《僕の野球人生》 Vol.9 長谷川 朝 内野手
4年生特集、《僕の野球人生》では、ラストシーズンを迎えた4年生に1人ずつ、今までの野球人生を振り返ってもらいます。
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《僕の野球人生》 Vol.9 長谷川 朝 内野手 (4年/沖縄尚学)
私の「僕の野球人生」は私の14年間の野球人生の中で特にお世話になった方々への感謝の言葉を述べる場とさせてもらいます。
まず最初に小学校の学童保育園で私をプラスチック野球に誘い、最終的には一緒に泊メッツで4年間共に野球をした先輩、同級生、後輩のみんなです。あなたたちがいなければ私は野球を始めることはなかったと思います。特に同級生として最後まで一緒に活動した同級生には時に喧嘩もありましたが本当に感謝しています。あなたたちとデポ裏、タンク下、泊小学校でした毎日の練習は私の大切な思い出です。
次に泊メッツで野球を教えてくれた、新里監督、新垣コーチ、屋比久コーチ、金城コーチ、ダブル崎山コーチ。下手な私を試合に使ってくれたことにももちろん感謝していますがそれ以上に私に野球の楽しさを教えてくれてありがとうございました。中学、高校、大学と野球でつらくなることもありましたがそれでも野球を続けられたのは原点に野球が好きだという気持ちがあったからです。余談にはなりますが泊メッツ時代の金城コーチにはいつも『プロに入ったら入団会見で「金城コーチと新里監督のおかげです」って言うんだぞ』と言われていました。残念ながらプロに行くことはできませんでしたが言わせてください。私が大学まで野球に熱中できたのは泊メッツの監督、コーチのおかげです。
3番目は私を沖縄尚学高校野球部に導いてくれた下里先生です。失礼ですが私の下里先生への第一印象は「うさんくさいおっさんだな」というものでした。それでも下里先生が指導してくれた短い期間の間にチームは明らかに良い方向へ変わり、中学生の意識を変える手腕には本当に感心しました。更に進学先に悩み、公立校への進学を考えていた自分の相談に乗ってくれたことに非常に感謝しています。沖縄尚学野球部を目指そうという決断は私の野球人生の中で最も大きな決断であるとともに最も良い決断でした。
4番目は私の沖縄尚学高校野球部入部を認め、3年間指導してくださった比嘉先生です。やんちゃな生徒が多く、大吾先生と2人で約80人の部員の面倒を見ないといけない先生にさらなる面倒事を抱えさせることになり、3年間これといってチームにプラスの影響を与えることもできず申し訳なかったと思っています。それでも高校での3年間はそれ以降の人生の糧になっていますし、これからも確実に役に立つと信じています。私を野球部に入れてくれて本当にありがとうございました。負担の大きな仕事だとは思いますがこれからも陰ながら応援させていただきます。
最後に14年間私のわがままに付き合い続けてくれた両親です。特に母には小学校のお茶くみ当番から始まり、高校時代の練習への送迎と本当に大きな負担をかけてきました。高校時代、毎日送迎をしてくれて本当にありがとう。父も仕事が忙しい中、休みの日は送迎してくれたり応援に来てくれました。高校、大学と大会に出ている姿を見せられればそれが最高の親孝行になるだろうと思い頑張ってきましたが現実は厳しく申し訳なく思っています。父と母にはもっと言いたいことがありますがこれ以上は直接伝えることにします。
昨今、少年野球の父母の負担の大きさや部活動の顧問の大変さを取り扱った記事をよく目にしますがそのような記事を見るたびに私の14年間は当たり前のものでは無かったのだと感じます。愛情深く支えてくれた両親、面倒見良く支えてくれた指導者の方々、そしてともにプレーしたチームメイトの方々、この14年間本当にありがとうございました。
最後になりますがこの文章を読んでくださった方々、私の「僕の野球人生」はこれまで私を支えてくれたものの感謝を伝える機会や手段がなかった方々へ感謝を伝える機会とさせてもらったため多くの方にとっては非常に読みにくい文章となってしまったことを謝罪します。重ねて最後まで読んでいただきありがとうございました。
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次回は明日9/28(木)、地曵龍一内野手を予定しております。
ぜひご覧ください。