早稲田大学
常に熱く、誰よりも人の気持ちを考え、選手に寄り添う。主務という重責を担った1年間、北嶋晴輝(4年=早稲田佐賀)はすべての時間をチームにささげてきた。選手として神宮の舞台に立つことがかなわなかった悔しさを胸に、彼はマネージャー業務に打ち込んだ。チームの先頭に立ちながらも選手のサポートもこなしてきた彼の存在は春季リーグ戦優勝の大きなパーツとなった。支えてくれるOBOG・ファンの方への真摯で温かい対応、マネージャー・チームのリーダーとしての威厳、時には矢面に立ちながらも主務としての職務を全うする姿。そのすべてがチームの信頼を支えていた。ただ、彼の求心力が存分に発揮されたのは、井上彩希(4年=金沢泉丘)・成瀬かおり(4年=千種)の活躍があってこそである。井上は前面にあふれ出る気合と高いコミュニケーション能力で、選手から絶大な信頼を得た。成瀬は静かな情熱と、視野の広さで何度もチーム、後輩を救ってきた。3人のそれぞれの”色”が遺憾なく発揮されたこの1年。三原色が混ざりあうとどんな色も生み出すように、3人が互いに支え合うことで、どんな困難も乗り越え、無数の色を描いてきた。その3人の最終章として描かれるのは、紺碧の空のもとにまばゆく輝く天皇杯に違いない。(大野郁徳)

慶應義塾大学
今年度、慶應義塾大学野球部で主務を務めるのは、勝野淳(4年=慶應義塾)である。慶應義塾高校野球部時代にはマネージャー・主務としてチームをまとめ上げ、満を持して大学野球部に入部した。高校時代から培ってきた豊富なマネージャー経験を活かし、現在はその確かな手腕と存在感でチームを牽引している。勝野の最大の魅力は、彼が持つ二つの顔にある。普段はユーモア溢れる振る舞いで周囲を笑顔にし、明るい雰囲気を生み出す存在だ。「一緒にいると自然と笑顔になれる」彼には周囲からそんな言葉が寄せられる。一方で、困難に直面したときやチームに喝を入れる場面では、その表情が一瞬にして引き締まる。熱い眼差しと魂を宿した言葉が、チームを何度も奮い立たせてきた。溢れ出す明るさと優しさ、そしてその奥に秘めた熱い想い。常に組織のことを考え、部員一人ひとりに寄り添う彼の姿は、まさに真のリーダーそのものである。そんな彼が率いるチームの集大成となるのが、伝統の早慶戦だ。早稲田に勝利し、西日に照らされた秋の神宮球場で歓喜の空を舞う彼の姿が待ち遠しい。(沖﨑真周)

明治大学
チーフマネージャーを務めるのは、島抜康介(3年=日立一)。2025年下半期のマネージャーの長としてチームをまとめ上げる。彼は高い意欲と向上心を持ち合わせ、下級生の頃からすでに大きな存在感を示してきた。持ち前の愛嬌と明るさで、マネージャー・選手・指導者の橋渡し役としてチームの潤滑油となっている。時には自らの意見をはっきりと主張することもあるが、それはすべてチームのためであり、より円滑な運営を目指す姿勢の表れだ。常に反省と改善を繰り返し、前向きに行動している。1つ上の代でチーフマネージャーを任されるという重圧は計り知れないが、マネージャー全員の協力体制のもと、チーム木本の有終の美を飾りたいという思いで日々奔走している。来年度は連盟チーフマネージャーとしてさらなる活躍が期待される彼の成長と挑戦の姿を、ぜひ見守っていただきたい。(加藤珠海)

法政大学
今年度、法政大学の主務を務めているのは藤森創立(4年=五所川原)である。彼はどのような状況でも冷静に物事を判断し、常にチームのことを最優先に考えて行動している。自分に厳しく妥協を許さない姿勢は他のマネージャーにも良い刺激となっている。彼の持ち味は幅広いマネージャー業務を丁寧に効率よく行うスキルと高いコミュニケーション能力、そしてチーム全体を導く行動力である。新チームが始動してからは、チームスローガンに掲げた「執念」のもと、近年遠ざかっているリーグ優勝・日本一の達成を目指し、幹部を中心に部の方針を幾度となく見直してきた。選手が練習に集中できる環境づくりを心掛け、各役職のスタッフとも密に連携を取り、円滑なチーム運営を行っている。誰よりも勝利にこだわり、チームに寄り添う姿はまさにマネージャーの鏡である。(佐藤瑛)

東京大学
奥畑ひかり(4年=智辯和歌山)は東大野球部史上初の女性主務を務める。誰もが知る野球強豪校出身だが、本人の野球熱も相応で、東大の合格発表直後にいち早く野球部への門を叩いた。入部後も持ち前の野球部愛でどんな仕事も積極的に取り組み、合宿へオープン戦へ、どこへでも元気よく出かけていく姿は彼女の強さを感じさせる。明るく朗らかな性格だが、勝てない試合が続いた春は主務としての責任感から険しい表情を浮かべることも多かった。秋にやっと掴んだ1勝、彼女のこれまでの努力が報われた、そんな1勝だった。残るは1カード、チーム目標である「勝ち点獲得」に向け、今日も彼女は笑顔で仕事に励む。(番匠由芽)

立教大学
今年度の立大野球部で主務を務めるのは、田中佑樹(4年=立教池袋)である。常に部員とスタッフ双方の立場から物事を捉え、誰もが練習や業務に集中できる環境づくりに尽力してきた。昨年11月からはチームの“顔”として部の要となり、膨大な仕事量を淡々とこなす姿勢は部内外から厚い信頼を集めている。勝利への執念、そして選手に寄り添う姿勢は六大学随一。2月には異例となる1か月半に及ぶ春季キャンプを成功に導き、その裏には並々ならぬ努力があった。どんな困難な状況でも「立教のため、選手のため」に奔走する彼の姿は、まさにマネージャーの鑑。妥協を許さぬ行動力と広い視野でチームを支え続ける田中佑樹に、同期マネージャーとして深い尊敬と誇りを感じている。彼が先頭に立って引っ張ってきたこのチームで、必ず優勝を果たしたい。(小野馨子)

応援席から
東京大学運動会応援部 
東京大学が六大学の中で際立っているのは「一勝」への執念の強さだろう。
東大が勝ち、試合終了と同時に球場全体が包まれる観客の歓声。他大学の場合、これに匹敵する歓声は優勝したときでしか聞けないとも言われる。東大にとって「一勝」の持つ意味はそれだけ大きい。
「応援席から」
そう、我々がいるのは応援席であり、グラウンドではない。ボールには触れもしないし、プレッシャーと対峙しながらプレーすることもない。プレイヤーであり、試合結果に直接関与する選手たちと我々との間には、本質的な差異を認めざるを得ない。
そうした中でも、応援席にいる以上は目の前の「一勝」に何としてもチームを近づけたい。硬式野球部の「逆襲」に、微力ながら何とかして貢献したい。
東京大学運動会応援部は近年部員が増加傾向にあり、最近は100名を超す大所帯となった。考え方は各人各様といえども、「一勝」に向けた想いをチームに「至」らせようと試行錯誤する姿勢は全員に共通している。
最後の1カード。一丸となった応援席で、必ず東大が勝つ。
(東京大学運動会応援部主将 縣勇樹)
神宮六景 
私が東京六大学野球に憧れを抱いたのは高校2年の冬。母校・岐阜県立長良高校のOBで現役の立教大学の選手が、胸に「RIKKYO」と刺繍されたTシャツを着て練習を見に来てくださった時です。がっしりした体格で、自分のような丸坊主ではなく、髪がさらさらでとても格好よく、「RIKKYO」の文字が輝いて見えました。厳しく指導を受けたのですが、不思議と怖さよりも憧れの気持ちが強く残りました。
しかし私の学力では東京六大学への進学は叶いませんでした。そして関西六大学リーグ所属の大学に進学するも、野球部はすでに推薦入部者で埋まっており、大きな実績もない私は入部を認めてもらえませんでした。
入学早々、目標を失った私は「好きなお笑いでもやろう」と思い、落語研究会へ。「漫才をやりたい」と申し出たところ、先輩に「まずは古典落語を覚えてから」と言われ、落語のCDを聴いてみました。
しかし、落語はまったく頭に入ってこず、やはり自分は野球が諦めきれないと痛感。高校の恩師と親に電話し、浪人して東京六大学野球を目指す決意をしました。
浪人生活はとても孤独でしたが、勉強に疲れた時は、早稲田大学の入学案内に載っていた早慶戦の写真を眺めたり、早稲田大学のテレフォンサービスに電話して校歌を聴いて、モチベーションを保ちました。
慶應を目指そうと決めたのは、同学年で甲子園の大スター(桐蔭学園の高木大成選手や、市川高校の樋渡卓哉選手ら)の存在が大きかったです。雑誌の特集で彼らが野球と学業を両立している姿を見て、「一緒にプレーしたい」「こんなキャンパスライフを送りたい」という思いを強くしました。
また、1992年秋のシーズンで慶應がリーグ優勝・明治神宮大会を制覇した時の中心選手数人が浪人経験者だと知り、慶應なら自分にも門を開いてもらえると信じ、慶應志望を固め必死に勉強しました。
翌春、1浪で慶應に滑り込み、1年前の反省を踏まえ、合格発表後すぐに野球部へ連絡し入部の意思を伝えると、3月下旬の「招集日」までに入寮するよう案内を受けました。布団を先に送り、野球道具と最低限の荷物を持って上京。招集日にキャンプ帰りのレギュラーメンバーが揃い、憧れていた選手たちを目の前にして鳥肌が立ったことを覚えています。
入部後は、野球中心の生活ながらも授業にも出席、雑誌で想像した以上の充実した日々がスタートしました。しかし同時に、野球の実力・知識、基礎体力の全てにおいてレベルの差も痛感し、毎日練習についていくのがやっとの苦しい状況もありました。
それでも続けられたのは、やはり憧れの力でした。慶應は、選手自らが考え、足りないと思えば自分で練習する、主体性が尊重される大人の野球部だと感じました。それは福澤諭吉先生の「独立自尊」の考えにも通じるのかもしれません。また、1年生の自分にも感じ取れた前田祐吉監督の「エンジョイ・ベースボール」によるチームの雰囲気への憧れと誇りに支えられました。
4年時には学生コーチとして後藤監督の補佐や試合でランナーコーチを務めました。オープン戦から監督のサインを全て記録し、イニング・点差・カウント・塁状況ごとに戦術を分析。監督の野球を理解しようと努めました。
春季リーグ初戦の朝は、大舞台に慣れていない緊張と重圧で、選手でもないのに何度も嘔吐しながら試合に臨んだほどでした。
学生コーチとしてやり遂げられたのは、私が推薦された際、同級生全員でほぼ2日徹夜で話し合い、「松井を全員でサポートする」と約束してくれたからです。その言葉通り、仲間は1年間共に戦い、支えてくれました。
私たちの学年は4年間で一度も優勝できませんでしたが、同級生で主将だった加藤くんが後に野球部出身初の部長となり、2023年秋、ついに悲願のリーグ優勝、私が浪人時代に憧れた神宮大会優勝も果たしてくれました。このことは同級生にとって本当にうれしいことでした。
六大学野球を目指す高校生の皆さんに伝えたいのは、六大学野球は憧れるに値する素晴らしい場所だということです。
2023年のWBC決勝戦前に大谷翔平選手が「今日だけは憧れるのをやめましょう」という言葉を残しましたが、憧れは大きな力になります。ぜひこの素晴らしい舞台に憧れ、挑んでください。そして憧れを越えて、神宮球場で思い切りプレーしてほしいと思います。
(慶應義塾大学平成9年卒 松井幸喜)