありがとう。

・先輩方

先輩たちとやる野球は心の底から楽しかったです。自分たちの代が始まってからいかに先輩たちに甘えさせてもらっていたか、苦労を見せずに裏で動いてくださっていたかわかりました。今のチームは先輩たちが築き上げてくださった土台のもとに成り立っていると確信しています。少しでも結果で恩返しできるように最終カードも頑張ります。

先輩方の中でも特に梅林さんには本当にお世話になりました。人生で初めての主将をやるにあたって不安なことばかりでしたが、何度も話を聞いてくださり勉強になりました。秋の早稲田戦後塞ぎ込んでいた僕を食事に誘ってくださったおかげで前を向くことができました。本当に感謝しています。僕もばやしさんのように引退後も後輩を支えられる先輩になりたいです。

・後輩たち

普段はかわいいけど試合では頼りになるやつばかりです。今年一年間チームを引っ張ってくれて、盛り上げてくれてありがとう。下級生なのにチームのことを考えて提案してくれる選手が多く、本当に助かりました。3年生は来年最上級生になって大変なことも多いと思います。その時こそ4年生で決めたチームの方針を信じて、全員で頑張っていって欲しいと思います。年々強くなる東大野球部を期待しています。

・応援部の皆さん

いつも応援してくださりありがとうございます。グラウンドにいる時、必死に応援してくれるみなさんの姿を見ると自然と力が漲り、前向きな気持ちになれます。「応援は選手の力を100%から120%に引き上げてくれる」という言葉をどこかで聞いたことがありますが本当にその通りだなと実感しています。野球部も皆さんとたくさん勝利を共有できるように頑張ります。これからも野球部の応援をよろしくお願いします。

・指導者の方々

つばさで指導してくださった大川コーチをはじめとする指導者の方々。

僕が野球にこんなにも夢中になるきっかけを作ってくださりました。何度も優勝できたのは厳しくも温かいご指導のおかげです。本当にありがとうございました。

中学校で指導してくださった松井先生、川崎先生。

野球とどう向き合うべきなのか根本的なところから教えていただきました。たくさんご迷惑をおかけしたと思いますが、あの三年間のおかげで人間として大きく成長できたと思っています。本当にありがとうございました。

高校で指導してくださった山口先生、森野先生、寺見先生。

結果が出ない時期ばかりでご迷惑をおかけしました。それでも我慢強く指導を続けていただき、期待を込めて起用していただきました。大学でも野球を続けようと思ったのは間違いなく高校野球での経験が大きいです。本当にありがとうございました。

大学で指導してくださった井手前監督、大久保監督、石井助監督。

愛のある井手さんから声をかけていただいた時は本当に嬉しかったです。お褒めの言葉もご指摘の言葉も今でも心に残っています。ご自愛ください。

大久保監督は監督代行を含めて二年間大変だったと思いますが、チームを支えてくださりありがとうございます。監督の期待以上の選手になることができず、本当に申し訳ないです。最後勝ち点を取って監督と握手できるように頑張ります。

石井助監督は選手をよく見てくださり、チームの改善点を常に投げかけてくださりありがとうございます。助監督の言葉にはハッとさせられることが多く、僕も少し視野を広げられるようになったと思います。来年以降もチームをよろしくお願いします。

お三方とも本当にありがとうございました。

豊田さん、高木さん。

豊田さんにはトレーニングの知識がない下級生時代に個別で話を聞いていただき、ありがとうございました。高木さんには一からチームのメニューを組んでいただき、大変だったと思いますが、初めて知ることが多く毎日の練習の中で成長を実感できました。

お二方とも本当にありがとうございました。

中藤さん、伊藤さん、十河さん、石原さんをはじめとする外部指導でお世話になった方々。

技術の知識がなかった僕を一から指導してくださりました。みなさんの指導のおかげで日々の練習の指針が定まり、成長速度が大きく上がりました。普段から僕の活躍を気にかけてくださっていて嬉しかったです。本当にありがとうございました。

・家族のみんな

父さんは小さい頃からずっと僕が野球を上手くなる手助けをしてくれて、期待をし続けてくれて本当に感謝しています。「峻也ならできる」という言葉に応えたくて今日まで頑張ってこられました。高校野球で初戦負けした時、帰りの車の中で父さんを泣かせてしまったことが本当に悔しかったです。大学で野球を続けると決めた時も活躍して父さんにかっこいい姿を見せたいというのが一番大きかったです。他人を常に考えて行動できるところ、今までもこれからも一番尊敬しています。

母さんは小さい頃からずっと迷惑をかけ続けてしまいました。母さんが見えないところで僕を支え続けてくれていることは親元を離れてより一層感じました。母さんがよく口にしていた「周りに応援される人間になりなさい」というのは今でも大切にしている価値観です。これからの人生をかけて恩返ししていきます。

姉ちゃんと圭吾も神宮まで応援に来てくれてありがとう。リーグ戦の日に家族みんなで集まれる時間は本当に幸せでした。

・東大野球部を支えてくださる全ての方々

東大野球部を全面的にサポートしてくださるOB会の皆様、スタンドで声を枯らして応援してくださるファンの皆様、Engateや東大基金等で資金的にサポートしてくださる方々、合宿先で素晴らしい環境を用意してくださった方々、球場や寮といった環境面で支えてくださる方々、最高の環境を提供してくださる東京六大学連盟の方々、いつもご支援いただき本当にありがとうございます。僕たち選手が思う存分野球に打ち込めるのは多方面からチームを支えてくださる皆様のおかげです。この部を代表してお礼申し上げます。

長い文章にお付き合いいただきありがとうございました。

明日からの試合のご声援のほどよろしくお願いします。

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TEAM2024の『僕の野球人生』は本日で終了となります。お読みいただきありがとうございました。

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