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『僕の野球人生』vol.24 角能 紳吾 マネージャー

4年生特集、『僕の野球人生』では、ラストシーズンを迎えた4年生に1人ずつ、今までの野球人生を振り返ってもらいます。

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「僕の野球人生」vol.24 角能 紳吾 マネージャー(4年/攻玉社)

僕の野球人生角能 2 3

真面目な文章を書けないタイプですし、あまり感情を出さないタイプですし、文章力もないですし、そもそもこいつ野球したことないだろという感じですし、読みにくい文章になるかとは思うのですが、恥を忍んで必死に書きます。

人生はほぼほぼ野球人生ではないのですが振り返っていきます。
僕の野球人生といえば、小学生の頃の近くの公園での壁当てや放課後にやっていたお遊びの野球だけになります。

今思い返せば、あの頃は普通にバットにボールは当たっていましたし、結構打っていました。最近は信じられないくらい当たらないので、あの頃の感覚を取り戻したいと思っています。プロ野球や高校野球はずっと好きで、野球の知識だけはかなり自信がありました。中日ドラゴンズファンにならなければよかったな、と近年は思っています。

中学時代はバスケットボール部、高校時代は歴史研究部でした。当然、野球部とは全く無縁の学生生活でしたが、野球部の友達はなぜか多くいました。高2、高3と受験期を切磋琢磨して過ごした友人の中には青貝くんという野球部の子もいました。彼は食べるのが遅く、5時間目になっても弁当を食べていました。バスケの授業の際には、ずっとまた抜きを狙ってくるような陽気な子でした。

大学を選ぶ際に、東大を選んだのも野球部の存在があった訳では全くありません。

入ってからというもの、特に何かをやりたいということもなく、結局何の団体にも属することなく、クラスにコミットして友達を作るということもなく、大学1年生の春を過ごしていました。

余りなじめていなかったクラスの中には友達が2人いました。最初に仲良くなったのは、体の大きい平田くんという子でした。初期の頃、教室に入って彼の近くに座った所、彼はスマホでビリヤードをしていました。インドの人とオンライン対戦していると言っていた記憶があります。
平田くんと仲良くなったのですが、そんな平田くんに引っ付いてくる子が現れました。彼は長谷川くんという子でした。なんかおとなしそうな子だな、という印象くらいしか残っていません。彼らはどちらも野球部の子でした。

当時、野球部は新入生のマネージャーの勧誘に苦戦していたところでした。
なかなか新入生が入部してくれないということもあって部員を通しての勧誘運動も活発になっており、何もしていない暇人+野球だけは好きという属性を持つ僕は熱烈に勧誘を受けていました。ここで諦められていたらまた違う人生だったかもしれません。

そこから参加者が僕しかいないオンラインの説明会に参加したり、東大球場に見学に来たり、神宮球場にリーグ戦を見に行ったりしました。信じられないくらい暑かった日に見に行ったリーグ戦は慶應に20点くらい取られて負けた試合でした。

細かいことは忘れてしまうタイプなので、当時の詳細な心境をここで語ることはできないのですが、説明会を受けている段階くらいから入部するのだろうなとは決めていました。単純に断れない性格だったという一面もなくはないのかもしれませんが、性格的に合いそうだし、野球は好きだし、というような軽い気持ちで直感を信じて1年生の秋季リーグ後に入部しました。

今思うと、入ってからの三年間は本当に一瞬でした。良くも悪くも周りのことばかり気にする自分の性格はマネージャーに合っているなという直感は当たっていました。秋ごろに選手から転身した岩瀬(4年/主務/開成)と同時期に入ったちゃむる(德田/4年/マネージャー/学芸大附)と様々なことを学んでいきながら、同期はもちろん先輩の選手の方々と交流する日々はとても充実していましたし、我ながら良い居場所を見つけたなという感覚もありました。

その中でも、2年生の春に迎えた初めてのリーグ戦は正直その緊迫感や本気度に圧倒されました。東大野球部が戦っている舞台、そしてそのリーグ戦に関わる人全員の覚悟を感じ、マネージャーとしてチームの運営を滞りなく行うことへの責任感を覚えました。同時にリーグ戦で勝つことの難しさも強く印象に残っています。これは以降毎リーグ感じることでもあります。

入部してから正直なところ、マネージャーを辞めたいと思ったことや自分のやっている業務や日常の過ごし方に対して気持ちが後ろ向きになることはなかったです。そのためここからの二年半、他の人のぼくじんにあるようなここに残す葛藤や苦しみがなく、ただただ色鮮やかな思い出があります。38.5℃の中でスコアを書いていた大和スタジアム、ユニフォームが見当たらずリーグ戦当日背番号を剥がして付け直して作った即興背番号32、一生進まない自動車学校、勝利のサイレンを鳴らした2年秋の慶應戦、ヒットが止まらな過ぎてベンチ入りしながら逆に困惑してた2年秋フレッシュの慶應戦、なぜか後輩たちとボウリングしたクリスマス、史上最悪の出だしを迎えた鹿児島合宿、一生雨が降っていた3年夏の七大戦とそのレセプション中にひかりちゃん(奥畑/3年/マネージャー/智辯和歌山)と抜け出して行った世紀の大勝負、一生行くことの無いような新宿の高級ディナー、勝利にどこか安心した気持ちもあった3年秋の法政戦、4年になってからの毎月の会計業務、ベンチ入りすることでその厳しさとありがたみを感じた4年春リーグ、感情がジェットコースターだった4年七大戦、同期のかっこよさに惚れた引退試合、…

ここに上げ忘れているものも絶対にあるくらい普通の大学生活ではできないような経験、出会いにたくさん恵まれた期間でした。

そして迎えたラストシーズンは毎週リーグ戦を戦う楽しさよりもどこか怖いような感情が上回っていくシーズンでした。
だからこそ、勝利した慶應戦で橋元(4年/外野手/修猷館)がライトフライを掴んだ瞬間は単純な喜びとはまた違う、何物にも代えがたい言い表せない感情でいっぱいで、整列してグラウンドから見た淡青色のスタンドの景色をもっと目に焼き付けておけば良かったと強く後悔しています。
ただ選手たちを見て、もう一回勝たないと、という気持ちも同時に強く感じました。

月曜日の慶應戦、勝てなかった時の感情はこれまでのリーグ戦の敗戦とはまるっきり違う感情でした。自分でも悔しすぎてびっくりするくらいでした。
法政2回戦でもサヨナラ勝利、勝ち点獲得のチャンスが来ました。祝日の月曜日の東大の応援席の雰囲気もこれまで見たことないような最高の雰囲気で、東大が出塁するだけで湧き上がる大歓声と応援には鳥肌が立ちました。ただ、勝つことはできませんでした。

今はただ、立教戦で勝ち点を取って神宮で見たことないような景色を見たいという気持ちしかありません。
ラスト必ず勝って、みんなで笑って(泣いて)、選手も学生コーチもアナリストも、応援してくれるすべての人と一緒に肩を組んでただひとつを歌いましょう。

こうやって、今振り返ってみると、自分としては全力でやってきたつもりでも、どこかで忘れてしまったこと、チームのためにまだできたことがたくさんあったのではないのかなと思えてきます。もう残された時間は少ないですが後悔が少しでも残らないように自分にできることをやりたいと思います。
最後に、これまで関わった様々な方々にこの場を借りて感謝の言葉を述べたいと思います。

OB会の方々、すべての東大野球部ファンの方々
マネージャーとして活動していると、東大野球部を支えてくださる皆様の存在をひしひしと感じます。選手、スタッフがどれだけいてもそれを支えて、見守ってくれる皆様がいないと東大野球部は成り立ちません。東大野球部は間違いなくもっと強くなります。これからも𠮟咤激励、よろしくお願いします。

応援部の皆さん
部員である自分でさえ見ているだけで苦しくなるような試合であっても、最後まで声を絶やさず声援を届けてくれる皆さんには本当に感謝してもしきれません。来年からは、これまで行けなかった分たくさん応援席行ってありえないくらい声出します。

マネージャーの先輩方
意味の分からない時期に入ってきた意味の分からないやつだったと思いますが、そんな僕にも優しく接してくださった皆様のおかげでマネージャーとして、そして人としての今の自分があると感じています。ぜひもっとお会いしたいです。本当にありがとうございました。

後輩マネージャー
まずはとにかく、入ってくれてありがとうございます。めんどうくさい絡みばかりする頼りにならない先輩だったとは思います。ごめんなさい。1の仕事を振ったら10で返って来ることばかりで助けられましたし、普段から東大野球部が好きなんだなっていうのが強く伝わるのが良いところです。僕が引退するときはぜひ泣いてください。差し入れには期待しないでください。長くなるので個々に対してここでは言いませんが、山本考(3年/マネージャー/海城)のあだ名である「考える」を作ったのが僕ということはしっかりと伝承していってください。
みんなで東京大学野球部のマネージャーです。誰かがすべてをこなす必要もなければ、誰かがすべてを決める必要もありません。まじめなみんなは、自分ちょっとサボってるのかな、くらいがちょうど良い気もします。手を取り合って前に進む場面も、ぶつかりあって前に進む場面もあるかもしれませんが、立ち止まる時には一旦視点をちょっと先に向けてみてください。そうしたら今置かれている状況で自分が何をするべきなのかがちょっとは見えてくると思います。

同期のみんな
途中から入った変な僕を温かく迎え入れてくれて仲良くしてくれて本当にありがとうございました。ずっと近くで見てきた訳ではないけれど、悩みながらもチームのために貢献しようと努力している姿を見て自分もマネージャーとしてやって来ることができた面は間違いなくあります。最終学年になってからは特につらいことも多かったと思うけれど、そんな中でもここまで来た全員を心から尊敬します。だからこそ、リーグ戦はもちろん、オープン戦や引退試合でのみんなの活躍が一番うれしいです。引退しても仲良くしてください。

平田くん(4年/投手/都立西)長谷川くん(4年/投手/駒場東邦)
君たちがいなければ全く別の人生になっていたと思います、今となってはこの人生で大正解だったと思っているので感謝しかありません。ラスト、さんなな魂見せましょう。
特に長谷川くんは学科でも同じでいろいろと僕が助けました。名古屋での活躍は正直惚れそうでした。また動物園行きましょう。

青貝(3年/内野手/攻玉社)、久保(応援部/4年/攻玉社)
高校時代、教室でくだらない話ばかりしていたのに、こうして各々違う立場ながら同じ舞台でまた関わることができて正直びっくりです。青貝は来年もあるけれど、立教戦勝って高級焼肉行こう。

岩瀬、ちゃむる
入部時に同期が0人だったら自分は入ってなかったと思います。
最後の1年はどこか自分にベクトルが向いてしまっていて、それぞれに任せきりになってしまったなと思うことがたくさんあります。ここまで大きな問題なく野球部が1年間回ってきているのは間違いなく2人のおかけです。最後もう少し、月並みだけどみんな悔いなくがんばってたのしもう!!

両親
部活を筆頭に、日常生活の話を家で自分が全然しないせいでいろいろと迷惑をかけてきたと思います。大学生活はもちろん、昔からずっと自分の決断を尊重してくれて、行きたい道を行かせてくれるおかけで今の自分があります。まだまだ何も親孝行などできていないかと思いますが、これからもよろしくお願いします。

もしかしたらこれを読んでいる未来の東大野球部員候補の子
ちょっとの勇気だったり興味だったり直感だったり繋がりだったりで大げさじゃなく人生が変わるかもしれません。野球経験がないから、とか野球もあんまり詳しくないから、とかで諦めるには惜しいくらい東大野球部は魅力的で素敵です。断言できます。

読みにくい冗長な文章になってしまったと思います。
最後に、後輩マネージャーたちが誰も引き継いでくれないこのコーナーで締めたいと思います。

今週の1曲  T-Pistonz+KMC 『勝って泣こうゼッ!

 

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次回は10月19日(土)、德田菜月マネージャーを予定しております。

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