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『僕の野球人生』vol.26 佐藤 想真 アナリスト

4年生特集、『僕の野球人生』では、ラストシーズンを迎えた4年生に1人ずつ、今までの野球人生を振り返ってもらいます。

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「僕の野球人生」vol.26 佐藤 想真 アナリスト(4年/佐世保北)

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読むものだった『ぼくじん』がついに書くものになってしまいました。

想い返すとこれまで野球に関わってきた日々が「走馬灯」のように蘇ってきます。

目前に迫り来る引退を前に、僕の野球人生の「総まとめ」をすることにします。

 

積年の想いが重いので、”読み込み” に少し時間がかかるかもしれませんが、可能なところまでお付き合いください。それでは上から順にどうぞ。

 

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>>> from soma_baseball_memory import *

 

>>> childhood()

僕に残る最も古い野球に関する想い出は、2008年の巨人vs西武の日本シリーズのテレビ中継で、なぜか巨人を応援していた(ように見えた)両親の姿です。そのシリーズでサヨナラホームランを打つなど大活躍したラミレスが好きになり、野球、特に巨人について興味を持つようになりました。純長崎人の僕がなぜ巨人ファンなのかを、鷹党の井之口(3年/内野手/ラ・サール)を筆頭に今でもよく尋ねられるのですが、最も揺るがない深いところにルーツを持っています。街を走る個人タクシーと西部(さいぶ)タクシーを空目して、タクシー業界でも巨人西武が戦っているんだと勘違いしたり、背番号を打順だと勘違いして、3人しかいない姉僕vs父の草野球で5番を名乗ったりしていたのは今となってはいい想い出です。

 

小中学校時代はもっぱらピアノを弾いていて、特にどこかに所属して野球をするということはありませんでした。ソフト部/野球部 の理不尽に見える練習や、坊主必須などの厳しいルールに忌避感すら覚えていたくらいです。そういった経緯もあって中学校では「あそ部」を自称していた科学部に所属しました。しかし中高一貫校だったことが幸いし、中3の秋ごろ高校での部活を決めかねていた僕に、僕が野球好きであることを知っていた同級生でキャプテンの池田から、マネージャーとして勧誘を受けました。勉強や習い事をしながらやりがいのある部活をやりたいと考えていた僕は、これ幸いとこの提案を受け、僕の高校野球マネージャー人生が幕を開けました。

 

>>> high_school()

高校時代、最も印象に残っている出来事は、高校1年生の夏の大会、4番の2年生の先輩が打ち上げたフライが捕球された時のことです。スタンドで見ていた僕が目にしたのは、ネクストに立っていた3年生の先輩、打者だった先輩、ベンチにいた先輩方、皆が泣き崩れる姿でした。そこではじめて「一球に懸ける想い」のようなものを感じたことを覚えています。この出来事から、僕の野球への接し方は、はっきり変わりました。選手の悔いがないようにやれることをやれるだけ努める、この姿勢は今も変わらずに残っています。

 

もう一つ、周りよりも少し成績のよかった僕は、1年生の時の顧問の先生から熱烈な「東大へ行け」コールを受けました。「東大に行って佐世保北の名前を有名にしてこい」と。そんな東大なんて行けっこない、そんな大学まで行って高校の名前が引きづられることはない、と内心反発していた僕でしたが、どちらもその通りになりました。最後の悪あがきとばかりにこの場を借りて主張しておきますが、僕の高校は「佐世保北」です。長崎にあります。佐賀ではありません。これを見ている佐世保北の人がもしいたら、この機会に東大を目指してみてください。保証はしませんが、もしかしたらいいことがあるかもしれません。

 

高校時代にもデータを扱う仕事を齧りましたが、映像も正確な数値データもない中でしかも一発勝負の相手の分析をするには不十分でした。毎日坂ダッシュして、練習を補助して、部活が終わったら勉強をする、そんな日々を繰り返して、気付けば引退を迎えていました。

 

>>> todai()

当初東大野球部に入ることは微塵も考えていませんでした。野球は高校で終了、ギリギリで入った身だからちゃんと勉強しないとついていけないと考えていたので、特にどのサークルや部活にも所属せずに勉強する道を選びました。今と比べると考えられないくらい真面目でちゃんとした大学生でした。しかし、将来の目標もなく進む努力には限界がありました。身体が先に限界を迎え、コロナ禍による孤独感も相まって精神面でもうまくいかなくなりました。

 

野球部のアナリスト、という道を考え始めたのはそんな11月の頃でした。当時東京六大学については、六大学を全て言えるかすら怪しいくらいの知識量でしたが、高校時代にできなかった野球の分析が、東大に入ってから習った知識や大学野球のデータを用いるとできるようになるかもしれないと考えると、とても魅力的なものに映りました。今考えると、何のために勉強しているのかを見失っていた当時、役割と居場所が与えられる環境を欲していたのかもしれません。

野球部の見学を経て、実際に永田さん(R6卒)たちと話をして、もしアナリストとして入ったら新しい役職になることを知り、実際にトラックマンから取得されるデータを扱えることを知りました。出てくるどの話も魅力的でした。球場から見えるスカイツリーが綺麗でした。新しい役職だからこそある程度好きなように活動できるところが自分に合っていると感じ、東大野球部で初めて、兼任ではない専門のアナリストになる道を選択しました。

 

>>> tokyo_bbc()

コロナの影響で春の合宿もなかったため、入部して3ヶ月は午前の練習でひたすら先輩や同期の顔と名前を覚えつつ、午後はパソコンを開いて、データとにらめっこする日々を過ごしました。ほぼ引きこもり状態から一気に100人の大所帯の中で活動することは気疲れしましたが、その分やりがいも大きかったです。学生コーチの先輩の要望に応えたり、周さん(R4卒)が残してくださったものを動かしたりすることで、少しずつやれることを増やしていきました。 

 

東大野球部ではリーグ戦に向けて、選手一人一人が与えられた役割で分析しています。そんな環境で、果たしてアナリストは何の役に立つのか、本当に必要なのかと不安になることもありました。データを使える役職のアドバンテージを探し、何とか選手の役に立てるように格闘しました。その最たる成果が動画に関するあれこれです。具体的な内容は略しますが、数年前に比べて試合動画に対するアクセスは格段にしやすくなったはずです。

 

最近では 資料作成などの分析業務を後輩に任せて、主に試合記録システムの作成とそれに関わるデータの管理を担当しています。自分のシステムを作ること、想定通りに動かすことに魅力を感じたことがその理由ですが、正直にいうと野球を分析をすることに対して自信がなく、避けて辿り着いた仕事です。分析の核の部分に関して口出しできなかったことは不甲斐なく申し訳ないですが、向いていると感じた仕事に取り組んだことは今後のアナリストのためにも間違ってなかったと想っています。(想いたいです。)

 

壁にぶつかることも多かった三年間でした。チームがなかなか勝てない時期、うまくことが進まない時は、塞ぎたくなる時もありました。ただやめようと考えたことはなくて、それは野球部をやりきると決めたかつての自分の決意を無為にしたくなかったからです。せっかく手に入れた居場所を手放したくなかったからです。石井さん(R6卒) から言われた「初代アナリストがうまくいかんかったらこれからアナリスト入ってこんくなんで」という旨の言葉は今でも僕の根底にあり、道を外れそうになった時の助けになっています。東大球場にいくといつも誰かしらが練習していました。懸命に自主練する選手たちをみると、チームのため、選手のために何かしら行動を起こしたいという気持ちになりました。

 

僕を動かす原動力は東大野球部の勝利でした。初めて勝利を経験した2秋の慶應戦の高揚を今でも覚えています。今までの苦労が全て報われる感覚は何にも代え難い経験で、チームの勝利を目標に行動を起こし、勝ってその勢いを加速させる、そのサイクルで突き進んだ三年間でした。

 

>>> message(to=”先輩”)

何も経験のなかった自分を温かく受け入れてくれた先輩方にはとても感謝しています。自分の力量を考えつつ要望を出してくださり、やれる仕事の幅がどんどん広がりました。たかしげさん(R5卒) を始めとする先輩方の要望や発想がきっかけで、今のアナリストとしての仕事として定着したものも多くあります。

今出来る最大限の分析を先輩方の代でも提供できたらよかったのにと考えることがよくあります。力及ばず申し訳ありません。できることが増えた分、今後もその利を活かして必死に戦っていきますので、これからも応援よろしくお願いします。

 

>>> message(to=”アナリストたち”)

まず、アナリストとして入部してくれてありがとう。みんなのおかげでアナリストの活動を維持できています。正直頼りない背中しか見せた覚えがありませんが、ここまでついてきてくれてありがとう。できる後輩に恵まれて、僕は幸せでした。特にうちこー(内田倖太郎/3年/アナリスト/広島学院)中島(3年/アナリスト/開成)には感謝してもしきれません。VR、サイト etc… 僕にはできないことをたくさん実現してくれました。こんな大所帯になったのもふたりの力あってこそです。ありがとう。ありがとう。

 

今のみんなには幸いにして、アナリストの同期がいます。これは僕には叶わなかったことでめちゃくちゃ羨ましいことです。同期を大切にしてください。(Rapsodo と GitHubも。)お互いに助け合って、信頼しあってください。

まだやれること、僕ができなかったことは、いっっっっっっっっぱいあります。何が今足りていないか、何をするといいかをみんなで考えて探してみてください。そして、アナリスト全体としての守備範囲をどんどん広げていってください。でも、あまり自分しかできない仕事を増やしすぎないようにしてください。誰が言ってんだって感じですが、負担も分け合いましょう。

 

残りあと1カード、みんなの力を貸してください。

リーグ戦終わったらまたみんなでうちこーの作った肉玉そば食べよう。

 

>>> message(to=”選手”)

皆さんが普段目にする資料や動画などは、選手に存分に活用してほしいというアナリストの想いがあります。なので、最大限使いこなしてください。不便や不自由を感じたら、遠慮なくアナリストに意見してください。それがお互いのためになります。そして、それらのデータはどれも簡単に出しているように見えてもアナリストの相応の手間と努力が背後にあります。そこだけはどうかどうか忘れないでください。

 

>>> message(to=”同期”)

やっぱり同期が大好きでした。僕の大学生活は、長崎弁の唯一通じる夜食長平田(4年/投手/都立西)とのおしゃべりとか、府川さん(4年/捕手/西大和学園)芳野(4年/外野手/西大和学園)の西大和のコミュ力には助けられてばっかだったこととか、そうまでどっちも反応しちゃう最近ダル絡みしてくるもう一人のそうま(西前/4年/内野手/彦根東)とか、なんだかんだ一緒にいた江口(江口雅/4年/内野手/海城)とか、気づいたら夜いっつも練習してるかいち(4年/内野手/開成)網岡(4年/内野手/六甲学院)とか、要所要所で抱きついている(?)岩瀬(4年/主務/開成)とか、谷保(4年/学生コーチ/屋代)谷村(4年/内野手/湘南)と行った弾丸長野ドライブとか、2年の七大戦で藤田(4年/内野手/岡山大安寺)と同部屋になって緊張したとか、会ったらうぇ~いしか言わない真ちゃん(山口真/4年/内野手/小山台)とか、たまーに奇怪なLINEを送ってくる松原(4年/外野手/土佐)なっちゃん(德田/4年/マネージャー/学芸大附)とか、大好きな(?)門池(4年/学生コーチ/都立富士)と屋上でふかしながら飲んだ時とか、挙げ出すとキリがないほど、みんなとの想い出と共にあります。

 

角能(4年/マネージャー/攻玉社) じゃないけど最後は勝って泣かせてください。

 

>>> message(to=”家族”)

野球部に入ってからほぼ年1しか帰ってなくてごめん、これからは年2は帰ります。

 

>>> message(to=”応援部の皆さんへ”)

近日公開の私の最後のnote 企画をご覧ください。全て詰め込みました。

 

>>> conclusion()

僕が東大野球部に入部した選択に後悔はありません。

91 = 7・13(悔い[91] は[=] 無[7] いさ[13] と割り切れる[・])くらいには僕は東大野球部に対して力を尽くした自負があります。

 

僕はスタッフなので、選手ほど引退による区切りがありません。引退してもただ東大野球部の中から外に出るだけで、きっと卒部後でも今と変わらずに東大野球部を気にかけ、追いかけ、一喜一憂することでしょう。その点で僕の野球人生は続いていきます。

 

つまり、僕が東大野球部を「想」い続ける限り、

僕の野球人生という命題は「真」です。

 

>>> exit()

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次回は10月21日(月)、府川副将を予定しております。