新入生紹介㉔~西川壮~
新入生紹介㉔です!
————————————————————————
はじめまして。
人間科学部、1年の西川 壮です。
出身は兵庫県神戸市、出身校は滝川高校です。私の生まれた「兵庫県」また「神戸」についていざ、考えてみると、正直、有名な食べ物や場所が思いつきません(笑)。ただ、人情味溢れる暖かい都市であることは間違いありません。
「私の人生のターニングポイント」ですが、それは間違いなく、2019年2月27日です。この時、全てが変わりました。時間は幼少期に遡ります。
初めて野球の早慶戦を見た時から早稲田大学に憧れた。「ここで野球がしたい。」そう思った。しかし、それは漠然としたもので、全てに甘かった自分は「いつか行ける。」程度にしか思っていなかった。早稲田を知らなさすぎた。想いは強くなる一方、行動が伴わない。
滝川高校へも早稲田大学の指定校を目指して入学した。それでも、早稲田へ届くほどの勉強と成績ではなかった。
でも、やっぱり早稲田でないとダメだった。一般受験を決めた。
「1浪すれば何とかなる」と思っていたのどろう。意識はまだ変わらない。思うような結果を出せず、両親が2浪目を許してくれた。1浪を経て、ある程度の基礎ができており、それなりの手応えがあった。しかし、早稲田には届かなかった。
自分に早稲田大学は無理だった。
合格していた法政大学へ入学を決めた。もちろん悔しさはあった。ただ法政大学も東京六大学の1つであり、伝統ある素晴らしい大学には変わりない。法政大学で野球をするために気持ちを切り替えて、前を向いた。けれど、入学間近、様々な理由から法政で野球ができなくなった。絶望した。何もかもがわからなくなった。
東京六大学で野球をすることが浪人を決めた大きな理由の1つであったから。
野球ができない状態で4年間通うことができるのか。自問自答を繰り返した。
答えは早々に出た。不可能だった。
そうなればやることは1つしかなかった。チャンスだと思った。
法政大学に通いながら、再び早稲田大学を目指す日々が始まった。早稲田のためなら3浪になることなんて気にならなかった。それだけ早稲田は自分にとって特別であったから。浪人の苦しさなんかより、早稲田に行けないと分かった時の方が何倍も辛かった。
親以外にはほとんど言わず、孤独と戦う日々だった。辛い時はとにかく早稲田にいる自分をイメージした。
2019年2月27日、掲示板には4年間、望み続けた自分の受験番号がそこにはあった。
自分にとって、ようやくたどり着いた早稲田大学野球部でした。決して、1本道ではありませんでしたが、この経験は早稲田での4年間に必ず生きてくると思います。
簡単にはできない「経験」と誰にも負けない早稲田大学野球部への「想い」を持って、憧れ続けた早稲田大学野球部という場所で野球ができることに常に感謝し、また、これまで1番応援し、サポートしてくれた家族、そして友達、高校時代の監督含めお世話になった全ての方々に野球の結果という形で感謝を示せるように必死で頑張ります。
長文読んでいただき、ありがとうございました。