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号外WEB版

通常、紙面にてお届けしている号外スタイルの東京六大学野球情報紙。 2020年秋季からは特別版として、本サイト上にて掲載させていただきます。 野球部員による記事だけでなく、各大学の新聞部や応援部などの様々な寄稿がこの号外を盛り上げます。

TOKYOROCKS2025 春季号外

第6週

ウチのムードメーカー

2025/5/14 UP
CLOSE

早稲田大学

今季、早稲田が誇るムードメーカーは、山口力樹(4年=早稲田佐賀)だ。今季から代走要員としてベンチ入りし、試合の緊迫した場面で起用されている。俊足を武器に、流れを変える大きな役割を担っており、今季の「足」を生かした攻撃を支える欠かせない存在だ。一点を争う場面で、山口の走力がチームにもたらす期待は計り知れない。しかし、山口の魅力はプレーだけにとどまらない。常に明るく、誰よりも周囲を笑顔にし、チームに和やかな空気をもたらす。彼のまわりには自然と部員が集まり、明るい雰囲気を広げている。声でもプレーでも、チームに勢いを与える山口力樹。その俊足と明るさで、早稲田の“起爆剤”としてチームを勝利へと導いてくれることだろう。(北嶋晴輝)

慶應義塾大学

慶應義塾野球部のムードメーカーといえば、真田壮之(4年=慶應)をおいて他にいない。出場機会は代打での数少ないチャンスに限られるが、彼の存在感はプレーだけにとどまらない。応援席では、誰よりも先頭に立って声を張り上げ、スタンド全体を巻き込んでチームを鼓舞する。チャンスの場面では誰よりも大きく飛び跳ね、ピンチの場面では力強い声で選手たちを支える。その姿はまさにムードメーカーの名にふさわしく、チームの士気を一瞬で引き上げる。彼の明るさを見たい人は、ぜひYouTubeで「慶應野球部 壮行会」と検索してほしい。圧倒的なユーモアセンスに、あなたもきっと彼の虜になるだろう。彼の周りには自然と人が集まり、その中心にはいつも明るい笑顔がある。さらに、面白いだけではない。背が高く、優しく、声がよく、歌が上手く、字まで綺麗。真田壮之はまさに“ハイスペック男”なのだ。残り法政・早稲田との決戦も、真田の存在がチームを一つにし、勝利へと導く。彼の笑顔と声で、慶應に“熱狂”をもたらしてくれることは間違いない。(田村早絵)

明治大学

明治大学野球部のムードメーカーは、間違いなく瀨千皓(4年=天理)、今井英寿(4年=松商学園)である。彼らはどんな時でもチームの前に立ち、明るく元気で、みんなを賑やかにしてくれるチームの中心だ。瀨は副将も務めており、チームを引っ張る姿を多く見せている。ベンチスタートが中心となっているが、誰よりもベンチ内で声を上げチームを鼓舞する。そんな彼が打席に立つとベンチも一段と盛り上がる。ここまで代打で4打席に立つものの安打はない。「何か起こしてくれる」そんな魅力を持っている。今井は持ち前の明るい性格でチームに元気をもたらす存在である。これまで血を滲む努力、人一倍の練習の成果で、オープン戦から結果を残し、開幕戦では「5番・ファースト」のスタメンを勝ち取った。しかしここまで1安打と自慢の打棒を発揮できていない。2人の最終学年にかける思いは誰よりも強い。優勝のためにはこの2人の爆発が必要不可欠である。明大野球部の“元気印”が神宮球場を沸かせる。(本岡里空)

法政大学

法政のムードメーカーといえば、今泉秀悟(2年•石見智翠館)だ。彼は兄に現トヨタ自動車野球部で活躍する今泉颯太(R2卒•中京大中京-法大)をもつ生粋の法政兄弟の弟である。入学時は捕手として入学するも、チーム随一の野球センスで2年生ながらファーストのレギュラーとして今春デビューした。彼の持ち味はクリーンナップを任せられるチャンス強さと高い守備能力だけではない。元々の捕手としてのゲームメイク能力や守備時の司令塔としてチームを牽引している。また、彼のストロングポイントは技術面のみならず、根っからの明るさや元気さであり彼の声や存在は非常にありがたく、なくてはならない存在である。2年生ながらゲームに出続けるプレッシャーに耐えるメンタリティ、そしてフィジカルは申し分ない。彼の早大2回戦での活躍は鮮明だ。残り2カードの4連勝ひいては大逆転優勝の鍵は彼にかかっている。(藤森創立)

東京大学

東大野球部のムードメーカーとして青貝尚柾(4年=攻玉社)を挙げたい。明るく親しみやすい性格で、同期にも後輩にも愛される存在だ。どんな状況でも諦めず、常に前向きな声を掛け続け、ベンチの空気をポジティブに保っている。その声は試合の流れを変えることもあり、チームにとって欠かせない。ベンチでは真剣な声かけから思わず笑ってしまうような冗談まで、幅広く叫び続けている。ぜひ球場で耳を澄ませ、青貝の声に注目してほしい。(奥畑ひかり)

立教大学

今年のチームにおけるムードメーカーといえば、三宅義人(4年=立教新座)の名が挙がる(写真右)。リーグ戦のベンチ入りこそないものの、トレーニングコーチとして選手のトレーニングやウォーミングアップを主導し、ノッカーやバッティングピッチャーも務めるなど、多岐にわたる役割を担っている。なかでも彼の最大の武器は、その「声」だ。グラウンドに響き渡る力強い掛け声は、練習や試合前のウォーミングアップを一気に活気づけ、チーム全体に明るい空気をもたらす。常にチームの雰囲気を和らげ、自然と周囲に笑顔が広がる存在でもある。また、トレーニングコーチとして選手を指導するという難しい立場にありながらも、前向きな姿勢でチームを支え続けている。今季のチームに宿る一体感と粘り強さの背景には、三宅の明るさと献身が確かにある。(大場航誠)

応援席から

法政大学応援団

本年で東京六大学野球が百周年を迎え、応援席から見ても昨年とは少し変わった試合となっている。
やはり新たに導入された始球式には不思議な力を感じる。
両校、これから鎬を削って戦う前に行われる始球式には様々な形で六大学野球を支えて下さったレジェンドに行っていただけるが、それを見る時、神宮球場の空気は一丸となる。

そこから始まる試合は、どの大学も引けを取らない戦いを繰り広げる。勝利を掴むために全力で戦うその姿は見る者に感動を与え、球場を没入の渦に引き込む。
百周年を迎える今、新たな歴史の第一歩を我々は目の当たりにしている。皆様のご声援、心よりお待ちしております。
(法政大学応援団第100代 団長 布施拓真)

神宮六景

ブルペンからの風景

私は平成5年に入学しました。長野県長野高校を卒業し、2浪の末に早稲田大学野球部に入部しました。当時の私は早稲田大学野球部の歴史や東京六大学野球連盟の歴史を正直なところ詳しく知りませんでした。地方出身の私にとって大学野球とは高校の先輩で大学でも野球を続けた人からの話と、唯一テレビで見ることの出来た早慶戦だけでした。私はその早慶戦をテレビで見たことがきっかけで、自分もこの舞台でプレーをしたいと思い、浪人生活を経て入部した訳です。入学後、諸先輩方より早稲田の歴史、連盟の歴史を聞くにつれ、その重みの中に身を置く事を光栄に思うと共に身が引き締まる思いを感じたものです。

私のポジションはピッチャーだったのですが、幸いにも1年生の時から度々ベンチに入れてもらう機会を得ることができました。しかし、ベンチには入るものの試合で投げることは2年生の秋までありませんでした。必然的に神宮のブルペンに居る時間が長くありました。そのブルペンからの景色でとても印象に残っている話をひとつ。それは学生席の応援風景です。ご存知の通りブルペンのすぐ横は学生席です。応援部リーダーによる「学生注目!」から始まるウィットに富んだ選手を鼓舞するかけ声、それに呼応する学生。得点が入った瞬間の間髪を容れずに始まる「紺碧の空」。早慶戦に勝った時にのみ歌われる「早稲田の栄光」等々。他の五大学も同様ですが、六大学は非常に伝統的で特長的な応援が繰り広げられますが、ブルペンに長く居た私はその応援を間近で見ることができた訳です。その中でも最も印象に残っているのは、秋の早慶戦での応援部リーダー4年生全員によるコンバットマーチです。なんとそのリーダー達は涙を流しながら応援していたのです。もちろんその4年生のリーダーにとって神宮での応援は最後になると言うこともあったのでしょう。しかし、涙を流してまで人の為に応援するその姿に私は目頭が熱くなりました。そして沢山の人から熱く応援してもらえる野球部、連盟の環境を、非常に有り難く幸せに感じると共に、自分は本当にこれだけの人から応援される事に見合うだけの努力をしているのか?もっと頑張れるのではないか?と奮い立たせてもらいました。

来年は早稲田大学野球部創部125年と言う節目の年です。「125」とは早稲田にとって重要な数字です。創立者大隈重信が唱えた人生125年説による数字であり、2007年には大学創立125年の記念式典などが行われました。また、大隈講堂の時計塔はその数字にあやかり125尺の高さです。

今年が連盟100周年、来年が創部125年と記念の年が続きます。
後輩の皆さんにはどうか沢山の人から応援してもらい、早稲田らしい野球で記念の年に花を添えて頂きたいと切に願うばかりです。
そして私達と同様、卒業後に早稲田の良さ、六大学野球の偉大さを更に感じてください。

(平成9年卒業 関 英明)

第5週

我が部に欠かせない人物

2025/5/7 UP
OPEN

立教大学

立教大学野球部において、アナリスト陣なしに強くなることはできない。弊部にアナリストが創設されたのは1年前。創設メンバーである湯浅優大(2年=立教新座)、深見脩斗(2年=狭山ヶ丘) 、諸岡孝祐(2年=成田)は、日々の練習におけるデータ、オープン戦でのデータ・映像、リーグ戦で提供される高度なデータなど様々な素材を扱い、前例のない中で試行錯誤を繰り返した。彼らは、自らの分析力を武器に一から信頼を築き上げ、現状に満足することなく日々その精度を高め続けている。この春には、1カ月半に及ぶキャンプにも帯同し、データを駆使しながら個人そしてチームの弱点克服に取り組んできた。アナリストがチームに与える影響は計り知れない。試合前のデータミーティングでは分析した対戦相手の傾向をチーム内に共有しており、このデータミーティングこそが戦略の中核をなしている。スポットライトが当たることの少ない役職かもしれないが、優勝を目指すチームにとって、まさに欠かせない存在である。今度は、選手たちがリーグ戦での勝利をもって、彼らの尽力に応える。(小野馨子)

早稲田大学

早大野球部にとって欠かせない人物は、4年生の学生コーチ陣だ。新人監督の大西創志(4年=城北)と投手コーチの冨田大地(4年=日立一)、そして学生コーチの中島稜太(4年=桐朋)、畑﨑一颯(4年=早大本庄)の4名は、最高学年として、チームのために自らを捧げている。大西は、首脳陣と連携をとりながら練習メニューを考え、チームを支えている。リーグ戦ではノッカーや三塁コーチャーを務め、声でチームを鼓舞する。冨田は、約60名の投手陣の意見に耳を傾けながら、個性ある彼らをまとめ上げている。中島と畑﨑は、主にメンバー外の練習を見ている。2人の細かな気配りと献身的な姿勢が、チーム全体の士気をー高めているに違いない。そして、彼らは、常に情報を共有しながらチームをまとめ上げている。時には厳しい声掛けをしながらも、仲間のために身を削り、“リーグ戦優勝”そして“日本一”という目標に向け、チームをまとめ上げる彼らの存在はチームに欠かせない。(井上彩希)

慶應義塾大学

我が部に欠かせない人物は副主将を務める今泉将(4年=慶應)である。今泉が副主将に推薦された理由は野球に対する真摯な姿勢とチームを牽引する発言力にある。毎日、一人黙々とバットを振る姿は彼が“努力の天才”であると共に、生粋の野球小僧であることを感じさせられる。また、優れた言語化能力を持ち、的確な指示出しと仲間を鼓舞する声かけによってチームは結束し、成長を遂げてきた。しかし、今泉の野球人生は決して順風満帆ではなかった。チーム屈指の長打力を誇る彼は、下級生時代から代打の切り札としてリーグ戦に出場する一方、2軍で鍛錬に励む下積み時代も長く、プレッシャーに苦しむ時期もあった。だからこそ今、彼には広い視野と深い共感力が備わっており、多くの部員の思いに寄り添いながら、言葉と行動でチームを引っ張ることができるのである。投手の主将である外丸東眞(4年=前橋育英)を支える副将であり、野手のリーダーでもある今泉将はまさに我が部にとって欠かすことのできない存在だ。神宮球場で躍動する背番号1、その一挙手一投足をとくとご覧いただきたい。(勝野淳)

明治大学

明治大学野球部にとってこの二人の存在は欠かすことができない。学生コーチとしてチームをまとめる遠藤雄介(4年=広島商業)と八幡優介(4年=明大中野)である。遠藤は1年生から学生コーチを務め、誰よりも早くグラウンドに出て整備を行うなど、誰よりもチームのことを考える熱い男。八幡は新チーム発足時にチームの“日本一“という目標に自分がどうすれば貢献できるかを考えた結果、彼は学生コーチになるという大きな決断をした。そんな彼らは常に日本一を意識し、チームの勝利のために動いている。指導者と選手の架け橋となり、日本一のチームになるために、選手へも自分へも一切の妥協を許さない。彼らの存在があるからこそチームにまとまりができている。リーグ戦では、遠藤は三塁コーチャーとして背番号40を付けて腕を回し続ける。八幡はブルペンとベンチを動き回り、選手を万全な状態で試合に送り出す。そんな彼らが明大野球部を“日本一”へと導く。神宮球場で躍動する二人にも注目してほしい。(本岡里空)

法政大学

我がチームに欠かせないメンバーと言えば、学生コーチ幹部の一角を担う平尾聡一郎(4年・海星)と鶴丸紘(4年・都城東)の2人です。学生コーチの仕事といえば、読者の皆さまは練習のサポートやノッカーなど補助的なイメージを持たれる方が多いかと思いますが、実はそうではありません。法政大学野球部の学生コーチは、首脳陣と選手の現場的な橋渡し役や現場の学生のトップとしてチームをリードしていく役割を担っており、平尾と鶴丸はそのトップとしてチームを引っ張っています。平尾・鶴丸は現場のトップとしてチームを俯瞰し、技術面のみならず選手個人のモチベーションや体調面の管理、またチームに足りないと思うことがあった時、それを改善すべくミーティングを2人が主体で開催するなど、チーム力向上に非常に貢献しています。現場の学生のトップとして、時には、いや常日頃からチームを律するべく、毎日朝からグラウンドに出て声を出し、チームを引っ張ってくれている平尾・鶴丸を中心とした学生コーチには感謝とリスペクトしかありません。この場を借りて感謝申し上げます。いつも本当にありがとう。またもう一度この場をお借りして、部員にも一言伝えさせてください。もう一回学生コーチへの感謝とリスペクトの気持ちを持って、ハングリー精神を忘れないでいくぞ。必ず勝機が来るはず。
法政大学野球部の現状は、ファンの方々や読者の皆様方からすると物足りなく、厳しい目が向けられている現状があるのは我々学生も承知しております。ただ、現状を打破し、残された3カードを勝ち抜くため、学生コーチの平尾・鶴丸を中心に我々168名も必死になり前を向いています。皆様のご期待の沿うべく、こんなところでは終わらない、こんなものでは下を向かない、ハングリー精神溢れる、法政大学野球部の熱い残り3カードを是非神宮球場でご覧ください。(藤森創立)

東京大学

主将の杉浦海大(4年=湘南)なしでこの部は成り立たないだろう。扇の要としては、広い視野と的確な指示で、グラウンドを支配している。試合前には、アナリストや各ポジションとミーティングを重ね、入念な準備を怠らない。1年春のフレッシュリーグでは神宮初打席でホームランを放ち、昨秋のリーグ戦でバックスクリーンに放り込んだパンチ力のあるバッティングにも注目だ。野球での活躍も勿論だが、グラウンド外での改革で彼は本領を発揮する。首脳陣とより風通しの良い関係を築くため話し合いの場を設け、チームの弱点を補強するためにコーチの就任を監督に依頼するなど、溢れ出るアイディアは止まることを知らない。また、選手全員に記録する習慣をつけさせることで、意識にバラツキのある現状打破に動いている。良い試合をすることではなく、とにかく「勝利」という結果にこだわる、チーム杉浦をぜひ一度神宮球場でご覧いただきたい。(奥畑ひかり)

応援席から

東京大学新聞社

昨秋7年ぶりに2勝を挙げ、東京「六」大学野球の1校としての存在感を高めた東大。全敗だった春季リーグ戦から一転、完投能力の高い先発投手陣と、重点的な練習が功を奏して実現した安定感のある守備陣。そしてベストナインにも選ばれた中山太陽(経4=宇都宮)を中心とする勝負強い打者陣は、他大学の脅威となった。
今春はここまで(※執筆時点)勝利こそないが、五大学に迫る足音をさらに大きくしている。開幕戦では昨秋の開幕戦で20-0で敗北した早大に、1―4と善戦。さらに開幕戦からカード1戦目を任されている渡辺向輝(農4=海城)はアンダースローから自在に球種を繰り出し、相手打者に的を絞らせず次々とフライアウトを奪っていく。3戦連続のQS(6回以上を投げて自責点3点以下)を達成する安定感だ。
打者陣でも、今春飛躍した「2年生トリオ」が躍動。秋元諒(文Ⅰ2=市川)が早大・伊藤樹から一時同点となるホームランを放ったと思えば、荒井慶斗(文Ⅲ2=宇都宮)も初安打を記録。樋口航介(理Ⅰ2=海城)も同戦で2安打と期待に応え、大久保裕監督が打撃の評価が高い選手に任せることが多い2番打者を任されている。
試合結果も「善戦」という試合が多い。3カード・6試合を終えて、5回裏終了時点で2点差以内だったのは5試合。うち2試合では相手校に先制されながらも、打線が追い上げ同点につながった。相手校も必死の継投で東大の攻撃を抑えにかかってくる中で、東大打線は終盤まで追いすがり、「一発でれば同点」という試合も。最後まで目が話せない試合展開に、応援席は最後まで盛り上がりを見せる。
「応援席から」見る今年の風景は、いつもと少し違う。「勝ち点獲得」という目標を達成するため、ファンは声援を送り続ける。記者は選手の活躍を追い続ける。(宇城謙人)

神宮六景

「神宮球場」 “回想”
「東京六大学野球連盟結成100周年」誠におめでとうございます。
私は1970(昭和45)年入学、1970~1973年の春秋8シーズンを神宮球場でプレーし、2004~2009の6年間は監督を努めさせて頂き入学時から卒業迄に多くの事を学び経験し、卒業後の社会人・企業人の根幹となる人生の基礎を築いた空間と時間でした。

1970年春季新人戦(フレッシュリーグ)で初めて神宮球場の土を踏み無我夢中でプレーした記憶が鮮明に残っています。2年生の春季リーグ戦から二塁手として出場しましたがチームに貢献出来るほどの選手ではありませんでした。
立教グランドでは故篠原一豊監督のもと「六大学で一番弱いチームは六大一の練習をするんだ」という意識のもとで12月合宿中は毎日グランド30周、8月には100メートルダッシュ100本を連日走り込み、精神と肉体を鍛錬し、技術的には「逆方向と進塁打を打てる打者になれ」でした。

1972(昭和47)年7月8日~18日の第一回日米大学野球選手権大会に選出され、神宮球場を皮切りに、神宮1・2・5・6・7戦・第3戦は岡山県営球場・第4戦は中日球場で開催。全日本選抜は山口高志投手(関西大→松下電器(現パナソニック)→阪急D1位)の力投で5勝2敗、初の栄冠を手にしました。
この初戦開会式セレモニーは、当時の明仁皇太子ご夫妻(現上皇様、上皇后様)をお迎えし、35,000人の観衆の中、国内スポーツ競技では初めて皇太子殿下が来賓席からバニスター・萩野両主将に試合球を渡す始球式で開幕。第一戦の米国トップバッターは後に読売巨人軍の最強助っ人ウォーレン・クロマティー選手でした。

日本チームには六大学連盟から石井藤吉郎総監督(早大監督)大戸コーチ(慶大監督)他主務・選手として慶應4名、法政3名、早稲田2名、立教2名、明治1名の合計14名が出場し活躍。大変残念なことは大会第2戦で頭部に送球が当たり東門明選手が他界されたことでした。
※2025年は7/8~13に札幌・新潟・神宮で開催予定です。

当時の立教大学選手には自分の名前が初めてスコアボードに出たのを見て涙することもありました。メールもLINEも無い時代です、名前と出身校が新聞・ラジオで報道させると、両親・知人・友人に「自分が元気で頑張っていることを知ってくれる」と精進した選手もいました。神宮球場のスコアボードには夢や希望を感じていました。

1974(昭和49)年に卒業、松下電器に入社と同時に社会人野球選手としてスタートし、8年間仕事・野球を両立、後に20年間社業を勤め50歳を超えて母校監督のお話を頂き、再び神宮球場に戻れる喜びと不安が交差し、52歳の12月から指揮を執り、春季キャンプ・オープン戦を経て、六大学社会人対抗戦で20年ぶりに神宮球場を訪れた際、故長船騏郎事務局長が「おっ、坂口お帰り!」と笑顔で迎えて頂いた時が今でも忘れられません。とても嬉しい瞬間でした。
社会人になり、神宮球場で学んだ「思いやり・諦めない・誠意」、野球から学んだ「準備・努力・根気」を常に心掛けてきました。

日本野球界を温かく見守りリード頂いた故長船騏郎様、厳しくも愛情豊かに育てて頂いた故篠原一豊監督様、いつも優しい戸頃啓前神宮球場長様、本当にお世話になりました。
現在新球場建設等、変革の時期で大変ご苦労されている内藤雅之事務局長様、永渕義規球場長様、今後とも日本野球界を宜しくお願い申し上げます。
最後になりますが、100年という輝かしい歴史と伝統のある東京六大学野球連盟において10年間にわたり神宮球場でプレー・指揮させて頂いたことに重ねて感謝致します。

(立教大学1974(昭和49)年卒業 坂口雅久)

第4週

影のスペシャリスト

2025/4/30 UP
OPEN

東京大学

スタッフ陣は各々の得意分野で東大野球部を裏から支えている。学生コーチはチームのブレインとして練習メニューを考え、選手全員がモチベーション高く取り組める環境を作っている。選手と首脳陣との潤滑油としての役割も果たし、選手起用やチームの戦略を進言している。アナリストは東大と五大学との差を頭脳で埋めるべく、技術を駆使している。データの収集や分析を行い、選手に見やすい形で提供している。昨年からVRを用い、神宮球場で相手投手と対戦を本番前に練習できる環境を作ってくれている。我々マネージャーは、選手達が野球に集中できる環境を作るため、会計や広報、合宿の運営といった野球以外に関する仕事のほぼ全てを行なっている。リーグ戦の際は自チームの試合のみならず、全ての試合の日に六大学のマネージャーが協力して運営している。さらに今年から学生トレーナーの募集を始めた。体格で劣る東大野球部の強化に欠かせない部門である。今後の活躍にご期待いただきたい。「逆襲」のためには99人の選手と37人のスタッフが同じ方向を向いて立ち向かうことが不可欠だ。(奥畑ひかり)

立教大学

立教大学野球部の影のスペシャリストは、宮本兵馬(4年=静岡)、吉川大輝(4年=立教池袋)、三宅義人(4年=立教新座)、鈴木暉(4年=立教新座)、外山勇輝(4年=沼田)、南木力斗(4年=立教新座) 6人の4年生学生コーチである。彼らは全員、選手として立教大学野球部の門をたたいた。しかし、チーム事情やさまざまな葛藤の末、自らの選手としての希望を断ち切り、「チームのためになりたい」という強い思いから学生コーチへと転身したのである。私は4年間、彼らと共に活動してきた。その中で、同学年のスタッフが増えることは純粋にうれしい反面、選手としての道を自ら断ち、裏方に回る決断をした彼らの覚悟には、心から尊敬の念を抱いている。学生コーチの業務は多岐にわたる。練習メニューの作成、選手のコンディション管理、そして監督やコーチ陣と選手の間に立つ中間管理職的な役割まで担っている。時には選手に厳しく接し、時には指導者に対して意見を述べるなど、非常に繊細かつ難しいポジションである。今回は、リーグ戦のベンチ入りを果たしている2人、学生コーチチーフの宮本兵馬と、投手コーチを務める吉川大輝を紹介する。宮本は、リーグ戦前のシートノックや三塁コーチャーも担当している。個性豊かな選手たちを自身が盾となってまとめあげ、新チーム発足から約半年で着実にチームを成長させてきた。日に日に精度が増すシートノックにも目が離せない。吉川は、投手コーチとして戸村コーチと連携を取りながら継投の判断を担っている。試合状況に応じたブルペンの管理や、ベンチで登板中の投手のフォローなど、責任重大な役割を果たしている。この6人の学生コーチによる見えない努力と支えによって、立教大学野球部は成り立っている。今後も彼らの献身的な働きに感謝しながら、チーム一丸となって日本一を目指して飛躍する。(田中佑樹)

早稲田大学

早大の「影のスペシャリスト」として、学生トレーナーの飯島周良(4年=早大本庄)を挙げたい。飯島は2年時に選手から学生トレーナーに転身した。ウォーミングアップの管理、怪我人の状況管理、トレーニング指導などを担っている。選手のニーズをヒアリングし、メニューの考案も行っている。今年のチームは走力を高めるメニューを多く取り入れており、これまでのリーグ戦で結果となって現れている。また、練習で学生コーチが不足している際はノックを打ったり、リーグ戦時の栄養管理を担ったりと、日々の練習からリーグ戦に至るまで、あらゆる面でチームを支えている。飯島は、3名いる学生トレーナー陣のまとめ役であり、首脳陣・学生スタッフ陣とコミュニケーションを取りながら、部員のフィジカル面を統率している。表に出る役割ではないが、早大野球部の基礎を作る、重要な役割である。選手・スタッフ一丸となり、目指すは春季リーグ戦優勝のみである。(成瀬かおり)

慶應義塾大学

慶應の影のスペシャリストはコンディショニングスタッフとして最終学年を迎えた大倉真結(4年=桐蔭学園)、太田陽(4年=金沢)である。コンディショニングスタッフは彼らの入部時に新設された部門であり、選手が野球に集中できる環境を目指して創り上げてきた。入部時は、テーピングの巻き方や専門知識の習得、チームとの関わり方など試行錯誤することが多かったが、最終学年となった今では後輩6名のコンディショニングスタッフと共にチームを支える大切な役割を担っている。太田は持ち前の美声と的確な指示でウォーミングアップを取り仕切り、選手が最高のパフォーマンスを発揮できるようにサポートをする。大倉はグラウンドを駆け回り150名を超える選手のケアと試合時には冷たいスムージーを作るなど選手に寄り添った丁寧な仕事が印象的である。チームが苦しい時、辛い時にこそ、誰よりも選手の近くで活動してきた初代コンディショニングスタッフが必ず力になってくれるだろう。(勝野淳)

明治大学

明治大学野球部の影のスペシャリストは石田健太朗(3年=大阪三島)、中薗遼太郎(3年=県船橋)を中心としたアナリスト陣である。弊部にアナリストが創設されて4年目。石田健太朗、中薗遼太郎が入部と同時に創設され、とうとう最終学年を迎えた。今年は1年生が4名加わり、総勢8名で活動している。彼らが現在のチームにおいて果たしている役割は、計り知れない。データの意味を選手が理解できるように可視化、言語化し伝えている。現状にとどまることなく日々精度は高くなっており、常にレベルアップを遂げている。選手からの信頼は厚く、日々の練習だけでなく試合前、試合後などは彼らにアドバイスを求める選手が多くいる。スポットライトが当たることのない役職かもしれないがが、四冠達成を目標に掲げるチームにとって欠かせない存在であるのは間違いない。そんなアナリストの努力がチームの勝利、リーグ戦優勝へと導く。(本岡里空)

法政大学

法大の影のスペシャリストをあげるとすれば、奥田琉(4年・副務・横浜緑ケ丘)である。彼女は4年の女子マネージャーであり、近年の法政では久々の副務として任命された逸材である。彼女のストロングポイントはなんといっても頭の回転の速さと会計担当としての確固たる責任感の強さである。近年の法政はなんとしてもこの優勝から遠ざかる低迷期から脱却できるよう日々新たなことにチャレンジし、さまざまな試行錯誤がなされ、その際に彼女の持ち味は発揮される。現場から一歩引き、チーム全体を俯瞰した上でチームの財政面や女性ならではの丁寧かつ繊細な感覚から、チームの組織力向上にはなくてはならない意見を多々出してくれ彼女なしでは今のチーム松下は回らない。私個人的にも彼女とは意見のすれ違い等でぶつかり合ったことも多々ある。そんな時でも自分の確固たる信念を曲げずチームにとって何か最善かを考える姿勢や、誰よりもチームを愛する彼女の姿にはリスペクトしかない。また、私の補佐として私が外交的な面でチームに帯同できない場合など、チームの中枢的場所であるマネージャー室を取りまとめてくれており本当に感謝しかない。普段は表舞台にでることのない彼女だが、チームの幹部として、副務として彼女のラストシーズンに満開の華を咲かせられるようチーム松下、残りのカードを全力で走り切る。(主務・藤森創立)

応援席から

「立教スポーツ」編集部

「飛躍」をスローガンに、1ヶ月半にわたるキャンプを乗り越え研鑽を重ねてきた立大。昨秋は各大学から1勝をあげたものの、勝ち点獲得には繋がらないことが多かった。主将・西川(社4=神戸国際大附)は、「3戦目行ったら絶対勝ちきる。その上で勝ち点をしっかり取って、日本一につなげたい」。と意気込む。今季は慶大、法大と熱い戦いを繰り広げ、法大からは2022年秋ぶりに勝ち点を獲得した。
投手陣は、エース・小畠(営4=智辯学園)を中心に、粘り強い投球を見せている。小畠は開幕戦で9回までに10個の三振を奪うなどの活躍を見せた。経験豊富な大越(済4=東筑)、竹中(コ4=大阪桐蔭)の存在も頼もしい。9回は吉野(コ4=仙台育英)がクローザーとして君臨し、力強い直球で試合を締める。下級生も活躍しており、勝ち点をかけた法大戦では田中(文2=仙台育英)が先発を務め、6回を9奪三振無失点に抑える好投をみせた。
野手陣は、山形(コ4=興南)は現在リーグ2位の打率を誇り、法大戦では2本塁打6打点の大暴れ。卓越した打撃スキルで打線に火をつける。また、今季より外野手から内野手へコンバートした主将・西川(社4=神戸国際大附)も本塁打を放つなど、リーダーとして存在感を示している。さらに、丸山(コ3=大阪桐蔭)のバットも快音を響かせ続けており、勢いを支える一人だ。そして、小林隼(コ2=広陵)・村本(文2=大阪桐蔭)の二遊間コンビが攻守にわたり安定したプレーを見せており、チームにとって欠かせない存在となっている。
次の対戦相手は、昨年二連覇の強敵・早大だ。2017年以来の優勝を果たすには、勝ち点が必要不可欠。法大戦での勢いそのままに、優勝に向け進んでいく。(木屋沙織)

神宮六景

ご縁あって、連盟結成100周年を副部長として迎え、春季リーグ4月20日の東大―明大第2回戦で早速ベンチ入りする機会に恵まれました。神宮のグラウンドに立つのは、1995年以来30年ぶりです。フカフカとした人工芝の感触、グラウンドから見上げるスタンド、両校応援部のエール──それらは当時の記憶とぴたりと重なりました。
私が在籍していた頃は、平野裕一先生が二度目の監督に就き、一つ上の代には濤岡賢さん、片山英治さん、北村英也さん、石田和之さんら頼もしい先輩方が、同期には通算7勝を挙げた高橋崇展投手や、主将として首位打者にも輝いた間宮敦君らが揃い、どの大学とも互角に戦えるという気概に溢れていました。私は2年春から一塁ランナーコーチ兼代走要員としてベンチ入りし、最終学年には二塁手として出場する機会に恵まれました。対戦相手の強い圧を感じつつも、数多くの接戦を演じたことが思い出されます。また、1995年には春季リーグを制した法政大学が全日本大学野球選手権大会を、秋季リーグを制した明治大学が明治神宮野球大会を制し、連盟結成70周年に華を添えたことも記憶に残る出来事です。
30年ぶりにベンチに入り、いくつかの変化を感じました。選手たちは体格が増し、スピード・パワーも向上しています。また、マネージャー、アナリスト、学生コーチといった学生スタッフの層が厚くなり、存在感が増しています。以前は少数のマネージャーに頼っていましたが、今は組織化された学生スタッフがチーム、リーグを支えています。また、試合前後に選手・スタッフ全員がスタンドに向かって挨拶をする光景も新鮮で、六大学ファンを含めた球場全体に一体感が生まれていると感じます。
あらためて、グラウンドで繰り広げられる真剣勝負の迫力に心を引き込まれ、応援部の演奏とエールには胸を熱くしました。こうした若者たちのエネルギーのぶつかり合いこそが、東京六大学野球の魅力だと感じます。今後も、若者たちが情熱を注ぎ、応援する人々に勇気を与える存在であり続けてほしいと願います。
(東京大学野球部 副部長、平成8年卒 芦原聡)

第3週

この選手に注目!

2025/4/23 UP
OPEN

法政大学

今季注目の選手は藤森康淳(3年・天理)である。彼は昨年よりレギュラーとして法政打線を支え、大学日本代表選考合宿に招集されるなど期待の選手であり、チームの彼への信頼は非常に厚く今季不動のセンターとしての期待が寄せられる。彼の魅力はシュアな打撃と脚力をイメージされる方も少なくないが、広い守備範囲でも法政には無くてならない選手の1人である。特に昨年は内外野問わず堅実かつ的確な指示を出すことのできる言わば司令塔としての役割を全うした。今季から上級生として特に責任感が芽生え、春季キャンプ、オープン戦とリーダーシップを発揮し、3年生ながら主将の松下を支えるサブリーダー的役割も兼任した。今季の背番号は【1】。彼に寄せる期待は大きいがそんな周りからの期待をも跳ね除ける彼の大きい背中を是非神宮球場でご覧ください。(藤森創立)

東京大学

東大の注目選手として樋口航介(2年=海城)を挙げたい。新チーム以降、守備力では横一線、激しいショートのスタメン争いが行われてきたが、2年生ながらその打力でスタメンを勝ち取った。海城高校時代は主将として2年秋の東京大会で16強進出に貢献した。今春のリーグ戦、開幕戦で初出場を果たすと、デビューから4試合連続で安打を放ち、2カードを終えて13打数5安打とチーム1の打率を残している。今のところ打撃に目が行きがちだが、彼の本来の武器は守備範囲の広さと送球の安定性である。海城高校時代の先輩でもあるエースの渡辺(4年=海城)を守備から盛り立てる様にご注目いただきたい。 (奥畑ひかり)

立教大学

この春、注目すべき男の名がある。野村陸翔(4年=立教池袋)だ。その魅力は、見る者を圧倒する身体能力である。入部当初は投手としてリーグ戦出場を目指していたが、なかなか結果に結びつかなかった。転機は大学2年時に野手への転向を決意したことだ。初めてバットを握った日、彼の放った打球と一塁へと駆け抜けるそのスピードに、グラウンドにいた全員が息を呑んだ。「ポテンシャルNo.1」誰もがそう確信した。そして今年、ついに念願のリーグ戦ベンチ入りを果たす。迎えた今季開幕試合・慶應義塾大学戦。10回裏、1点を追う土壇場の場面で、木村監督が名を呼ぶ。「代打、野村」 高まる期待。野村はその重圧をはねのけ、初打席で鮮やかに右翼線へ二塁打を放ってみせた。続く法政大学戦。9回裏、同点、二死満塁。再び巡ってきた劇的な場面。「代打、野村」 その名が呼ばれた瞬間、ベンチが沸いた。誰もが信じていた。「あいつなら、やってくれる」と。打球は三塁へのゴロ。凡打かと思われた瞬間、野村は迷わず走った。ただひたすらに一塁を目指し、最後は頭から滑り込む——「セーフ!」のコールが響いた。サヨナラ内野安打。拳を突き上げ、雄叫びをあげる野村。ベンチから飛び出した仲間たちに囲まれ、球場は歓喜の渦に包まれた。静かに燃える男、野村陸翔。これまで表舞台に立てなかった苦労を知る者だからこそ、誰よりも一球に懸ける。彼が打席に立つだけで、球場の空気が変わる。そんな彼から絶対に目を離してはいけない。(大場航誠)

早稲田大学

今春の注目選手は、安定感ある守備と勝負強い打撃が光る渋谷泰生(4年=静岡)だ。今春は、内野の一角として開幕からスタメンに名を連ね、持ち前の打撃と堅実な守備でチームを支えている。特に2番打者として、長打力に加えてチャンスでは確実に適時打を放ち、早稲田打線に勢いをもたらす重要な役割を担っている。また、ショートでの守備は安定感抜群で、打球判断やスローイングの精度はチーム随一。静岡高校時代にはチームリーダーとして甲子園出場に導いた経験もあり、その勝負強さは大学でも健在だ。普段は寡黙なタイプながら、グラウンドに立つと闘志あふれるプレーでチームを牽引する。どんな場面でも冷静さを失わず、要所での一本や堅実な守備で流れを引き寄せる渋谷は、早稲田に欠かせない存在だ。攻守両面でさらなる飛躍が期待される今春、渋谷の活躍がチームを勝利へと導く鍵となる。(北嶋晴輝)

慶應義塾大学

慶應の注目選手は今津慶介(3年=旭川東)、小原大和(3年=花巻東)の元気溌剌な1,2番コンビである。2人とも強い氣を放つチームのムードメーカーであり、元気で明るい彼らの活躍はチームに勇気を与えてくれる。今津の持ち味は高い身体能力である。バネのような体を持ち、両打ちで内外野を守れる器用さも持ち合わせる。第1週の立大戦ではホームランを放つなどパワーもあり、今後ますます楽しみな選手である。小原の持ち味は高いコンタクト率と逆方向への強い打球である。開幕戦では5打席で30球以上粘り、技術力の高さを見せた。加えて、逆方向に伸びのある打球を放つことができ、広角に長打を期待できるヒットメーカーである。チームの元気印である2人の活躍からますます目が離せない。(勝野淳)

明治大学

この春の注目選手は想いを内に秘める熱い男、大川慈英(4年=常総学院)である。下級生時は怪我が多く、なかなか登板する機会を得ることができなかった。昨秋の慶應義塾大学1回戦では、1点リードの9回に同点ホームランを浴び、苦い経験をした。先発からリリーフまでを任される豊富な経験、野球との向き合い方から新チーム発足後は投手リーダーを担い、個性豊かな投手陣をまとめあげてきた。最上級生として臨むラストイヤー、グラウンドの外では穏やかな彼の強気な投球をご覧あれ。(本岡里空)

応援席から

早稲田スポーツ新聞会

115代始動から5ヶ月。小澤周平主将(スポ4=群馬・健大高崎)が大事にしているのは「アグレッシブさ」だ。特に重要視しているのは「走塁改革」。今までは打撃練習などの一環として行われていた走塁練習を1つのメニューとして独立させ、小澤主将が高校で学んだことをチームに還元する。チームの打力低下が懸念される分、隙をつく技術でチャンスを広げられるよう準備してきた。
その成果はリーグ戦でも存分に発揮されている。開幕カードの東大戦を終え、チームの盗塁数は16と、すでに昨季のそれを上回っている。さらに、東大2回戦では重盗を2度成功させるなど相手を圧倒した。また、盗塁以外の記録に表れないベースランニングにおいてもその意識は高まっている。今後の試合でも観客を驚かせる走塁を見せてくれるだろうか。
一方の投手陣は、昨年までのメンバーが多数残っており、まさに盤石な状態と言える。エース・伊藤樹(スポ4=宮城・仙台育英)や昨季第二先発を務めた宮城誇南(スポ3=埼玉・浦和学院)は今季も安定した投球を見せてくれるだろう。また、田和廉(教4=東京・早実)は東大2回戦に先発すると、得点こそ与えたが、5回を投げて計7奪三振と持ち味を存分に発揮し初先発・初勝利を手にした。ブルペン陣にも強力な投手がそろっており、2試合を戦い切る体力は十分だ。
早大の次の対戦相手は法大。再び頂点を目指す早大にとって1つも星は落としたくない。2連勝で勝ち点奪取を目指す。

神宮六景

春は必ず来るけれど、今年の春はちょっと違う。東京六大学野球連盟創設から100周年という節目の春だ。早大・小宮山悟監督が「ひと口に100年というけれど、すごいことだよね」の言葉通り、先人たちが1年、また1年と歴史を積み重ねた結果なのだ。
詳しい歴史は省くが、高校野球開催のため1924年(大正13)に甲子園球場が完成した。六大学OBが中心となり「東京にも学生野球の球場を」と1年遅れで神宮球場が作られた。明治神宮の多大な協力とOBたちが寄付を募り、自らもモッコを担いで土も運んだと記事で読んだことがある。学生野球のメッカを作りたいという情熱。これがなければ100年はない。戦後、神宮球場が米軍に接収されても46年(昭和21)には場所を後楽園球場に移して再開。東大が唯一2位になった年だ。最近ではコロナが全国に蔓延、最大のピンチを迎えたが連盟関係者が協議を重ね夏に春のリーグ戦を開催。無観客、応援団は外野席で選手を鼓舞した。

4月12日、前季優勝の早大と東大の試合で100年目の幕が開いた。節目の年に公式記録員として東京六大学野球に関われるのは感慨深いものがある。私が大学2年の75年(昭和50)は連盟50周年だった。外野席は土のまま、もちろん人工芝なんてない。スコアボードは点が入るたびに回転して数字が入った。選手名は手書きだったような気がする。当時のリーグ戦は法大の戦力が充実していた。74年に入学した昭和の怪物・江川卓投手、甲子園で優勝した広島商の主将・金光興二(現野球部長)らが入学。”花の49年組”と呼ばれた。彼らが1年秋にリーグ優を飾り「7連覇するのでは」とも言われた。ところが75年のリーグ戦は明大が春秋連覇するのだから野球は生き物だ。明大の名物監督・島岡吉郎に率いられた”人間力"野球。秋は開幕の東大に連敗しながらの優勝だった。東大に連敗して優勝したのはこの1回だけ。私は神宮球場の2階席で先輩たちの活躍を見るだけだったが、超満員のスタンドを見ながら興奮したのを覚えている。

島岡監督の勝利への執念はすさまじかった。江川投手を攻略するために寮の壁には「打倒江川」の張り紙があり、全員がバットを短く持たされた。打席に立てばホームベースに近づいてデッドボールを受ける覚悟で内角封じを敢行。もちろんベンチからは「なんとかせい!」とゲキが飛び、選手は「なんとかしなくちゃ!」と決死の表情で打席に向かった。まさに昭和の野球だった。
元々、学生時代は応援団長。野球部OB以外で監督を務めたのは東京六大学の歴史の中でも島岡監督しかいない。小柄で丸い体全身を使って打つノックもユーモラスでスタンドから笑いが起こったが、監督は必死。選手もその思いに応えようとボールに食らいついた。島岡監督に薫陶を受けた男たちは卒業しても"オヤジ"と呼び当時を語り合う。ある選手が知らずに「えび茶」のトレーナーを着ていたら、それを見つけた監督が「お前はワセダのまわし者か!」と激怒し寮から追い出したなんて話もあった。現在阪神の二軍監督を務める平田勝男主将時代、法大に敗れた後のミーティングに登場した島岡監督は机に短刀を突き刺して「切腹せい!」と怒鳴った。これには「次の法政戦は必ず勝ちますから切腹はお許しください」と平田主将。法大に勝ち点を挙げて"切腹事件"は笑い話に変わった。島岡監督特有の演技なのだが、その時は全員が必死だった。
江川投手がいたお陰で、早慶戦はもちろんだが法明戦、法早戦、早明戦は満員、いい時代を経験させてもらった。今は第二内野席が埋まるのは早慶戦くらいで寂しい限りだ。江川投手最後の登板となった77年秋の明大戦。得点圏に走者を置かないと全力で投げない男が、この時は初回から速球がうなった。明大だけ江川投手に完封されていなかったが、最後の登板で1点も奪えなかった。通算47勝目。監督の横でスコアブックを付けていた私の目にはマウンドで躍動する江川投手が焼き付いている。

3年生からマネジャーとなり島岡監督に接する機会は増えた。朝4時には起き、寮内にある「明治稲荷大明神」の準備を整え、5時には起きてくる監督を待つ。4年秋のリーグ戦が終わってもマネジャーは帳簿の整理などがあり寮に残っての作業。ある日監督に呼ばれてこんな言葉をかけられた。「いいか、社会に出たら人より早く出社して雑巾がけから始めろ。人が嫌がる仕事には真っ先に手を挙げろ」。 正座しながら聞いた言葉は社会人になってからも脳裏に焼き付いている。
卒業してから48年。早大の岡村猛、東大で8勝をマークした西山明彦両先輩理事は同期。金光野球部長も含めこの3人にはリーグ戦で何度も痛い目にあった。それでも「あの時はなあ」なんて昔話も楽しい。スタンドに顔を出せば先輩や後輩、他校の仲間にも会える。今思うと、神宮球場は「青春の故郷」だとつくづく思う。応援団、チアリーダー、吹奏楽部など試合に欠かせない人たち、さらに足を運んでくれるファンあっての東京六大学野球。今年もワクワクしながら神宮に通う私がいる。

(昭和53年卒明大OB 落合 紳哉)

第2週

今年のウチはこんなチームです!

2025/4/16 UP
OPEN

明治大学

今年のチームスローガンに「奪冠」を掲げた。4年生が下級生の時に見せてもらった日本一の景色を、最上級生となった今年、下の代に見せたいという想いがある。現役部員で日本一を経験したのは4年生のみとなり、日本一の景色そして常勝軍団“明治”の伝統を受け継ぐため、この春に懸ける想いは例年以上だ。新体制となり、守備に一層の磨きをかけた。豊富なリーグ戦経験を誇る自慢の投手陣と、盤石の野手陣が織りなす鉄壁のディフェンスで“守り勝つ”野球を体現する。野球においても、日々の生活においても、目指すは常に“日本一”。悲願の四冠達成へ、一切の隙も与えない。(本岡 里空)

法政大学

変われる法政、変わった法政。この言葉はチームのマネジメント業務において私個人的に常に心に留めているフレーズです。そう思えるきっかけとなったのは、「変革しなければ勝てない、何かアクションを起こさなければ勝てない。たとえそれが失敗でも、その失敗談が未来への肥料だから」
そう大島監督よりお言葉をいただき、私自身が先頭に立ち、開き直ることができたからです。そしてそれが徐々にチームに浸透し、自ら考え、新たなことに挑戦する勇気のある部員が増えつつある現法政大学野球部。それが凶と出るか吉と出るか、そんなものは11月の明治神宮大会終了までは誰も知り得ません……
そして、「全力疾走・アンサー・ファーストストライクフルスイング」 これはある日のオープン戦の徹底事項です。今年の法政は学生コーチの決める1日の徹底事項を朝の全体MTGで発表され、プレイヤーは厳守する。そんな個人のプレーよりチームプレーを重要視する日々を過ごしてきました。チームスローガンは《執念》。実はこのスローガンの決定は他五大学と比べ比較的遅い時期のリリースとなりましたが、それには主将、松下の強い思いが込められており、「監督のチームでも、幹部のチームでもない、ここは法政大学野球部全員のチームでもない、応援してくださる方々も含めた「法政ファミリー」のチーム。俺は法政ファミリーで優勝したい。」
この松下の熱い想いと心を込めて丁寧に、全力で溌剌とプレーする姿(執念)は応援してくださる方々へ必ず届く。そういった意味が込められたスローガンです。変われる法政、変わった法政を体現するのは我々のホームグラウンドであり聖地の神宮球場でしか成し得ないことであります。東京六大学野球連盟100周年、法政大学野球部110執念の年は今年だけです。熱い法政球児を是非神宮球場で目に焼き付けてください。(藤森創立)

東京大学

今年の東大は今までと一味違う。7年ぶりにシーズン2勝をあげた昨季から主力が多く残り、期待が持てる布陣である。まず投手陣は、アンダースローで相手打者を翻弄する絶対的エース渡辺(4年=海城)の存在が大きい。父親譲りのフォームで地面スレスレのリリースポイントから放たれるボールはフライアウトを量産するに違いない。次に守備の面では、昨年から扇の要を務める杉浦(4年=湘南)の的確な指示の下、熾烈なレギュラー争いを勝ち抜いた鉄壁の内野手陣がどんな打球もアウトにする。そして、経験豊富な選手が多い打線は歴代屈指の破壊力を誇る。特に、切り込み隊長の酒井捷(4年=仙台二)、勝負強い大原(4年=県立浦和)、パワフルな打撃が魅力の中山(4年=宇都宮)というベストナインを獲得した3人に注目していただきたい。昨秋の新体制以降、荒井コーチ、栗山コーチという2人のコーチの指導の下、さらに磨きをかけてきた。既にホームランを打ったことがある5人以外の選手も長打を量産していくだろう。(奥畑ひかり)

立教大学

今年の立教大学野球部のスローガンは「飛躍」。リーグ戦優勝、日本一という高い目標への挑戦だけでなく、これまでの下位から脱却し、大きく成長を遂げるという強い覚悟が込められている。 学年を問わず仲が良く、明るく活気に満ちた雰囲気が我がチームの強みである。異例の1ヶ月半に及ぶ春季キャンプを経て、リーグ戦経験豊富な絶対的エース・小畠一心(4年=智辯学園)をはじめ、桑垣秀野(4年=中京大中京)、鈴木唯斗(4年=東邦)ら外野手陣が未経験選手を引っ張り、チームは緊張感ある練習とオープン戦を重ね、誰が出場しても遜色ない集団へと成長を遂げた。 主将・西川侑志(4年=神戸国際大附)を中心に、“チーム西川”一丸となり、「飛躍」のシーズンを全力で駆け抜ける。その姿を、ぜひ神宮球場で見届けてほしい。(小野馨子)

早稲田大学

今年のチームは、「隙を逃さず、与えない」チームだ。新チーム始動時から、主将の小澤(4年=健大高崎)を中心に走塁練習に注力してきた。相手の隙をつき、積極的に次の塁を狙う。一人一人が塁に出た際に、チャンスをものにするという強い意識を持つ。その成果は、開幕週の東大戦で2試合合計16盗塁という数字にはっきりと表れた。また、投手陣は昨年までの経験をもつ伊藤樹(4年=仙台育英)、宮城(3年=浦和学院)、香西(3年=九州国際大付)、安田(2年=日大三)など先発・中継ぎ・守護神がバランス良く豊富に揃っている。そして、捕手の吉田瑞(4年=浦和学院)は彼らの良さを最大限に引き出す。巧みに牽制を織り込み、盗塁を刺すことで、隙を逃さず、与えない。昨年の結果に驕らず貪欲に目の前の一戦一戦に集中し、天皇杯を死守する。(井上彩希)

慶應義塾大学

今年のチームは「DOMINATE 〜神宮に熱狂を〜」をスローガンに掲げた。メインタイトルの「DOMINATE」には"圧倒する、圧勝する"という意味がある。昨秋、弊部は17季ぶりのBクラスに沈み部員全員が苦渋の思いを味わった。昨年の悔しさを糧に、圧倒的な実力を身につけて挑み、優勝を果たすという強い決意を込めたこのスローガンを体現するために、日々練習に取り組んできた。春季リーグ戦、慶應が「DOMINATE」する姿をぜひご覧いただきたい。 サブタイトルの「〜神宮に熱狂を〜」には、強い慶應を築き上げ、神宮球場に"熱狂"を巻き起こすという思いを込めた。選手たちの闘志、ひたむきな姿勢、そして積み重ねてきた努力が、観客の歓声と一体となり、球場全体を熱気で包み込む。特に今年の4年生は個性的なキャラクターを持ち、情熱的な部員が多くチームに勢いをもたらすことができる。彼らを中心にプレーでも応援でも神宮球場に熱狂の渦を生み出し、100周年の東京六大学野球を熱く盛り上げたい。(勝野淳)

応援席から

神宮六景

法政大学創立100周年と東京六大学野球連盟結成100周年

私が法政大学に入学したのは昭和55年で、大学創立100周年の節目でした。野球部は第2期黄金期、五明監督がチームを率いて江川、袴田、金光(現野球部長)、植松、島本各先輩方の活躍で、すべて勝ち点5の4連覇を成し遂げたのが昭和52年秋。以降、リーグ優勝から遠ざかっている状況でした。

春のシーズンは同級生の小早川(元広島、ヤクルト)とともに、開幕からベンチに入れてもらいました。小早川は四番打者として全試合先発でフル出場し、好成績を残しました。私は3試合、先発のチャンスをもらい、早大戦で初勝利。六大学で1勝を挙げるのが目標だったのが、1年春に達成できたのは幸運でした。
なぜならば、当時の法政大学の投手層は厚かったからです。3年生には川端さん(広島ドラフト1位)、池田さん(阪神ドラフト2位)、2年生には田中さん(日本ハムドラフト1位)、その他にも甲子園で活躍した猛者たちが在籍していました。

初めて神宮でプレーした春のリーグ戦は3位。「100周年に優勝を」。その期待が重圧になったのかもしれません。夏の練習は当然ながら厳しいものでした。鴨田監督の方針で少数精鋭でメニューを組むことになったのです。200人近い部員の中から40人を厳選。1年生は10人以下であったと記憶しています。当時の1年生は、雑用が付きもの。練習以外に洗濯、掃除、用具の手入れなどが思い出されます。厳しい夏を乗り越え、秋季リーグ戦に臨みました。
慶應との開幕カード。鴨田監督から先発投手に指名されました。ところが、技術、精神的にも未熟でした。コントロールが定まらず、自滅する形で降板。幸い2回戦、3回戦に連勝して勝ち点を挙げることができましたが、私の登板はありませんでした。

「もう投げさせてもらえないのでは……」と「チャンスは必ずもう一度、来る!!」。2つの思いが交錯しながらも、1年生の私は活動拠点である川崎の法大グラウンドで汗を流すしかない。次なる起用に備えて、最善の準備をした記憶があります。
すぐに、その機会は訪れました。2カード目の立大2回戦で先発起用されたのです。決死の思いでマウンドに立ちました。「このチャンスを逃したら4年間投げさせてもらえない」。ただ、危機感よりも、神宮で投げられる喜びを感じて投げたことが良かったのか、完封勝利を挙げることができました。次のカードは、春大学日本一の明治戦。1回戦は勝利しましたが、2、3回戦に勝ち点を落としてしまいました。幸い明治が立教に勝ち点を落としましたので、早稲田、東大に勝ち点を取れば優勝という星勘定になりました。

早大戦では全試合に先発して勝ち点を奪い、東大戦も2試合に先発、連勝で6シーズンぶりに天皇杯を手にすることができました。私自身も6勝2敗でベストナインに選出。大学創立100周年という節目の年に入学し、卒業するまでにリーグ優勝4回、明治神宮大会、全日本大学選手権での日本一2回は、諸先輩方から育てていただいた一生の財産です。
明治神宮大会を制した昭和56年は、神宮球場における土のグラウンド最後のシーズンでした。翌57年の人工芝元年に春10戦全勝で大学日本一を遂げました。山中正竹監督(全日本野球協会会長)の下で助監督を務めさせていただいた際には、20世紀最後の春にリーグ優勝、21世紀最初の春のリーグ戦で優勝。法政大学は、節目の年に強いんです。

令和7年、東京六大学野球連盟は結成100周年を迎えました。現役学生は、この節目の年に神宮でプレーできることを、この上ない幸運と受け止め、法政大学野球部創部110周年に花を添えていただきたいと思います。

(昭和59年卒 和田 護)

第1週

この春の収穫

2025/4/11 UP
OPEN

慶應義塾大学

今春の収穫はチームとしての一体感を得たことである。投手陣は主将の外丸東眞(4年=前橋育英)、昨秋最優秀防御率の渡辺和大(3年=高松商業)を中心に経験豊富なメンバーが揃っている。一方の野手陣は激しいレギュラー争いが見られ、フレッシュリーグ三連覇を支えた小原大和(3年=花巻東)、中塚遥翔(2年=智辨和歌山)ら下級生野手の成長がチームの力になっている。昨年に続き、弊部は大分県中津市〜鹿児島〜関西と春キャンプを敢行し、計68試合もの練習試合に取り組んできた。タフな期間ではあったが、今年のチームは明るく元気よくチームメイトを鼓舞しながら突き進む一体感がある。学年の壁を感じさせない風通しの良さが生む一体感は、全部員が100%の力を発揮できる環境につながっている。圧倒的な実力をつけて挑み、優勝を果たすという意味を込めたスローガン「DOMINATE」を神宮球場で体現するべく、開幕戦に向けて最高の準備を行いどんな相手でも圧倒し必ず勝利を掴み取る。(勝野淳)

明治大学

四冠を目標に臨んだ昨年は、優勝をかけた大一番であと一歩及ばす、春秋ともに2位という悔しい結果で幕を閉じた。そんな明治のこの春の収穫は圧倒的な練習量に基づくチーム力の向上である。12月に戸塚俊美監督が就任、松岡功祐コーチが10年ぶりに復帰し、新体制を迎えた。朝から晩まで府中のグラウンドで汗を流し、鍛錬の毎日を送っている。 例年行われている沼津キャンプに加え、3月初旬には宮崎キャンプを実施し、日々熾烈な競争が繰り広げられ、選手全体の底が上がった。「奪冠」をスローガンに掲げ、主将・木本圭一(4年=桐蔭学園)を中心に新たなチーム体制を整えた。悲願の天皇杯奪冠、四冠へ向けて、強力な五大学に挑む準備はできている。(本岡里空)

法政大学

この春の収穫は、「チームの結束力」と言えます。今年のチームは他五大学と比べリーグ戦経験が少なく個々の能力もに比べ劣っているとチーム全体で自覚し、我々法政大学野球部に足りないものは「思考力」「行動力」であるという共通認識のもと、第一次武蔵小杉キャンプ、第二次鴨川キャンプ、春季オープン戦と計画性を持ち、チームスローガンである【執念】を胸にチーム力向上、そして神宮に相応しいチームを追求してまいりました。
東京六大学野球連盟創立100周年、法政大学野球部創立110周年という節目の年に【HOSEI】の重い看板を背負い、神宮球場で野球を当たり前にできていることをチームで再確認し、次の100年に向け新生法政を創り出します。
そんな「チーム松下2025HOSEIBASEBALL」総勢168名の船出は第二週〜(4/19,20)となります。執念のこもった熱いプレーを神宮球場でぜひ目に焼き付けていただれければと思います。さぁ「法政大学野球部第六次黄金期」の幕開けです。(藤森創立・4年・主務)

東京大学

今春は初めて長崎県諫早市にて春季合宿を行った。全国的な寒波の影響でやや寒さはあったものの、天候に恵まれ、全ての練習・オープン戦を予定通り行うことができた。福岡でのオープン戦では多くの九州在住のOB・保護者が来てくださり、ご支援いただけることのありがたさを再認識した。例年より少し早い2月中旬からオープン戦を重ね、なかなか勝ち切ることはできなかったが、強い相手の胸を借りて経験を積んできた。特筆すべきは、後に選抜優勝を果たす横浜高校との一戦であろう。バットの違いはあれど、高校トップクラスの選手達から大いなる刺激を受けた。真の収穫が勝ち点獲得となるよう、この春のリーグ戦を戦い抜きたい。(奥畑ひかり)

立教大学

新チーム始動にあたり、我々はスローガンに『飛躍」を掲げ、幹部陣はOBや選手全員の前でその決意表明をした。そのスローガンを体現するべく、この春は個々の技術強化に加え、チーム力の底上げにも力を注いできた。今春は、活動拠点である新座キャンパスのグラウンドがネットの嵩上げ工事により使用できなくなったため、例年にない約1か月半に及ぶ長期キャンプを遂行した。Aチームは2月1日から3月5日まで鹿児島県阿久根市で一次キャンプを、3月6日から14日までは宮崎県西都市にて二次キャンプを実施した。期間中には、松井稼頭央さんが特別コーチとして指導にあたり、選手たちにとって非常に貴重で刺激的な機会となった。また、Bチームも、2月16日から3月1日まで鹿児島県鹿児島市で充実したキャンプを行った。例年にない環境下でのキャンプとなったが、選手たちはこれまで以上に野球に打ち込んだ。キャンプ開始時点では、スタメンが確定している選手は一人もおらず、チーム内ではまさに「切磋琢磨」という言葉がふさわしい、激しい競争が繰り広げられてきた。互いに刺激し合い、高め合う姿勢が、チーム全体のレベルアップに繋がっている。リーグ戦未経験の選手が多い中でも、緊張感のある練習やオープン戦を通じて、誰が出場しても遜色のない、ハイレベルなチームへと成長を遂げた。投手陣は春季オープン戦で20名以上が登板し、野手陣も各ポジションに多くのリーグ戦出場候補が控える層の厚さを見せている。この春のキャンプで得た経験と成長を糧に、チーム一丸となって『飛躍』を遂げ、リーグ戦優勝を目指して戦っていく。(田中佑樹)

早稲田大学

早大の「この春の収穫」は、走・投・心にある。新チーム発足以降、主将の小澤(4年=健大高崎)を中心に、積極的に走塁練習に取り組んできた。特に、3月に沖縄県で実施した浦添キャンプでは、走塁練習の機会を増やし、次の塁を狙う意識と走塁技術の向上という、両輪で成果を上げることができた。また、先発以外の投手陣のレベルが向上し、後ろで投げる投手の選択肢が増えた。経験豊富な選手が多いが、次代を担う新戦力の台頭に期待が高まる。また、連覇を達成した次の代ということもあり多くのプレッシャーがかかる中、冬からの短い期間で、チーム全体が1つの目標に向けて練習に取り組むことができた。この走塁力・投手力・団結力を武器に、春季リーグ戦優勝だけを目指して突き進む。この春の収穫は、神宮球場で結果となって現れるだろう。(成瀬かおり)