『僕の野球人生』vol.25 德田 菜月 マネージャー
4年生特集、『僕の野球人生』では、ラストシーズンを迎えた4年生に1人ずつ、今までの野球人生を振り返ってもらいます。
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「僕の野球人生」vol.25 德田 菜月 マネージャー(4年/学芸大附)
私は大学野球のマネージャーに向いた素質の持ち主ではなかったと思います。
なんて一見暗い文章とは裏腹に、卒部目前の私の心中は晴々としています。
私、よくやり切った!
東大野球部で辛いことも沢山経験しました。人生一の失敗もしました。『ぼくじん』には苦労したこともくっきりはっきり書こうかと思っていましたが、
夏が終わり、ラストシーズンが始まり、4カードが終わり、投稿日が近づくにつれ、
別れを意識し、リーグ戦勝利を経験し、泣いたり笑ったりするうちに、
なんかもうどうでも良くなってきました。
いくら東大野球部で素晴らしい栄光を手にしても、地獄のように苦しんでも、長い目で見れば、それは人生のたったの四年間の出来事です。ここでの出来事は多くの人生に大きく影響しますが、それは以後人生の全てを規定するものではあり得ません。
なので『ぼくじん』は4年生が今までの人生を振り返り、そこに一旦折り合いをつけるための企画だと私は思っています。
私自身も卒部が近づくにつれ、自分の中で色々な傷や経験が清算され、固まって、次への土台になっていくのを感じています。
マイナスなことは抽象的に留め、あとはせっかくなのでポジティブなこととか、感謝とかを述べていこうと思います。
◯プロローグ:野球とは9割無縁の人生◯
東大野球部に入る前の野球と私の刹那的な接点は3つぐらい。
①大の巨人ファンだった祖父は、私が家に遊びに行くといつもテレビで野球中継を見ていました。日曜の夜。小さな画面で判別もできない粒のような観衆がざわめいている。下手(クラシックやブラバンのような精巧な演奏に比べて昔はそう思ってました)なトランペットが曲を演奏する中、私の知らない難解なルールに則ったファインプレーで「わーーーーー」と歓声が上がる。私はそんな野球中継が大嫌いで、孫の特権を使って「ダーウィンが来た!」にチャンネルを変えてもらっていました。「ダーウィンが来た!」で珍しい鳥や、獰猛なライオンや、水上を走るトカゲなどを見る方が私にとってはよっぽど面白かったのです。
おじいちゃんは大学一年の秋に亡くなりました。生きているうちに野球を好きになって、一緒に野球を観られたらよかった。
②中学時代はアメリカ・デトロイトで過ごしました。学校の遠足で、デトロイト・タイガース傘下のAAA、トレド・マッドヘンズの試合を観に行ったり、タイガース対ヤンキースの試合をイチロー目当てに観に行ったりと贅沢な経験をしましたが、覚えているのはボールパークホットドッグの美味しさと「イチローって打つ時に本当にあのポーズするんだ」と思ったことだけ。試合内容は1ミリも記憶していません。2009年に日本が優勝したWBC、抑えのピッチャーは確かダルビッシュでしたが、彼が投球し打者が空振りして優勝が決まった時、「なんでボールを投げただけで勝ちが決まるんだ」と8歳の私はテレビを見ながら本当に不思議に思っていました。三振の概念を理解していなかったからです。
③高校時代はオーケストラ部でした。うちの高校には吹奏楽部もチア部もなくて、オーケストラ部とダンス部が結託して野球部の夏大会(甲子園が春夏2回あることは大学に入ってから学びました)の応援に行っていました。私はオケで弦楽器を弾いていたので演奏はできず、指揮をするか座って試合を眺めるかぐらいでした。2年生の野球応援で、暑さの中ぼーっとグラウンドを見ていると「危ない!」という声が聞こえました。頭を守る暇もなく、ファールボールが後頭部を直撃(そんなに痛くなかったです)。野球部員のお母さんたちにめちゃくちゃ心配されて謝られましたが、私の反射神経の鈍さのためにこんなことになり、逆に申し訳なく思いました。その後私は機会あるごとに「野球の試合でフォアボール(書き間違いではない)が頭に当たった」と自慢をしていました。
小学時代は引っ込み思案でうまく笑えない子供でした。中学時代は人から見た自分の姿を良くも悪くも意識するようになり、世界が広がった頃でした。中3だけ通った日本の公立中では美術部に入り、また世界が広がりました。勉強も頑張りました。
高校時代はとにかく自由にのんびりと過ごしました。好きなことをさせてもらいながら、思春期を拗らせながら、勉強以上に行事を頑張ったような三年間でした。
現役東大受験の年は18点差で不合格になり、勉強のみに集中できる恵まれた一年間を過ごして晴れて東大生になりました。勉強や読書が楽しみでした。サークルには元々乗り気ではなかったけど、何も入らないのには親が反対したのでフィーリングで三つぐらいのサークルに入りました。バドミントンと、温泉同好会と、アコースティックギターサークル。少しは楽しい思いもしましたが、どれも続きませんでした。
こんな一貫性のない20年を生きてきたので、環境への適応力には人一倍自信があります。
総じて本当に恵まれた環境で育ってきました。
◯チャプター1:東大野球部に入ってしまう◯
六大学のことなんてもちろん知らなかったし、野球界でそれがどんなに著名な場所なのか、そこに東大がいることの歴史観とかも知らないままの入部でした。
高校同期のあおし(青島内野手/4年/学芸大附)から「周りにマネージャーをやってくれそうな人いない?」とLINEをもらったのが事の発端。あおしとは高校時代は全然仲良くなく、ただ同じマイナー路線を登校に使っていたので顔見知りでした。その時は「体が二つあったらな、ごめんね、周りの人に聞いてみるね」というような返事をしたのですが、サークルに馴染めなかったこと、同じクラスの親友が部活でバリバリ活動していたことに焦りを覚え、「やっぱり私興味があります」とあおしにLINEしました(青島くん、好きなだけ自慢してください)。
2021年の秋季リーグ戦、早稲田2回戦を見学に行きました。当時プレーしていた方々に申し訳ないのですが、早稲田にこてんぱんにされた長々しい試合で、ルールもわからないので特に長く感じました。ただ雰囲気はとても好きでした。楽器演奏が好きだったので、晴空の下、外野で軽快に吹き鳴らす吹奏楽団の音にワクワクしたし(生まれ変わったら応援部に入りたいと思っています)、学生スポーツなのに大人の観客がたくさんいることにも驚きました。神宮球場という立派な場所でやっているという事実もとてもかっこよく感じました。
部員のみなさんに対して、「東大に入ってまで、なんで挫折体験を積もうとするんだろう?」と心底気になりました。
マネージャーがいなくて困ってるみたいで、入ったらすごく必要とされそうだし、広報とかで自分を活かせそうと思ったことも大きいです。
のちに同期になる何人かの隣で観戦させてもらって、またのちに先輩になる舞穂子さん(R6卒)が親切に接してくださって、一度意識するとどんどん引き寄せられていくタイプの私は「これはもう入部すべきだ」という心の声に従って、「入部しようと思います」とその場で舞穂子さんに伝えました。後から聞くと、パッとしない試合結果だったため皆に相当驚かれたらしいです。ほぼ同時期に入部を決めた角能(4年/マネージャー/攻玉社)は慶應戦を見学していて、二人で観戦して計40点ぐらい取られたと思います。
たまたま興味を持った部が野球をやっていただけで、野球である必要は全くなかった入部動機でした。
そのあとは一気に時間の流れが早くなったように感じます。
初めて入部する運動部。同期に女子もいないし、なかなか話せる人ができず、初めの方はできるだけマネ部屋を出ないようにして過ごしていました。人の目を気にしすぎるたちも災いし、下級生の時はそのことで悩んでもいましたが、いろんな人を見ているうちに、少し迷惑がられるぐらいキャラが立っていた方がきっと活躍できるんだなと思うようになりました。恐怖もいつしか薄れ、できる仕事が増えるとともに部での居心地が良くなってきました。
野球について貢献できることがほぼなかった分、場の雰囲気を明るくしたり、平和を保ったり、外部の人と丁寧に接したり、メールを丁寧に書いたりして部の印象をあげる、といった細かなことに活路を見出そうと思いました。
野球も面白くなりました。最初はなんて荒々しいスポーツだろうと思いました。あんなに広いフィールドをたった9人で守って、手に収まってしまうサイズのボールを必死に追って、固いバットを固いボールに衝突させて飛ばす。9回という謎のルール。お金もかかるし場所もとる。
だが観続けているうちに、華麗で素早い内野守備と打球の対空時間でハラハラを催す外野守備との緩急とか、一発逆転やサヨナラの興奮とか、かっこいいモーション、投球直前の静けさとアクションが起こった時の歓声のコントラスト、最後まで何が起こるかわからないところ、フィールドが広いからこその躍動感など、魅力を素人なりに理解し始めました。投手と打者の一対一の勝負が、ボールが放たれた瞬間にチームプレーに変貌し、美しい連携プレーが見られたりする二面性も面白いです。ルールもデータも多すぎて今でも難解ですが、、
また、学年が上がるにつれ、一勝をよりはっきりと信じ、一敗がより悔しく感じられるようになりました。
野球に詳しくない頃は下級生の時は、「こんなに明らかなハンデがあって、東大が勝てるわけない」とどこか心の中で思っていたことがありました。
それでもその差を埋めようと大学生活を懸けて臨み、リーグ戦で勝つ先輩方の代、そして同期の代を見るにつれ、私自身もどんどん東大野球部の虜になっていきました。毎試合、きっと今日もやってくれる、底力を見せてくれると思って、勝利を信じて仕事に臨んでいます。
◯チャプター2:こんなこともあったね◯
冒頭に「素質が無い」と書きました。そもそも野球のルールや道具についての知識がなく、堅苦しいことが苦手で、どこか場当たり的に生きる私は部でミスをたくさんしました。素質が無いなりに頑張りましたが、人よりできないことが多い三年間でした。
もし同じようなことで悩む後輩がいればその参考になるように、また自分が悩んでもがいて乗り越えた証でもあるので、苦労したことを軽い処方箋とともに記しておきます。後輩は「へぇ」とでも思いながら読んでください。
・大事な仕事とそうでない仕事があるのではないかという悩み:こやつに最も苦しめられました。やはり合宿・遠征に帯同する方が、会計担当になる方が、部道具を買う方が、選手と近い仕事をする方が、貢献できている・大事な仕事であるという気持ちになることはありませんか?私はめちゃくちゃありました。勿体無い、いいから全部楽しんじゃえ。食事管理やノック打ちなどに真摯に取り組み「どんな仕事も大切ですよ」とある日さりげなく言ってくれた後輩スタッフが、ある時突然退部してしまったことがありました。私はよくその言葉を心の中で思い出して感謝していたので、その子がいなくなってとても残念でした。私ができないことをあんなにやって、素質がありそうで、あんなに活躍していたのになんでだろう。根本的な解決にはならないかもしれませんが、結局最後は自己満足が達成されるか次第なのだと思います。「マネージャー業の裾野って広いなぁ」と呟きながら、自分の仕事に誇りを持って、物事の明るい側面を見て、前向きに、愛情いっぱいに取り組むことができれば、あなたはきっとその瞬間、誰よりも輝くマネージャーです。
・同期・後輩が自分より優秀であるという悩み:嬉しいようで苦い悩みですね。たくさん頼ってたくさん支え合いましょう。ある賢明な野球部の先輩にこんな言葉をいただいたことがあります。「周りが支えてくれてるってことはなっちゃんも皆のこと支えてるんだよ、仲間だからね」これすごくないですか。
・シンプルに人間関係がめんどいという悩み:私は東大野球部でたくさんの尊敬する人に出会えたし、たくさんの反面教師にも出会いました。すごく尊敬する人の嫌いな部分も見えたりしました。「この人のここが嫌い」という事実がはっきりと言える相手を一方でははっきりと尊敬するという経験は初めてでした。性格の合う人にも合わない人にもたくさん出会いました。大学生が130人も集まればそんなのは当たり前だし、それを受け入れられるようになりました。多分みんなお互いそうです。そんな130人が東大×野球というしがらみだけで繋がっているこの部活を、少し引いた視点で面白く眺めてみてください。全てを受け入れる必要も、無駄に機嫌を悪くする必要もありません。
・自分は部に必要なのか?という悩み:残念ながら、「この人だから達成できた」という仕事はマネージャーの仕事にはほとんどありません。はっきり言ってどの一人としてこの部に「必要」ではありません。たまたまマネージャーとして揃った14人がマネージャーの肩書きを持って仕事していたに過ぎません。角能の『ぼくじん』に同じことが書いてあって嬉しかったのですが、あなた1人ではマネージャーとは呼べません。みんな揃ってやっと「マネージャー」です。助け合ってやっていってください。
◯チャプター3:後輩マネちゃんたちへ◯
頼りない先輩に付き合ってくれてありがとうございました。みんな最高でした!
早起きが辛かったり、嫌なことがあったりして「あー働きたくねー」と思いながらテンション低めに球場に着いても、マネ部屋に着くといつも通りうるさくて面白いみんながいて、めちゃくちゃ笑うだけでなんか楽しくて、たくさん元気をもらえました。
それぞれ辛く思うこともあると思います。
私は野球すら特に愛着があるわけではないので辞めちゃおうかなと思ったことも何度もありますが、野球部で出会った人との繋がりが嬉しくて、あと最終学年の神宮での景色が見たくて、結局最後まで続けてしまいました。いい選択だったと思います。
マネージャーは人数がどんどん増えていて、手をつけられることの範囲が広がっているはずです。伝統に囚われすぎず、部のためになるような面白いことにたくさん手をつけて、せっかくなので忙しくやってください。
特に選手は、どれだけの人が東大野球部を支えてくれているか、応援してくれているか、財務面のことも含め知らないことが多いです。もったいないことだし、広めていきましょう。道具の使わせ方とか外部への態度とか含め、マネージャーが指導すれば、よりプロ意識の高い部が作れると思います。
そして、どんな仕事もあなたの特権ではありません。誰がどの仕事をやっていようがあまり重要ではないので揉めないように。
ミスは鬼の首をとったように指摘し合うものではなく、カバーし合うものです。
あなたしかできない仕事があることはこの部にとってリスクであると思ってください。
あと、愛想は良いに越したことはないと思います。普段から感謝と礼儀と愛想を持って周りにあたっていれば、あなたが困ったとき、きっと誰かが助けてくれます。逆にいっときの機嫌に任せててきとーな態度をとっていると、きっと後から後悔します。
時に理不尽な要求から部を守れるのも、またあなたたちしかいません。新チームからまた頑張ってください。
掃除に口うるさい私から最後に一回だけ。マネ部屋を綺麗に使ってください。物を大事にしてください。
OBOGが羨ましがるような東大野球部を、みんなが作ってください。
◯エピローグ:Thank you!◯
首脳陣の方々、OB会の方々
未熟な学生たちに普段から忍耐と礼儀を持って接してくださいました。お姿を見てたくさん勉強させていただきました。ありがとうございます。
ご迷惑をおかけしたことも多々あると思います。
これからも、至らないところはご指導いただき、そっと見守っていただけますと幸いです。
鈴木部長
部長のような方が高校・大学の先輩にいらっしゃることをとても誇らしく思います。
お忙しい中、リーグ戦の毎試合に駆けつけてくださり、ベンチの奥で元気に声出しをされている姿にいつも心動かされています。
法政の2回戦、最終回のツーベースで大騒ぎになり、呆然としていた私に「ほら行くよ!」というふうにベンチ外へ誘い出していただき、サヨナラが決まると、握手するつもりが思わずめちゃくちゃ激しくハイタッチしてしまったことは良い思い出です。
表に見えることはほぼないですが、実はマネージャー業は部長なしでは成り立っていません。部長こそ影の立役者だと思います。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
応援部の方々へ
ある意味、私が野球部に入ったのは応援のおかげもあると思います。それぐらい、毎度素敵な応援をありがとうございます。
野球部員よりももっとピュアに、素直に野球部の勝利を信じてくれていて、そこから発せられるパワーには途方もないものがあります。
常に笑顔の応援部さんは応援部さんなりに、大変に思うことがたくさんあるのだと思います。でも皆さんは神宮のスタンドでとっても輝いています!私も自分の打席で不死鳥流して欲しい人生でした。
瞳子、紘子は学部でも仲良くしてくれて、おかげで他のみんなともより仲良くなれて、毎回おしゃべりがとっても楽しいです。ありがとう。
マネージャーの先輩方へ
平祐さん、おのゆかさん、萌衣さん(以上R5卒)、石井さん、舞穂子さん(以上R6卒)!
5人からたくさん学ばせていただき、気づいたら私もラストイヤーを終えていました。
最高学年は不安でいっぱいでしたが、「ここであの先輩は何を思って働いていたんだろう、、」と思うところが随所でありました。
温かく育てていただいたから、今の私があります。先輩方の姿勢を受け継いで、下の代にも残せていれたらいいなと思います。こうやって繋がっているんですね。
大好きです!また会いたいです!
同期のみんなへ
とっつきにくい女マネだったかもしれません。でも私は楽しかったです。
外に出たファールボールを取りに行ったり、最高の笑顔・変顔をカメラに向けてくれたり、急に励ましのLINEをくれたり、変なあだ名をつけられたり、プロ野球を観に行ったり、TWICEのライブに行ったり、飲み会に行って酒豪の烙印を押されたり、バレンタインプレゼントを喜んでくれたり、ホワイトデーに心に残る贈り物をくれたり、LINEグルでセクハラに遭ったり、信じられないほど色々といじられたりと、楽しい思い出を沢山ありがとう。多分誰にとっても絡みの少ない同期ですが、もっと自分をさらけ出して一緒に過ごしたかったです。卒部したら飲みに誘ってください。恋愛相談にはいつでも乗ります。
面白いみんなが野球してる時はまじかっこよかったです。
岩瀬(4年/主務/開成)と角能へ
心配性メンタルグラグラ人間がお世話になりました。2人を少しでも支えれられていたら嬉しい。
ずいぶん昔ですが、岩瀬とは2人で行った2年のオータムフレッシュが思い出です。最後の試合が終わったあとに「いろいろありがとう」と言ってもらえたことが心に残っています。
角能には私がしんどくなっているタイミングを全部見透かされていそうで恥ずかしいのですが、一番しんどかった時に「ほんとに大丈夫だよ」と言ってもらったことに救われました。
この3人でマネージャーをやれて本当に誇らしいです。たくさん笑わせてくれてありがとう。ご飯行こうね。
これを読んでいるかわかりませんが(多分読んでいると思いますが)、両親と妹へ
スポーツを観ない家庭で育ち成人した子供がいきなり「野球部に入る」と言い出してさぞ困惑したことと思います。
家でもその日の会話をほぼしないし、「この子は大学に入って何をそんなに勉強以外に費やしているんだ」と思ったでしょう。
でも学年が上がるにつれ、毎回似たようなアナウンスをするだけなのにリーグ戦を沢山見に来てくれるようになったり、チームの結果を喜んだり悔しがったりしてくれるようになって、一緒に楽しんでくれて嬉しかったです。
お互い馬の合わないこともありますが、ここまで諦めずに育ててくれてありがとう。たくさん迷惑をかけてごめんなさい。
この文章で少しは私の成長を感じてもらえたら嬉しいです。これからも頑張って生きていきます。
無事に卒業できたら、春からは記者として働きます。
昔から活字を読むのも文章を書くのも大好きで、人や会社に取材に行き、その知られざる活動について聞き、書き、伝える、願ったり叶ったりの仕事です。
巷で「東大野球部に入っています」と言うと、たいてい「東大野球部って弱いんでしょ?」という答えが返ってきます(就活してるとき特に言われました笑)。
人に話を聞くときは、「なんで東大野球部に入っているの?何を頑張っているの?」と尋ねられる人間でありたいと思います。
同期の『ぼくじん』を読んでいる間も、「こんなことを思っていたんだ」「こんな経験をしてきたんだ」と知らないことがたくさんあって複雑な気持ちになりました。かなり年上の見知らぬ先輩女マネの『ぼくじん』を読んでじーんと来たこともあります。
書いて、消して、また書き直して、ニュアンスが伝わるように、文字単位で調整して、満足するまで時間をかけて作り出せる。読むのも書くのも自分のペース。それが地理的・時間的に遠い誰かに影響を与えることもある。受け取り方も千差万別ですが、その揺らぎも面白い。これが文章の力だと思います。
野球部のブログを書くのも、毎回とても楽しかったです。
こちらの2本のブログには『ぼくじん』にも書きたかったことを書いてあります。ぜひお読みください。
TOKYOROCKSをご覧の皆様、ありがとうございました。
最終カード、三度目の正直で必ず勝ち点をとります。
最後まで東大野球部への温かいご声援のほど、よろしくお願いいたします!
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次回は10月20日(日)、佐藤想真アナリストを予定しております。