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号外WEB版

通常、紙面にてお届けしている号外スタイルの東京六大学野球情報紙。 2020年秋季からは特別版として、本サイト上にて掲載させていただきます。 野球部員による記事だけでなく、各大学の新聞部や応援部などの様々な寄稿がこの号外を盛り上げます。

TOKYOROCKS2025 秋季号外

第6週

チーフマネージャー紹介!

2025/10/15 UP
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早稲田大学

常に熱く、誰よりも人の気持ちを考え、選手に寄り添う。主務という重責を担った1年間、北嶋晴輝(4年=早稲田佐賀)はすべての時間をチームにささげてきた。選手として神宮の舞台に立つことがかなわなかった悔しさを胸に、彼はマネージャー業務に打ち込んだ。チームの先頭に立ちながらも選手のサポートもこなしてきた彼の存在は春季リーグ戦優勝の大きなパーツとなった。支えてくれるOBOG・ファンの方への真摯で温かい対応、マネージャー・チームのリーダーとしての威厳、時には矢面に立ちながらも主務としての職務を全うする姿。そのすべてがチームの信頼を支えていた。ただ、彼の求心力が存分に発揮されたのは、井上彩希(4年=金沢泉丘)・成瀬かおり(4年=千種)の活躍があってこそである。井上は前面にあふれ出る気合と高いコミュニケーション能力で、選手から絶大な信頼を得た。成瀬は静かな情熱と、視野の広さで何度もチーム、後輩を救ってきた。3人のそれぞれの”色”が遺憾なく発揮されたこの1年。三原色が混ざりあうとどんな色も生み出すように、3人が互いに支え合うことで、どんな困難も乗り越え、無数の色を描いてきた。その3人の最終章として描かれるのは、紺碧の空のもとにまばゆく輝く天皇杯に違いない。(大野郁徳)

慶應義塾大学

今年度、慶應義塾大学野球部で主務を務めるのは、勝野淳(4年=慶應義塾)である。慶應義塾高校野球部時代にはマネージャー・主務としてチームをまとめ上げ、満を持して大学野球部に入部した。高校時代から培ってきた豊富なマネージャー経験を活かし、現在はその確かな手腕と存在感でチームを牽引している。勝野の最大の魅力は、彼が持つ二つの顔にある。普段はユーモア溢れる振る舞いで周囲を笑顔にし、明るい雰囲気を生み出す存在だ。「一緒にいると自然と笑顔になれる」彼には周囲からそんな言葉が寄せられる。一方で、困難に直面したときやチームに喝を入れる場面では、その表情が一瞬にして引き締まる。熱い眼差しと魂を宿した言葉が、チームを何度も奮い立たせてきた。溢れ出す明るさと優しさ、そしてその奥に秘めた熱い想い。常に組織のことを考え、部員一人ひとりに寄り添う彼の姿は、まさに真のリーダーそのものである。そんな彼が率いるチームの集大成となるのが、伝統の早慶戦だ。早稲田に勝利し、西日に照らされた秋の神宮球場で歓喜の空を舞う彼の姿が待ち遠しい。(沖﨑真周)

明治大学

チーフマネージャーを務めるのは、島抜康介(3年=日立一)。2025年下半期のマネージャーの長としてチームをまとめ上げる。彼は高い意欲と向上心を持ち合わせ、下級生の頃からすでに大きな存在感を示してきた。持ち前の愛嬌と明るさで、マネージャー・選手・指導者の橋渡し役としてチームの潤滑油となっている。時には自らの意見をはっきりと主張することもあるが、それはすべてチームのためであり、より円滑な運営を目指す姿勢の表れだ。常に反省と改善を繰り返し、前向きに行動している。1つ上の代でチーフマネージャーを任されるという重圧は計り知れないが、マネージャー全員の協力体制のもと、チーム木本の有終の美を飾りたいという思いで日々奔走している。来年度は連盟チーフマネージャーとしてさらなる活躍が期待される彼の成長と挑戦の姿を、ぜひ見守っていただきたい。(加藤珠海)

法政大学

今年度、法政大学の主務を務めているのは藤森創立(4年=五所川原)である。彼はどのような状況でも冷静に物事を判断し、常にチームのことを最優先に考えて行動している。自分に厳しく妥協を許さない姿勢は他のマネージャーにも良い刺激となっている。彼の持ち味は幅広いマネージャー業務を丁寧に効率よく行うスキルと高いコミュニケーション能力、そしてチーム全体を導く行動力である。新チームが始動してからは、チームスローガンに掲げた「執念」のもと、近年遠ざかっているリーグ優勝・日本一の達成を目指し、幹部を中心に部の方針を幾度となく見直してきた。選手が練習に集中できる環境づくりを心掛け、各役職のスタッフとも密に連携を取り、円滑なチーム運営を行っている。誰よりも勝利にこだわり、チームに寄り添う姿はまさにマネージャーの鏡である。(佐藤瑛)

東京大学

奥畑ひかり(4年=智辯和歌山)は東大野球部史上初の女性主務を務める。誰もが知る野球強豪校出身だが、本人の野球熱も相応で、東大の合格発表直後にいち早く野球部への門を叩いた。入部後も持ち前の野球部愛でどんな仕事も積極的に取り組み、合宿へオープン戦へ、どこへでも元気よく出かけていく姿は彼女の強さを感じさせる。明るく朗らかな性格だが、勝てない試合が続いた春は主務としての責任感から険しい表情を浮かべることも多かった。秋にやっと掴んだ1勝、彼女のこれまでの努力が報われた、そんな1勝だった。残るは1カード、チーム目標である「勝ち点獲得」に向け、今日も彼女は笑顔で仕事に励む。(番匠由芽)

立教大学

今年度の立大野球部で主務を務めるのは、田中佑樹(4年=立教池袋)である。常に部員とスタッフ双方の立場から物事を捉え、誰もが練習や業務に集中できる環境づくりに尽力してきた。昨年11月からはチームの“顔”として部の要となり、膨大な仕事量を淡々とこなす姿勢は部内外から厚い信頼を集めている。勝利への執念、そして選手に寄り添う姿勢は六大学随一。2月には異例となる1か月半に及ぶ春季キャンプを成功に導き、その裏には並々ならぬ努力があった。どんな困難な状況でも「立教のため、選手のため」に奔走する彼の姿は、まさにマネージャーの鑑。妥協を許さぬ行動力と広い視野でチームを支え続ける田中佑樹に、同期マネージャーとして深い尊敬と誇りを感じている。彼が先頭に立って引っ張ってきたこのチームで、必ず優勝を果たしたい。(小野馨子)

応援席から

東京大学運動会応援部

東京大学が六大学の中で際立っているのは「一勝」への執念の強さだろう。
東大が勝ち、試合終了と同時に球場全体が包まれる観客の歓声。他大学の場合、これに匹敵する歓声は優勝したときでしか聞けないとも言われる。東大にとって「一勝」の持つ意味はそれだけ大きい。
「応援席から」
そう、我々がいるのは応援席であり、グラウンドではない。ボールには触れもしないし、プレッシャーと対峙しながらプレーすることもない。プレイヤーであり、試合結果に直接関与する選手たちと我々との間には、本質的な差異を認めざるを得ない。
そうした中でも、応援席にいる以上は目の前の「一勝」に何としてもチームを近づけたい。硬式野球部の「逆襲」に、微力ながら何とかして貢献したい。
東京大学運動会応援部は近年部員が増加傾向にあり、最近は100名を超す大所帯となった。考え方は各人各様といえども、「一勝」に向けた想いをチームに「至」らせようと試行錯誤する姿勢は全員に共通している。
最後の1カード。一丸となった応援席で、必ず東大が勝つ。

(東京大学運動会応援部主将 縣勇樹)

神宮六景

私が東京六大学野球に憧れを抱いたのは高校2年の冬。母校・岐阜県立長良高校のOBで現役の立教大学の選手が、胸に「RIKKYO」と刺繍されたTシャツを着て練習を見に来てくださった時です。がっしりした体格で、自分のような丸坊主ではなく、髪がさらさらでとても格好よく、「RIKKYO」の文字が輝いて見えました。厳しく指導を受けたのですが、不思議と怖さよりも憧れの気持ちが強く残りました。

しかし私の学力では東京六大学への進学は叶いませんでした。そして関西六大学リーグ所属の大学に進学するも、野球部はすでに推薦入部者で埋まっており、大きな実績もない私は入部を認めてもらえませんでした。
入学早々、目標を失った私は「好きなお笑いでもやろう」と思い、落語研究会へ。「漫才をやりたい」と申し出たところ、先輩に「まずは古典落語を覚えてから」と言われ、落語のCDを聴いてみました。
しかし、落語はまったく頭に入ってこず、やはり自分は野球が諦めきれないと痛感。高校の恩師と親に電話し、浪人して東京六大学野球を目指す決意をしました。

浪人生活はとても孤独でしたが、勉強に疲れた時は、早稲田大学の入学案内に載っていた早慶戦の写真を眺めたり、早稲田大学のテレフォンサービスに電話して校歌を聴いて、モチベーションを保ちました。

慶應を目指そうと決めたのは、同学年で甲子園の大スター(桐蔭学園の高木大成選手や、市川高校の樋渡卓哉選手ら)の存在が大きかったです。雑誌の特集で彼らが野球と学業を両立している姿を見て、「一緒にプレーしたい」「こんなキャンパスライフを送りたい」という思いを強くしました。

また、1992年秋のシーズンで慶應がリーグ優勝・明治神宮大会を制覇した時の中心選手数人が浪人経験者だと知り、慶應なら自分にも門を開いてもらえると信じ、慶應志望を固め必死に勉強しました。

翌春、1浪で慶應に滑り込み、1年前の反省を踏まえ、合格発表後すぐに野球部へ連絡し入部の意思を伝えると、3月下旬の「招集日」までに入寮するよう案内を受けました。布団を先に送り、野球道具と最低限の荷物を持って上京。招集日にキャンプ帰りのレギュラーメンバーが揃い、憧れていた選手たちを目の前にして鳥肌が立ったことを覚えています。

入部後は、野球中心の生活ながらも授業にも出席、雑誌で想像した以上の充実した日々がスタートしました。しかし同時に、野球の実力・知識、基礎体力の全てにおいてレベルの差も痛感し、毎日練習についていくのがやっとの苦しい状況もありました。

それでも続けられたのは、やはり憧れの力でした。慶應は、選手自らが考え、足りないと思えば自分で練習する、主体性が尊重される大人の野球部だと感じました。それは福澤諭吉先生の「独立自尊」の考えにも通じるのかもしれません。また、1年生の自分にも感じ取れた前田祐吉監督の「エンジョイ・ベースボール」によるチームの雰囲気への憧れと誇りに支えられました。

4年時には学生コーチとして後藤監督の補佐や試合でランナーコーチを務めました。オープン戦から監督のサインを全て記録し、イニング・点差・カウント・塁状況ごとに戦術を分析。監督の野球を理解しようと努めました。
春季リーグ初戦の朝は、大舞台に慣れていない緊張と重圧で、選手でもないのに何度も嘔吐しながら試合に臨んだほどでした。

学生コーチとしてやり遂げられたのは、私が推薦された際、同級生全員でほぼ2日徹夜で話し合い、「松井を全員でサポートする」と約束してくれたからです。その言葉通り、仲間は1年間共に戦い、支えてくれました。

私たちの学年は4年間で一度も優勝できませんでしたが、同級生で主将だった加藤くんが後に野球部出身初の部長となり、2023年秋、ついに悲願のリーグ優勝、私が浪人時代に憧れた神宮大会優勝も果たしてくれました。このことは同級生にとって本当にうれしいことでした。

六大学野球を目指す高校生の皆さんに伝えたいのは、六大学野球は憧れるに値する素晴らしい場所だということです。
2023年のWBC決勝戦前に大谷翔平選手が「今日だけは憧れるのをやめましょう」という言葉を残しましたが、憧れは大きな力になります。ぜひこの素晴らしい舞台に憧れ、挑んでください。そして憧れを越えて、神宮球場で思い切りプレーしてほしいと思います。

(慶應義塾大学平成9年卒 松井幸喜)

第5週

守備の要

2025/10/8 UP
OPEN

立教大学

今季の立大の守備の要として、落合智哉を挙げたい。春季リーグから捕手としてスタメンの座を獲得すると、小畠、竹中、吉野といった4年生を中心とする投手陣を巧みにリードし、守備の要として活躍してきた。彼の最大の武器は「準備力」である。試合前や試合中、相手打線の研究を欠かさず行う姿勢は、部員内でもよく知られている。弊部のアナリストに「落合の魅力は?」と問いかけると、迷わず「準備力」という言葉が返ってきた。それほど彼は、アナリストや指導者、投手陣との事前打ち合わせに多くの時間を費やし、試合中もこまめに指導者や投手陣とコミュニケーションを取っている。つまり、立大投手陣が何気なくアウトを積み重ねているように見えるその裏には、落合の陰の努力が大きく関わっている。さらに彼は、準備力を活かした巧みなリードに加え、強肩の持ち主としても知られる。正確で矢のような二塁送球は、相手走者に大きなプレッシャーを与える。また、ブロッキング能力にも優れ、投手陣だけでなく部員一同が安心して守備を見ることができる存在だ。今季は守備だけでなく、長打も単打も打てる確実性かつパンチ力のあるバッティングや非凡な走力でもチームに貢献し、守備の要に留まらず、いかなる場面でもチームに欠かせない存在となっている。彼の存在が今季の立大に多大なる影響を与えていることは間違いない。(大場航誠)

早稲田大学

早大の守備の要は、吉田瑞樹(4年=浦和学院)だ。正捕手としてマスクをかぶるようになったのは今年からだが、堂々たるリードと落ち着きでチームを勝利に導いてきた。スタメン経験の差をものともせず、試合中は投手陣と積極的にコミュニケーションを重ね、数々のピンチを冷静なリードで切り抜けてきた。強肩も大きな武器のひとつであり、幾度となく相手の走塁を封じてチームを救ってきた。試合の流れを読む洞察力、投手からの信頼の厚さはまさに守備の要と言える。この秋は、守備の司令塔としてチームを支え続ける吉田に注目してほしい。(井上彩希)

慶應義塾大学

慶應義塾大学の守備の要は吉開鉄朗(3年=慶應)である。今季から正捕手としてその実力を遺憾なく発揮している。彼は常に相手の研究を怠らない。試合映像やスコアなどあらゆるデータに目を通し、徹底的に相手打者を分析する。その姿勢は監督からも一目置かれており、スコアを広げながら「どう抑えるか」を語り合う姿も見られる。 この研究姿勢を支えているのは、彼の冷静さである。試合中にはデータでは把握しきれない特徴が現れることもあるが、彼は常に頭をクリアに保ち、柔軟に対応することができる。一方で、心の内には強い闘争心があり、打席での力強いスイングから放たれる鋭い打球もまた彼の魅力の一つだ。 さらに今季からは「信頼感」も際立っている。ここぞという場面での盗塁阻止や、大きなジェスチャーで投手にコースと球種を明確に伝える姿から、捕手としての成長ぶりがうかがえる。冷静さと闘志を兼ね備え、信頼感を増した吉開鉄朗。彼の進化が慶應の未来を支えていく。(武藤有雅)

明治大学

明治の守備の要といえば光弘帆高(3年=履正社)だろう。昨春にリーグ戦初出場を果たすと、強肩を活かした安定感とセンス溢れるプレーで今年ショートのレギュラーを獲得。華麗な守備で観る者を魅了し、これまで幾度となくチームのピンチを救ってきた。前主将・宗山塁(R7卒=東北楽天ゴールデンイーグルス)が抜けた遊撃手の穴を見事に埋め、攻守両面でチームに欠かせない存在へと成長した。残すところ3カードとなった秋季リーグ戦。遊撃手としてチームを牽引する光弘が優勝へと導く。(本岡里空)

法政大学

法大守備の要といえばこの男、中村騎士(2年・東邦)である。高校野球ファンの方は、2022年秋季の明治神宮大会にて世代No.1投手の前田投手(翌23年ソフトバンク・ドラフト1位)から特大ホームランを放っている印象が強いだろう。そう、この男は元々シュア打撃を武器とした強打の1番打者だったのである。ただ、大学入学後は小柄な体格や周りとの実力を自らで比較し、考え、地道な守備練習に取り組んだ。その成果は徐々に出始め、今春にレギュラーを掴み出場した33試合で記録した失策は僅か2つ。数字でアピールした。悔しい春のシーズンが終わり、夏の期間も心身ともに一回り成長した姿でアピールを続けた。今秋は打撃にも力を入れ、不動の2番二塁手にまで打順を上げてきた。リーグ戦終盤は中村を中心とした活気ある法政下級陣にも目が離せない。(藤森創立)

東京大学

外野守備の要、酒井捷(4年/仙台二)の名を挙げたい。その俊足で、センターから右へ、左へ、広い守備範囲を誇る。また、他の外野手にポジショニングを指示し、勝負所での1点を防いでいる。副将も務める彼は、主将として捕手として、守備からリズムを作ってきたチームの司令塔杉浦(4年/捕手/湘南)が怪我でベンチを外れる今、主将代理としても欠かせない存在である。慶應戦、このチームでの初勝利を挙げたが、勝ち点獲得はならなかった。チーム全員が「要」としての意識を持ち、誰よりも熱い杉浦を越える存在になった時、勝ち点獲得が果たされるだろう。そのためにも、無敵のリードオフマン「1番 センター 酒井捷」の大活躍を心待ちにしている。(奥畑ひかり)

応援席から

立教大学体育会応援団

平素より立教大学に格別のご厚情を賜り、心より御礼申し上げます。

本年度、立教大学体育会応援団は四年ぶりに三部四学年が揃い、応援席全体の一体感を高めるべく、日々試行錯誤を重ねて参りました。
試合中、一つ一つのプレーに一喜一憂し、お客様と心を通じ合わせることが出来た瞬間、どの様な結果であっても感謝の言葉をかけてくれる野球部、そして応援席で繰り広げられる全ての時間が、私たちにとってかけがえのない尊いものであると実感しております。

春季リーグ戦、立教大学野球部は数々の接戦を勝ち抜き、私達応援団をはじめ応援席全体に大きな喜びを齎してくれました。
しかしながら、優勝にはあと一歩届かず悔しい思いをしました。
我々応援団が野球部に出来る最大の恩返しは、優勝に繋がる応援を全力で展開すること。その為に一瞬たりとも気を抜かず、全てを懸ける覚悟を持っております。
立教大学体育会応援団第94代として迎える最後のリーグ戦。応援団・野球部・お客様が肩を組み合い、一つの想いを胸に、8年ぶりの優勝へと飛躍するリーグ戦を必ず実現します。
そして、応援団員としての誉を最後の一瞬まで守り抜き、貫いて参ります。

今後とも熱きご声援の程、宜しくお願い申し上げます。

(立教大学体育会応援団 第94代団長 林田萌恵子)

神宮六景

昭和38年大阪府立島上高校より入部、昭和42年卒業後社会人野球(日本コロムビア)入社、昭和46年に休部になり軟式野球(ライト工業)に移り、引退後社業に専念していたが、御大から「土・日でいいから練習を手伝え」と命を受け、昭和56年から参加、59年に御大から「今度郷司(高校野球松山商業高校〜三沢高校など数多くの名勝負を裁かれ、のちに野球殿堂入りされた名審判員)が辞めるから、お前が代わりにやれ」と命じられ、正式に六大学野球連盟の審判員に。現役引退後も技術顧問として41年目を迎え、東京六大学誕生100周年に立ち会えたのは何よりの歓びです。

学生時代は一年後輩に高田繁、二年後輩に故星野仙一。彼らとプレーできたことは何よりの誇りです。また、後に48勝を挙げた法大・山中正竹投手から初安打を奪ったことも数少ない思い出の一つです。
御大にはそれぞれの時代に逸話がありますが、共通していることは、野球を教えられたことはありません。教えられたのは、「なんとかせい」「ゴロを打て」「男になれ」「グランドの神様に申し訳ない」「腹を切れ」くらいです。しかし私生活では掃除(トイレ、風呂、部屋など)の仕方、布団の上げ下げ、履き物の揃え方など、多岐に亘り厳しく指導されました。
後に社会人野球を経験しますが、「午後から練習で席を空けるため朝は30分早く出社し、他の社員が気持ちよく業務ができるように職場の清掃をしろ」そのあたりまで考えて教えていたようです。
私流に考えると、「御大の人間力」とは「陰日向なく、腐らず一生懸命“誠”を以て事に向かえ」この教えはその後の人生に大いに役立ちました。

六大学野球は品位がなければならないと厳しく先輩方から教わりました。品位とは自然に備わった気高い感じや様子。このことは相手を尊敬すれば生まれてくると考えます。尊敬とは相手の人格を認め、頭を下げたいような気持ちになること、尊ぶこととあります。
具体的には汚い野次、ラフプレー、過度なガッツポーズ、プレーの判定に対する不服そうな態度、防具を装着しているが故に投球に対し当たりに行く行為はなくなると考えます。また、ユニフォームのズボンは「キチッと」膝まで上げて試合に臨んでもらいたい。品位のある試合を展開し、六大学野球ファンに応えられるよう願う一人です。最後になりましたが、あのコロナ危機を見事に乗り切った内藤事務局長はじめ連盟職員の皆様、並びに各校先輩理事の皆様に改めてお礼を申しあげ、200年後もファンに愛される六大学野球であり続けるよう、未だ見知らぬ後輩に願いと夢を託し終わります。

(明治大学昭和42年卒 吉川 芳登)

第4週

打撃の要

2025/10/1 UP
OPEN

東京大学

大原海輝(4年/県立浦和)が東大打線を引っ張っている。2024年春季リーグ戦では、ベストナインを獲得した右の好打者だ。得点圏打率が高く、4番がよく似合う。打撃長として、今年度から就任された荒井コーチ、栗山コーチと共に個人のみならずチームのバッティング技術向上にも務めてくれている。これまで現役トップの通算16打点を記録しており、今後その成績をどこまで伸ばすかに期待がかかる。大原の打点を増やすためにも彼の前にランナーが溜まっている状況が理想だ。酒井捷(4年/仙台二)、中山太陽(4年/宇都宮)、大原のベストナイントリオで得点する流れを見られるに違いない。得点力不足にあえぐ東大を救うには大原の力が不可欠だ。 (奥畑ひかり)

立教大学

今季の立教打線の要は、主将の西川侑志(4年=神戸国際大附)である。高校時代から豪快なスイングで注目を集めてきた右の強打者は、立教大学でもその持ち味を発揮し続けてきた。豪快なスイングから放たれる打球は、東京六大学リーグでもトップクラスの鋭さを誇り、スタンドを沸かせる一発を放つことのできる数少ない存在だ。春季リーグ戦でもクリーンアップを任され、チームの得点源として重責を担ってきた。 3番の鈴木唯斗(4年=東邦)、4番の丸山一喜(3年=大阪桐蔭)と並び、打線の中軸を形成。彼らを返す役割に徹する一方で、後続の村本勇海(2年=大阪桐蔭)、落合智哉(3年=東邦)へと打線をつなぐことも欠かさない。打席に立つときの集中力と勝負強さは、立教打線に安心感をもたらしている。しかし、その歩みは決して順風満帆ではなかった。不調によりスターティングメンバーを外れることもあり、苦しい時期を経験してきた。それでも西川は腐ることなく、外野手から内野手へのコンバートにも挑戦。新たな役割を掴もうとする姿勢は、誰よりもハングリーであり、主将としてチームを牽引する背中を示してきた。また、試合の終盤にはベンチに退くことも多いが、そこからが彼の真骨頂だ。ベンチの最前列に立ち、仲間に声をかけ続ける。苦しい展開でも最後まで諦めないその姿は、逆転劇を繰り返してきた「逆転の立教」を象徴する存在といえる。私生活においても、主将としての責任感を強く持ち、チームを支えてきた。日々の生活態度や練習への取り組みから後輩に模範となる行動を示している。指導者や仲間からの信頼は厚く、精神的支柱としての存在感は計り知れない。チームの危機を救う一打を放ち、声で仲間を鼓舞する。西川侑志は、その一挙手一投足で立教大学野球部を前へと導いている。立教打線の中心に彼がいることは、チームにとって大きな力であり、勝利を呼び込む原動力となっている。(田中佑樹)

早稲田大学

早大の打撃の要として名前を挙げたいのが、寺尾拳聖(3年=佐久長聖)だ。昨年までは出場機会こそ限られていたが、人一倍練習を積み、着実に力を蓄えてきた。その努力が実を結び、今春からは4番を任され、期待を上回る活躍でチームを牽引した。さらに夏のキャンプやオープン戦を通じて打撃を磨き、今季は飛躍のシーズンとなることが大いに予感される。その片鱗を示したのが、立大2回戦で放った特大ホームランだ。試合の流れを変えるだけでなく、球場全体の空気をも一変させた。勝負強さを発揮できるのも寺尾の持ち味であり、まさにチームに勢いをもたらす存在といえる。今秋の戦いにおいても、彼のバットがチームの命運を握るのは間違いない。4番という重責を背負いながらも、これまで培った努力と自信を胸に、最もその座にふさわしい活躍を見せてくれるはずだ。(井上彩希)

慶應義塾大学

慶應の打撃の要は常松広太郎(4年=慶應湘南藤沢)である。彼の恵まれた体格が生み出す力強いスイングは相手バッテリーの脅威であり、今年の慶應打撃陣の象徴といえる。大学2年次のフレッシュリーグでは一打席の集中力を買われ主に代打として出場していた。その後、熾烈なレギュラー争いを戦い抜き、今春にはスタメンとして本塁打3本を放つ活躍を見せた。豪快なスイングのイメージが強いが、実は非常にクレバーな人間である。チーム内ではバッティングリーダーを務め、練習では監督とコミュニケーションをとりながら打撃指導の意識づけを率先して実行。試合中には相手投手攻略の糸口を冷静に分析し、ベンチで共有。非常に頼りになる存在だ。春シーズンのチーム課題として三振の多さが挙げられていた中、常松自身も三振しない粘り強いバッティングを習得。第一週の法政戦では15打数7安打とミート力の向上を見せつけた。これからも打撃の要として慶應打線を牽引し、ラストシーズンに大爆発してほしい。(勝野淳)

明治大学

我が明治大学の打撃の中心はこの男。小島大河(4年=東海大相模)は2年春からレギュラーとして試合に出場。ヒットを打つ能力はもちろん、広角に長打を打つ能力、勝負所での一球一打への集中力は誰しもが認める天才である。今年の春季リーグ戦途中、骨折で離脱するも驚異の回復力で自己最多の3本塁打を放った。早稲田大学との優勝決定戦での勝ち越しホームランはとても印象的だ。ポーカーフェイスの内に秘める優勝への想いは人一倍強い。小島に回せば何とかしてくれる。 そんな勝負強い男が明大に流れを引き寄せる打撃を見せ、優勝へと導く。(本岡里空)

法政大学

法大の打撃の要はもちろんこの男、松下(4年・主将・桐蔭学園)である。2年秋からレギュラーに定着し3度のベストナイン獲得し、勝負強い打撃とチームに徹した打撃スタイルは他を魅了してきた。ただ主将に就任した今季、背番号10番を背負う難しさ重圧もあってか思うような結果が出せていない。弊部は2カードが終了し、リーグ戦中盤差し掛かる。ここからも厳しい戦いが強いられること間違いないが、シーズン中盤・終盤は松下を中心としたチームバッティングに徹した切れ目のない打線を見せてくれるだろう。リーグ戦第4.5週は弊部の早大、明大戦と正念場である。グラウンドでは決死の覚悟で選手が頑張ってくれることと思いますので、皆様スタンドでも早大、明大に負けない大声援をいただけますと幸いです。引き続き弊部をどうぞよろしくお願いいたします。(藤森創立)

応援席から

法政大学応援団

秋季リーグ戦、打席に響く一打に、応援席は熱狂せずにはいられない。この一本、そしてあと一本が放たれた瞬間、我々の応援は報われる。
そもそも、応援とは何だろうか。
選手の筋力が上がるわけでもなければ、相手が突然弱体化するわけでもない。
試合の中で見れば、それはただの「音」に過ぎない。
だが、その「音」に命を灯すのが、我々応援団であり、声を重ねる応援席である。
どんな逆境も選手と共にその重みを背負い、どんな状況でも勝利を信じて声を上げ続ける。
この想いが、言霊となって届くと信じて、勝利のその瞬間まで我らは共に在る。
(法政大学応援団 第百代団長 布施拓真)

神宮六景

東大で野球をしたいと思ったのは、高校3年夏の新潟県大会で敗退した翌日のことでした。敗れた準々決勝は呆然自失となるほど打ち込まれ、あまりのふがいなさに「もう野球はしない」と落ち込みました。ところが一夜明けると、身体がもうシャドー・ピッチングを始めている。頭の中では、自分が今後、最大限活躍できる舞台があるとすればどこだろうと考えを巡らせていました。
当時、私にとって東京六大学野球は「高嶺の花」。東大を除く5大学は、高校での実績などが重視されるはずで、自分には入部の道すら開かれていないと思い込んでいました。残るは東大ですが、自分の学力では合格ラインに遠く及びません。
しかし若さの特権か、私に突然、根拠なき楽観論が舞い降ります。それまで野球に費やした時間で一気に挽回すれば、砂地に水が染み込むように学力が伸びると信じたのです。過去の入試問題の難解さに驚きながらも一筋の希望にすがりました。とはいえ、学力は思うほど伸びていきません。
一浪し、東大球場に近い文京区内に下宿しながら予備校に通ったのですが、模擬試験はD(志望校変更が望ましい)判定の連続。青春期特有の孤独感にも襲われました。こうして迎えた2度目の試験は、開き直ったように答案用紙を埋めまくり、合格発表の掲示板に奇跡的に自分の名前を見つけると、勢いのままに野球部入部を申し込みました。
それからの4年間は一瞬でした。充実し、多くのことを学んだ野球部生活でした。そして、神宮でプレーできる幸運に恵まれた自分たちは、社会に対してその恩返しをしなければならないと覚悟を決めた日々でもありました。
東京六大学野球について書いてほしいという現役マネジャーの要請からは少し外れてしまったかもしれませんが、まず思い出すのはあの受験勉強の日々です。私にとって、伝統の舞台で野球をしたいと東大受験を決心したあの時の蛮勇が、その後の人生を左右したとも言えるのです。
(東京大学 昭和60年卒 大越健介)

第3週

この選手に注目!

2025/9/24 UP
OPEN

法政大学

今秋は内野手の品川侑生(4年・三重)に是非ご注目いただきたい。彼は2年春からベンチ入り、リーグ戦デビューを果たすも今秋までポジションを固定できず苦しんだ。ただ、彼は同級生の中でも同じような状況で苦しむ部員も少なくない中、諦めず地道な努力を続けた。頭角を現したのは7月に3・4年生を中心に参加したマチュアカップである。マチュアカップではクリーンナップとしてチームに徹した打撃と、堅実な守備で勝利に貢献した。夏のOP戦でも継続的なチームファーストに徹する泥臭さをアピールした。その姿は実を結び、今秋の開幕スターティングラインナップには彼の名前があった。彼の諦めない姿勢と、チームファーストの精神、そして泥臭さは、今季弊部スローガンの「執念」をまさに体現しており、今季の弊部を象徴としてくれている。持ち味のシュアな打撃、堅実な守備は必ずや神宮を沸かせてくれることだろう。第一週が終了し、彼はまだ思うような結果を出せていない。ただ、大切な場面や弊部の目標達成の瞬間には必ず品川侑生がいること間違い無い。彼の熱いプレーに目が離せない。(藤森創立)

東京大学

ラストシーズンを迎えた4年生全員に注目!といきたいところだが、私の注目選手は榎本吉伸(4年=渋谷幕張)だ。今春の合宿前に怪我を負い、春のシーズンに出場することができなかった。ラストシーズンにかける思いは人一倍強いことだろう。7月上旬に復帰すると、オープン戦では好調を維持し、見事開幕スタメンを勝ち取った。第2週明治戦では昨春以来となる待望のヒットを放った。シュアなバッティングが期待でき、チームに勢いをもたらしてくれる。また、寮長を務め、毎日チームの寝坊者たちを遅刻から救っている神のような存在である。残り3カードこの漢がやってくれるに違いない。(奥畑ひかり)

立教大学

立大のこの秋の注目選手に挙げたいのは、北田大翔(4年=広島新庄)だ。2年春からベンチ入りを続ける彼の最大の魅力は、なんといっても卓越したキャッチング技術。本人もアピールポイントに「フレーミング」を挙げる。しかし彼の持ち味は守備にとどまらない。入学時から15kg以上の増量し、体格も迫力も大きく成長した。そして今春、ついに公式戦初出場を果たした。代打で起用され、快音を響かせた打球は相手の好守に阻まれたものの、存在感を示した。さらに今季開幕カードの法大3回戦では、0-0で迎えた緊迫の8回裏、無死一塁の場面で代打出場。ファーストストライクできっちりと送りバントを決め、チームに流れを呼び込んだ。ラストシーズンでは、今後も大事な局面で代打として起用されるに違いない。捕手チーフとして後輩をまとめる姿も頼もしく、その努力が実を結ぶ瞬間を待ちたい。同期マネージャーとして、彼のリーグ戦初安打をこの目に焼き付けたい。(小野馨子)

早稲田大学

今季、早大では髙橋煌稀(2年=仙台育英)に注目して欲しい。仙台育英高校時代には甲子園優勝・準優勝を経験し、更なる活躍を期待されて早大へ入学した。1年春よりリリーフとして登板していたが、今夏より先発としての経験を積んだ。順調に成長を重ね、オープン戦ではノーヒットノーランを達成した。そして今季、満を持して、東京大学2回戦でリーグ戦初先発を果たした。初回に守備の乱れもあり1点を失うも、以降は持ち味の制球力を発揮し、5回1失点で勝利投手となった。この日は球場表示で最速149キロを計測。伸びのある直球で相手を圧倒し、多彩な変化球で6つの三振を奪った。まだ2年生ということで、今後どのような投手に成長するのか、期待してやまない。 4連覇達成に向けて、新たな戦力が台頭している早大。下級生から上級生まで、チーム全員の力を結集させ、次節からも全力で戦い抜く。(成瀬かおり)

慶應義塾大学

慶應の注目選手は小川琳太郎(4年=小松)と坂中大貴(4年=高松商業)の4年生リリーフ陣である。小川は第一週の法政戦で4試合全てに登板し、6回1/3を7奪三振無失点に抑える活躍を見せた。しなやかな腕の振りから投げ込まれるキレのあるストレートと多彩な変化球をコーナーに集める彼のピッチングには目を奪われる。一方、私生活はスローペースで有名だ。滅多なことでは動揺せず、常に心おだやかであり、部員の心の安らぎとなっている。2年前に日本一を経験している経験豊富な右腕に注目だ。坂中は今秋にリーグ戦デビューを果たした苦労人である。第一週の法政戦ではピンチの場面で3試合に登板し、見事無失点に抑えてくれた。特に、一学年下の渡辺和大(3年=高松商業)から坂中への継投は高松商業リレーとして大いにスタンドを沸かせた。4年間コツコツと目標に向かって努力を積み重ねた彼は多くの同期から信頼を寄せられており、彼の全力投球はチームに流れをもたらしてくれる。4年生リリーバーの気合の入った投球がチームを救い、チームに活力を与えてくれるはずだ。彼らの活躍から目が離せない。(勝野淳)

明治大学

今秋、久野悠斗(4年・報徳学園)が神宮球場に舞い戻ってきた。1年生の秋に初登板。慶應義塾大学戦では6回2安打無失点6奪三振と鮮烈な先発デビューを飾った。しかし、故障が続き3年の春にはトミー・ジョン手術を受けた。投げられない日々が続くなかで自分自身と向き合う時間が長く、苦しい思いをしてきた彼をチームメイトは皆見てきた。そして9月21日(日)の東京大学戦、2年ぶりの復帰登板を果たし、2回を2安打無失点に抑えた。まだあの頃の豪球速には戻ってはいないがこの男なら必ずやってくれると確信している。つらい日々を乗り越えた彼がチームの柱になるだろう。久野の完全復活が優勝へと導く。(本岡里空)

応援席から

早稲田スポーツ新聞会

今春、崖っぷちからの逆転で3連覇を決めた早大だったが、その後の全日本大学選手権では屈辱のコールド負け。小宮山悟監督(平2教卒=千葉・芝浦工大柏)も「3連覇がかすむような失態だった」と振り返る。「その失態を払拭するには4連覇しかない」。南魚沼キャンプで成長した選手たちが、栄光に向けて戦う。

開幕戦となる東大1回戦には伊藤樹(スポ4=宮城・仙台育英)が先発。初回から本塁打を浴びるなど苦しい幕開けとなったが、後半に逆転し勝利を飾った。2回戦には髙橋煌稀(スポ2=宮城・仙台育英)がリーグ戦初先発。夏季オープン戦ではノーヒットノーランを記録するなど状態が良く、小宮山監督も「伊藤樹が抜けたあとの柱になりうる」と期待を寄せる投手だ。守備のミスで1点を失うも5回を投げて自責点は0と好投すると、その後を投げた宮城誇南(スポ3=埼玉・浦和学院)も2イニングで3奪三振。立大戦以降の先発争いにも注目だ。リリーフ陣ではプロ志望届を提出した田和廉(教4=東京・早実)が連投。2回戦ではピンチをしっかりと抑える火消しピッチングで、今季も守護神として立ちはだかりそうだ。香西一希(スポ3=福岡・九州国際大付)は不安定なピッチングとなったが、貴重な左リリーフとして復活に期待したい。

打線の中心は前田健伸副将(商4=大阪桐蔭)になりそうだ。東大1回戦では本塁打を放つと、2試合で6打数5安打と調子の良さが伺える。また、8番の吉田瑞樹副将(スポ4=埼玉・浦和学院)は安打のほかに犠飛も多く、打点を稼ぐ役割を果たす。この2人にチャンスで回すことができるかが攻撃のポイントとなるだろう。

現体制での野球も残り2ヶ月ほど。小澤周平主将(スポ4=群馬・健大高崎)が見据える「集大成」に向け、早大の戦いは続いていく。

神宮六景

審判員の松本知一と申します。
この度、神宮六景への寄稿の依頼をいただきました。歴代、東京六大学の大先輩をはじめ多くの方が執筆された名著への寄稿を大変有難いことと受け止めております。

私は小学校から大学卒業までの16年間を立教で過ごしましたが、野球そのものは中学校の半ばまで、怪我の影響もありましたが大きく挫折してしまい、その後、野球から離れ、高校時代は化学部に在籍していました。大学ではごく普通にキャンパスライフを過ごしましたが、4年次に1か月ほど母校・立教中学校にて教育実習を行い、部活指導で野球部に携われたことが学生時代の良き思い出です。
私と東京六大学野球との出会いは幼少期まで遡ります。両親が立教大学卒で同級生(昭和36年卒)、在学中に4連覇を含め優勝5回、立教の黄金時代だったこともあり野球が大好きで、私は子どもの頃から母に手を引かれ神宮球場へ足を運んでいました。小学生の時に神宮で活躍されていた方々のうち、立教OBで審判員を務められた桑原和彦さん(昭和62年卒)、元雄潤さん(平成3年卒)は後に私の人生を変えてくださった先輩です。
私は立教大学を卒業後、父が経営する会社を継ぐため仕事に専念する日々でしたが、30歳を過ぎた頃、好きな野球に何か携わることができないかと審判員に興味を持つようになりました。ある時、一般に募集されていたアマチュア野球の審判講習会に参加したのですが、その講習会で小学生の時に可愛がってもらっていた桑原さんと元雄さんに再会し、この運命的とも言える先輩との出会いを通じて自分が本気で審判員を志すきっかけになりました。2008年から高校野球、その後に社会人野球、そして2012年の春季リーグ戦にて夢見ていた東京六大学野球の審判員として神宮球場のグラウンドに立つことができました。六大学の審判員は各校の野球部OBが務める慣例にありますが、野球部OBではない私を推薦してくださった立教大学野球部OBOG会の皆さま、私が在籍していた教育学科の教授で当時の野球部長でした前田一男先生には感謝しかございません。

さて、私が審判員になってからずっとご指導いただいていた大切な先輩を紹介したいのですが、先にも触れました元雄潤さんについてです。元雄さんは立教OBで1998年から24年間一筋に六大学の審判員を務められましたが、2022年3月、癌を患い53歳の若さで永眠されました。私は元雄さんから審判員を務めるにあたっての心構え、審判技術だけでなく生活態度への叱責を含め事細かく教えてくださいました。元雄さんが突然にして病に襲われ、わずか半年に満たない余命を宣告されても審判を諦めず、2021年秋季リーグ戦の明慶1回戦で復帰を果たし、その勇姿を見届け試合後に涙を流しながら元雄さんと抱擁したあの日の出来事は一生忘れることはありません。
現在、立教OBの審判員は深沢俊一さん(平成19年卒)、田澤央義さん(平成22年卒)、竹内健太朗さん(平成30年卒)と私の4名で構成しています。桑原さんは審判技術顧問として日頃からご指導をいただいております。毎日の仕事とは別にこれほどまで夢中にさせてくれた審判活動、リーグ戦だけでなくオープン戦では各校のグラウンドにも足を運び、学生とのコミュニケーションを通じて多くの刺激を得ていることは実に貴重な機会です。
私は六大学の審判員になって今年で14年目を迎えているところです。野球競技の経験は中学校半ばまで、硬式のボールを手にしたことすらない自分が、今こうして東京六大学という最も歴史がある学生野球の舞台でジャッジできることに感謝し、これからも日々の研鑽を続け、精進する所存です。今後ともよろしくお願い申し上げます。

(審判員 松本 知一 立教大学 平成11年卒)

第2週

ラストシーズンにかける思い

2025/9/17 UP
OPEN

明治大学

「ラストシーズン、必ず天皇杯を獲って終わる。」全員がこの思いを強く持っている。春シーズンは優勝決定戦で敗れ2位。入学から3連覇を経験させてもらったが、その後は4季連続2位。そこで秋に向けて主将木本を中心に4年生でもう一度チームの目標を再確認した。結果を追い求める姿勢も強くなった一方で後輩たちに何かを残そうという姿勢も見られるようになった。新チームになってから掲げたスローガン、「奪冠」。私たちが下級生の時に見た景色を後輩たちに受け継ぐ。喜怒哀楽をともにしてきた日本一最高な仲間と、日本一の応援団と、日本一熱いファンの皆様と、頂点へ。9月20日の初戦へ最高のイメージで迎える。 (本岡里空)

法政大学

法大のこの秋にかける思いは並大抵ではない。総優勝回数は早大に続く2位と偉大な先輩方が輝かしい成績を残されている我々法大。ただ、2020年春以来、優勝から弊部の記録は遠のいている。この夏は春の屈辱を晴らすべく、チームスローガン「執念」の元、目の前の一球、目の前の試合、目の前の私生活にまで注力し活動をしてきた。連盟結成100周年、弊部創立110周年の記念すべきこの年に、変革の法政で新たな歴史を創る。残りのリーグ戦、一戦一戦一つ一つ目の前のアウトを積み重ね、悲願の天皇杯奪還に向け邁進する。 (藤森創立)

東京大学

この秋の目標は「勝ち点獲得」。これのみである。1年生の頃からミーティングを重ね、Aチーム、Bチーム関係なく、勝利に向かう組織としての目指すべき形を模索してきた。ベストナインは3人で4回、プロ野球選手を父に持ち、フレッシュトーナメント、リーグ戦双方で勝利したエース、神宮球場で既に3本のホームランを放っている主将、他にも下級生の頃から経験豊富な選手が多く、期待していただくことの多い代だった。そんな中で春季リーグ戦は1勝も出来ず、5試合が3点差以内での敗戦という非常に悔しい結果となった。我々の目標は神宮球場で強い相手に良い試合をすることではない。勝利することである。 日々ご指導いただく大久保監督、石井助監督、鈴木部長と、ご支援いただくOBの方々、保護者の方々と、後押ししてくださる応援部のみんなと、日々熱い声援をくださるファンの皆様と、そして何より苦楽を共にしてきた137人の部員達と勝ち点の喜びを分かち合う。そのためには、東大野球部主務として過ごす残り40日自分にできる全てを捧げたいと思う。(奥畑ひかり)

立教大学

チームスローガンに「飛躍」を掲げてもうすぐ1年が経過しようとしている。昨年までに味わった、勝ちきれない悔しさを晴らし、弊部が大きな“飛躍”を遂げるべく、チーム全員で一球に拘ってきた。春のキャンプでは1ヶ月半もの長期遠征にてみっちりと練習と実戦経験を積み重ねた結果、春季リーグ戦では勝ち切れる試合が増え3位と昨年よりも成績を上げることができた。しかし、弊部の目標はリーグ戦優勝以外にない。あと一勝、あと一球の重みを春に痛感したからこそ、この夏とことん必死に、そしてひたすら“熱く”野球と向き合ってきた。4年生は入部以降まだリーグ戦優勝を経験したことが無い。だからこそこの秋のリーグ戦はどのチームよりも一球への執念を持って8年振りのリーグ戦優勝を勝ち取りにいく。(大場航誠)

早稲田大学

ラストシーズンにかける思いを問われたら、早大の4年生は、全員が「4連覇」を達成することについて答えるだろう。そこに至るまでの過程や役割など、個人で違いはあれど、最終的には4連覇の達成、すなわち秋季リーグ戦の優勝へと結びつく。今年の代は、1・2年次、リーグ戦で勝つことの厳しさを多く味わってきた。3年次には春秋連覇を達成。全日本大学野球選手権大会や明治神宮野球大会にも出場し、全国の舞台を経験することもできた。酸いも甘いも経験した状態で迎えた最終学年。春季リーグ戦で優勝し、3連覇を達成することができた。「自分たちの代で優勝する」ことの嬉しさは格別であった。この3年半を通して、日頃応援してくださっている方や、支えてくださっている方に喜んでいただく・恩返しをするためには、リーグ戦での優勝しかないことを知った。この秋季リーグ戦で優勝をすれば、早大としては2度目の4連覇達成、さらに東京六大学野球連盟創設100年目の年に通算50回目の優勝達成という、歴史的にも非常に重要なシーズンとなる。この代に懸かる期待とプレッシャーは大きい。自分たちのラストシーズンを、このような最高の状態で迎えられるということは大変光栄なことである。様々な立場から、様々な思いを持って臨む最後のリーグ戦。4年生全員が見据えるのは同じ「4連覇」のみである。(成瀬かおり)

慶應義塾大学

入部してから今春までの7シーズン、日本一の栄光もBクラス入りの挫折もどちらとも味わってきた。特に今春は、シーズン終盤まで優勝の可能性を残しながら早稲田に二連敗を喫し、二期連続の5位という悔しい結果に終わった。4年生の代は、2年秋のフレッシュリーグで優勝を果たし、先輩方から期待されていた学年である。しかし、現在リーグ戦のスターティングメンバーは下級生が多く並んでいる。若い力の台頭を嬉しく思う一方、ラストシーズンに神宮の舞台で躍動する4年生が見られないことに虚しさを感じる。しかし、たとえ野球の実力でチームの勝利に貢献することができなくても、日頃の立ち振る舞いや練習への姿勢、後輩とのコミュニケーションなど4年生がラストシーズンに与える力は絶大なものがある。二年前、日本一に輝いた慶應を後輩にも見せたい。チームを救うのはラストシーズンを迎えた4年生である。『優勝』しよう。(勝野淳)

応援席から

神宮六景

マネジャーで得た「学び」

小生が大学4年間在籍した平成初期と、現在の令和時代では、マネジャー事情も大きく変わった。聞くところによると、大学入試が終わると、合宿所には多くの問い合わせがあり、エントリーシートを経て、監督と面接を行い、厳正に選考し、入部が認められる。男子部員は定員2人対して5人ほど、女子部員は定員3人に対して15人ほどの応募があるという。信じられないほどの人気ぶりだ。

当時は人材不足だった。現実問題、だれもマネジャーはやりたがらなかった。入学後、選手としての技量が厳しい部員に対し、マネジャーを打診するケースはあったが、受け入れるのは稀である。スポーツ推薦組、選手上がりのマネジャーへの転身は難しい。高校時代はスター選手として騒がれてきたわけで、裏方業務への拒否反応は、より大きくなる。

付属高校出身の小生は野球部マネジャーだった3年夏を前に、監督を通じ、大学野球部マネジャーの打診を受けた。付属校から前もって、人員を確保する意図があったようだ。

付属中学時代から東京六大学、神宮球場の雰囲気が好きであり、応援団への入団も考えていた。だが、より身近で「真剣勝負」に関われると、法大野球部への入部を決めた。

入学当時のマネジャーは4年生1人と3年生1人。つまり下級生は1人だ。入学式よりもだいぶ前の1993年2月10日に合宿所に入寮した。スポーツ推薦組、付属校と同じタイミングだった(3月に若干名の一般入試組が入部する)。私物もほとんど持たずに入寮すると、想像以上の雑用の山が待っていた。理不尽なことも、すべてがプラスになると受け入れた。

2年生になっても、新たなマネジャーは入部してこなかった。山積みの雑用は継続。一方、サブマネジャーとして、一部ではあるが、仕事を任されるようになった。この1年間は2人体制。今の野球部では、あり得ない人員である。この年、山中正竹監督が就任した。バルセロナ五輪で銅メダルへ導いた指導者は、企業人としての経験も豊富であり、チームビルディングの基礎を勉強する機会に恵まれた。目配り、気配り、心配り。山中監督との出会いが、人としての生き方、人生観を大きく変えるターニングポイントとなった。マネジャーで得た「学び」が、今も支えとなっている。

3年生になると、1年生マネジャーが入部。チーフマネジャー(主務)の役割と、下級生の教育という2つのテーマが与えられた。他の5校は4年生主務である。同年は東京六大学野球連盟結成70周年と、各種記念行事が重なった。5大学の先輩マネジャーの優しいご指導により、何とか1年間を全うすることができた。野球部でも、4年生の気遣い、協力があり、何とかチームを動かすことができた。

4年時は2年目の主務。前年の反省を生かそうと、マネジャー業務にまい進した。新たな1年生が入部し、下級生2人を指導。卒業後の次年度は6年に1度の当番校が控えており、より緊張感を持って接したつもりだ。

一人では何もできない。指導者、OB会、先輩、同級生、後輩への「感謝」を形に残そうと、マネジャーマニュアルを作成した。下級生時代に行き当たりばったりの業務が続き、バタバタした苦い経験から「トリセツ」が必要と考えた。もちろん完成形ではない。後輩にはさらなる「ブラッシュアップ」を託して卒業した。

今年1月。「平成8年卒 東京六大学野球部・応援団 合同同窓会」が行われた。卒業から30年。小生は1学年下の3年生主務ではあったが、諸先輩の配慮により、幹事の一人として運営に携わった。各校の野球部、応援団(部)から卒業生80人が出席。2つの組織は、リーグ戦運営における「一心同体」である。約30年ぶりの再会で、旧交を温めた。

来年1月には「平成9年卒 東京六大学野球部・応援団 合同同窓会」が開催予定で、準備を進めている。大学の野球部の枠を超えた「仲間意識」が、東京六大学の良さ。卒業後もこれらの「絆」により、何度も助けられる場面があった。OB会の役割は、親睦と現役学生への支援である。微力ではあるが、人として育ててもらった東京六大学のために、さまざまな形で尽くしていきたいと考えている。

法政大学平成9年(1997年)卒業 岡本朋祐

第1週

この夏の収穫

2025/9/10 UP
OPEN

慶應義塾大学

この夏の収穫はディフェンス力の強化と粘り強い攻撃力の獲得である。投手陣は外丸東眞(4年=前橋育英)、渡辺和大(3年=高松商業)の2枚看板に加え、水野敬太(2年=札幌南)の台頭により厚さを増した。守備でも、捕手として活躍していた渡辺憩(2年=慶應義塾)のサードコンバートを実行。より強固な内野陣となりディフェンス力の向上に繋がった。攻撃面では、春季リーグ戦後に課題として挙げられた三振の多さを克服するために、多くの練習やオープン戦をこなし、粘り強く接戦に強い攻撃力を獲得することができた。今夏は例年の北海道キャンプだけでなく、8月末に『オール早慶野球戦名古屋』『オール早慶野球戦愛媛』を実施。リーグ戦のような緊張感のある雰囲気の中で宿敵・早稲田大学と2試合戦うことができた。結果は両試合ともに引き分けに終わったが、今夏に培った粘り強さを発揮することができた。夏の期間、合宿先の地元の方など多くの人の支えの中で部の活動が成り立っていることを改めて実感した。塾野球部を応援してくださっている全ての方への感謝と恩返しを胸に、夏に培った力を発揮して秋季リーグ戦に挑みたい。(勝野淳)

明治大学

今年も例年同様、島岡吉郎御大ゆかりの長野県高森町にてキャンプを行い、朝から夕方まで汗を流して練習に打ち込む9日間を過ごした。今年、選手たちを苦しめつつもパワーアップさせているのは通称「松トレ」と呼ばれる松岡功祐コーチによるトレーニングであろう。選手たちが球を追いかけて走り回る姿はとても印象的で、練習終了後の表情には達成感が滲んでいた。辛い練習を共に乗り越え、秋季リーグ戦に臨むための団結を強めてきた。チーム木本として挑むラストシーズン、選手たちはそれぞれに想いがある。主将・木本圭一(4年=桐蔭学園)は「やり残したことはリーグ戦優勝と日本一」と話し、4年生の結束も高まった。優勝への覚悟を決めた秋が今始まる。(本岡里空)

法政大学

この夏の収穫といえば、なんと言っても基礎体力の向上だ。春、弊部は力の差はもちろんのことだが体力的な部分で他大学と比べ劣り、試合終盤の粘りに繋げることができなかった。その反省を元にこの6.7.8月は食事の大切さや連戦を戦い抜く為の練習に時間を割くことができ、ひいては集中力やチーム力の向上にも繋げることができた。その成果は明確で、この夏練習量は減らすことなく重度の熱中症患者も出すことなく、また実戦での試合終盤の逆転や勝ち切りが一歩ずつではあるが数字に表れるようになってきた。リーグ戦とは体力勝負であり、リーグ戦期間中の体力的、技術的、チーム力の成長が優勝に繋がること、これは間違いない。弊部は天皇杯を喉から手が出るほど欲しい。ただ、一歩ずつではあるが成長できている弊部にとって、焦りは禁物である。この夏やれるだけのことはやり切った、そう自負しており、当たり前のことを当たり前にやりきることができれば必ず勝てる、私はそう信じております。110年の輝かしい伝統に相応しい法政大学野球部を、そして100年の歴史に相応しいゲームを他校と繰り広げ、この秋が東京六大学野球、そして法政大学野球部の歴史に新たな1ページを刻む年になることを切に願っています。
末筆にはなりましたが、日頃より弊部への多大なるご支援、ご声援を賜り誠にありがとうございます。是非皆様におかれましては神宮球場にお越しいただき、スタンド、グラウンドが一体となり、季節は秋へと移り、涼しくなりますが神宮球場だけは常に情熱あふれる舞台にしたい、そう考えております。引き続き変わらぬご支援をいただきますようお願い申し上げます。(藤森創立)

東京大学

Aチームは北海道遠軽町、Bチームは岩手県盛岡市、洋野町で合宿を行った。Aチームは合宿先で東京農業大学オホーツク、北海学園大学という全日本選手権の北海道代表2校とオープン戦を戦い、全国レベルを体感した。合宿後に行われた七大戦(全国七大学総合体育大会)では、初戦大阪大学戦で9回ツーアウトから逆転勝ちを収め、終盤に粘れるチームになったように思う。次戦の北海道大学には敗戦してしまったものの、3位決定戦では辛くも名古屋大学に勝利した。勝利の喜びと敗戦の悔しさを知る大会となった。その後もオープン戦を重ね、猛暑にも負けない熱い夏を過ごしてきた。春の悔しさを胸に、一皮向けた東大野球部をこの秋ご覧いただきたい。(奥畑ひかり)

立教大学

この夏、立教大学野球部は「1球」に懸ける強い思いを胸に、岩手県盛岡市と陸前高田市で夏キャンプに臨んだ。天候にも恵まれ、朝から晩まで仲間と共に汗を流しながら成長を重ねた。例年以上に多くのオープン戦に挑み、その一球一球に緊張感と責任を感じながら、実践の中で実力を磨き上げてきた。さらにはプロ野球球団との対戦を通じて、大きな刺激と学びを得ることもできた。春のリーグ戦で「サヨナラの立教」「粘りの立教」と呼ばれた私たち。しかし、誰ひとりとして結果に満足してはいない。胸にあるのはただ一つ、優勝という目標だけ。春に味わったあの「1球の後悔」を、二度と繰り返さないために。そして、応援してくださるすべての方と喜びを分かち合うために。この夏に積み重ねた努力と覚悟を胸に、立教大学野球部は飛躍し、秋のリーグ戦を全員で戦い抜く。(田中佑樹)

早稲田大学

この夏の最大の収穫は、「チーム力の深化」である。早大は8月、新潟県南魚沼市にて夏の強化合宿を行った。この強化合宿は、天皇杯を死守し、4連覇の栄冠をつかみ取るために極めて重要な意味を持っていた。弊部・安部寮ではレギュラーメンバー約20名と限られた部員での生活が中心だが、強化合宿は大所帯で寝食を共にすることで、チームとしての結束力を高めるかけがえのない時間であった。この夏の強化合宿でチームが大きく成長できた要因の一つは、毎日の練習にテーマを設け、それを共有し、意識して取り組んだことにある。練習開始時にはその日のテーマを全員で確認し、夜のミーティングでは達成度を振り返り、翌日のテーマを設定する。こうした積み重ねが、選手一人ひとりの意識を高めると同時に、チーム全体の方向性を一致させる大きな力となった。寝食を共にしながら切磋琢磨する中で、仲間の声掛けに励まされ、自らの課題に気づく場面も多くあった。強化合宿を通して、単なる技術向上にとどまらず、互いを信頼し合う強いチームへと成長することができた。この秋、リーグ戦4連覇と通算50回目の優勝に挑む最高の舞台が整った。夏に磨き上げた六大学一のチーム力を神宮の地で証明する。(北嶋晴輝)