慶應義塾大学
慶應大学野球部主務として部の円滑な運営を行っているのが宮田健太郎(4年=慶應義塾)である。まずは彼の異色な経歴を紹介したい。幼稚舎の野球部では廣瀬隆太(=現ソフトバンクホークス)を3番に置き、4番を打つほどの実力者。高校時代は馬術部でインターハイに出場。ベスト4という好成績を残した。何をやっても器用にこなす彼は大学野球部の門を叩くわけだが、その働きぶりからは手綱の上手さが感じられる。先輩への頼み方や後輩への指導、監督コーチとの交渉や選手との関係性。どれをとっても手綱をうまく操り、勝利に向けたマネジメントを行う姿はまさにチームとの人馬一体である。昨年の明治神宮大会で優勝を収めたことで、チームの顔として彼が背負ったプレッシャーは計り知れない。しかし、どんな状況でも慶應野球部のために、選手のためにと懸命に業務に励む彼の姿はマネージャーの鑑であり、彼の持つ広い視野でチームは何度も救われてきた。幼稚舎から慶應で過ごし、愛塾心に溢れる彼にとって2024年集大成となる華の早慶戦にかける思いは誰よりも強い。彼が手綱を引き続けてきたチームは必ず早稲田に勝利するだろう。満員の神宮球場で彼を胴上げする日が楽しみでならない。(勝野淳)
明治大学
今年度、チーフマネージャーを務めているのは岸上さくら(4年=立命館慶祥)である。114年ある明大野球部の歴史の中で女性がチーフマネージャーを務めるのは史上初だ。彼女は持ち前の明るさを発揮して、チームの顔となり常にチームのことを最優先に考えてきた。選手たちが野球に集中することができているのは彼女の功績が大きい。また、彼女の一番の魅力は笑顔である。どんなに忙しくて疲れていてもいつも笑顔を絶やさず、試合後にファンの方や保護者の方とニコニコ笑顔で話す姿が印象的だ。また、彼女はいつでも温かく寛容な心をもっている。そのため、野球以外の悩みであっても彼女のところに相談に行く人は少なくない。そんな彼女だが、実は少し負けず嫌いな一面も持っており、試合に負けた日は悔しい顔を浮かべながら寮へ戻ってくる。今年は史上初の女性チーフマネージャー+チーム宗山ということもあり、彼女にのしかかる周囲からの重圧は計り知れないものがある。しかし、その高い期待を超える岸上を是非神宮球場で見ていただきたい。(西田大流)
法政大学
弊部の今年度の主務を務める黒坂夏希(4年=法政)。法政高校時代にエースナンバーを背負っていた彼は、大学へのステップアップの際にスタッフの道を選択。現在はチーフマネージャーとしてチームを統率している。黒坂の一番の魅力といえば、その人となりだろう。マネージャーの後輩陣は皆、黒坂を実の兄かのように慕っている。それは偏に、仕事に対して誠実に向き合う彼の背中と温和な人柄に感銘を受けた故である。スタッフのみならず、選手からも厚い信頼を寄せられている。ベンチに戻る選手とそれを熱く迎える黒坂の姿をご覧いただければ、その片鱗を感じることができるはずだ。力強くハイタッチを交わすシーンに何度胸を打たれたか分からない。そんな赫々たる主務、黒坂の下で活動できるのもあと僅か。残された1カードは、選手だけでなくベンチに控える我らがチーフマネージャーにもぜひ注目して欲しい。(栁澤諄)
東京大学
先日の対法政大学3回戦の試合後、ベンチには目に涙を浮かべる主務の岩瀬笑太(4年=開成)の姿があった。7年ぶりの勝ち点がかかった大一番での敗戦への悔しさと彼の責任感の強さが現れていた。どんな負け方の日も、一日一日の敗戦を悔しがる姿をこの3年間近くで見てきた。特に主務としてのこの一年間は、試合展開も相まってベンチで悔しがる姿を多く目にしたように思う。そんな勝負に厳しい彼が主務だから、7年ぶりにシーズン2勝をあげるチームとなった面もあるだろう。入部時は選手だったからこそ、選手に寄り添い、特に人工芝張り替えやマウンドの整備といったハード面でチームを支えてきた。OBや部外の方と積極的にコミュニケーションをとるチームの顔としての部分も尊敬できるが、マネージャーのリーダーとしての部分、言わば彼の面倒見の良さに私は何度も救われてきた。時に厳しく、時に優しく、後輩のミスをカバーしてくれる、そんな存在である。特筆すべきは、当初男子マネージャーがいなかった自分達の代(現3年)の為に寮での最下級マネージャーを2年務めてくださったことだ。ずっとその背中を追い掛けてきた彼がいなくなるのは寂しいが、そんなことは言っていられない。今シーズンの2勝の際のベンチは、角能副務(4年=攻玉社)と德田副務(4年=学芸大附)であった。あとは岩瀬主務だけ。最後の立教戦、必ず勝ってその名の通り彼の4年間を笑顔で終えさせる。(奥畑ひかり)
立教大学
遠山夏澄(4年=駒場)は、立教大学野球部の二代目女性主務として、チームを力強く引っ張ってきた。今年は野球部にとって大きな変革の年であり、監督交代など、困難な局面を乗り越える中で、彼女は重要な役割を果たしてきた。地域貢献の一環として地域清掃を行い、新たに野球教室を開催し、多くの講演会にも参加するなど、野球部が新たな一歩を踏み出す先頭に立って活動する姿は印象的であった。笑顔がトレードマークの彼女は、明るく社交的で、誰とでもすぐに打ち解ける性格を持つ。学年に関係なく全員に目を向け、チーム全体の調和を大切にし、部の運営が円滑に進むよう、気配りや目配りを欠かさない彼女の存在は、野球部にとって欠かせないものであった。時には、考え込みすぎて涙を流す姿を見かけることもあったが、人前では常に明るく振る舞い、笑顔でチームを支える彼女の姿は、多くの人々にとって大きな励ましとなり、後輩たちは彼女に対して深い尊敬の念を抱いている。立教大学野球部の成長と再生を牽引する彼女の努力と情熱には、深い感謝と敬意を表したい。(田中佑樹)
早稲田大学
本年度、伝統ある早稲田大学野球部の主務を務めるのは、中原由信(4年=早稲田実、写真右)である。彼の強みは一瞬にしてその場を和ませ、周りを笑顔にする力だ。ユーモア溢れるワードチョイスで選手や後輩マネージャーを笑顔にし、組織をまとめ士気を高めた。常に部員とスタッフの双方の視点から物事を考え、練習やマネージャー業務に取り組みやすい環境を作り続けた姿勢は、まさに部の要である。神田航(4年=早大学院、写真左)は副務として、誰よりも野球に対する情熱を持ち、常に選手の気持ちを最優先に考えて行動してきた。彼の勝利への執念は、六大学のマネージャーの中で、彼に勝る者はいないだろう。早稲田の勝利に対する強い意志が、日々の選手のサポートにも現れていた。彼の妥協なき姿勢と行動力はチーム全体に大きな影響を与え、結束力を高める原動力となった。藤田南(4年=開智、写真中央)は早稲田大学野球部初の女性マネージャーとして、女性ならではの視点や細やかな気配りで、チームに新しい風を吹き込んできた。特にSNSなどの広報活動を通して、早稲田の魅力を発信し続けた。早稲田の魅力がこれほどまで広まったのは、間違いなく彼女のチームへの献身的な姿勢と早稲田愛に他ならない。チームの一員として部の運営に貢献し続けたその姿勢は、後輩たちにも大きな財産をもたらしてくれた。彼らにとって、ついに最後の戦いがやってきた。春秋連覇を目指す戦いも、残すは早慶戦のみ。4年間の全てをぶつけ勝利の栄光へと突き進む姿を、ぜひ目に焼き付けてほしい。(北嶋晴輝)
応援席から
東京大学運動会応援部
平素より東京大学を応援してくださり、誠にありがとうございます。
同じく応援をさせていただく立場である応援部ではありますが、恐縮ながら、2024年の東大野球部の戦いを振り返らせていただきます。
10戦全敗で春季リーグ戦を終え、野球部・応援部ともにリベンジを誓って臨んだ秋季リーグ戦。
初戦は0対20と大敗を喫し、大変苦しいスタートとなりました。
しかしそこから東大野球部は成長を遂げ、明治戦も悔しい結果とはなりましたが、確かに勝利に近づいていると感じさせるものでした。
このカードこそ、勝利そして勝ち点を取ると意気込んで臨んだ慶應戦。鈴木太陽投手の完璧な投球でついに念願の勝利を掴みました。しかし翌日、勝ち点をかけて戦いましたが、届くことができませんでした。
そして第四カードの法政戦。7年ぶりの1シーズンで2勝目を掴みました。東大野球部の実力は確かなものだと応援席一同感じ、次こそ必ず勝ち点を掴み取ってみせると全員で意気込みましたが、またしても勝ち点奪取とはなりませんでした。
ただ我々の戦いは終わっておりません。最終カードの立教戦で必ずや勝ち点をとってみせる、と野球部は力強く覚悟を決めて練習をしていることと思います。そして我々応援部も、野球部とともに勝ち点を必ず掴み取るために日々練習に励んでおります。
しかし、野球部と応援部だけで勝利を掴み取ることはできないと私は考えております。応援席にお越しくださる観客の皆様、そして東大野球部を応援してくださる全ての方々の後押しがあって、遂に強豪校相手に勝利を掴み取ることができるはずです。
TEAM2024も遂にラストカードとなりました。皆様のご声援で、必ず東大野球部とともに勝利を、そして勝ち点を掴み取りましょう。
今度もご声援のほどよろしくお願いいたします。
(東京大学運動会応援部 主将 長尾翼)
神宮六景
私の出身である兵庫(関西)の野球少年から見た東京六大学野球(神宮球場)はまさに憧れと表するにふさわしい存在(場所)でした。
私にとって特に早慶は文武両道の象徴でありその中で昔からスタイルを変えない早稲田のユニフォームはアマチュア野球の歴史の出発点のように感じられ、それをどうしても着てみたいという思いに駆られるようになりました。
私は浪人の末 なんとか早稲田大学の野球部に入部する事が出来ました。
入部させていただいた当時の監督は故石井連藏監督。私が思い描いた、憧れの [東京六大学 早稲田の野球部] そこには憧れられるに値する厳しさがありました。
今でも鮮明に覚えている練習の一幕があります。
私が2年の時、早慶戦直前の練習でノックを打たれていた石井監督が突然練習を中断し全員をベンチ前に集めました。
その時のノックの内容が納得のいくものではなかったのだと思います。
石井監督は「これが早慶戦前の練習なのか」と静かに選手たちに問いかけ涙ぐんでおられました。
「悔し涙や感動の涙のないような練習など練習ではない」「うまくなりたい、勝ちたいという強い思いがなければ、練習する意味などない」と、常々口にされていた監督の姿を今でも思い出す事があります。
石井連藏監督には早稲田を誇りに思う強いエリート意識がありました。
しかしそれは他者と比較するような類いのようなものでは決してなく、「誇れる自分であれ!」という強いメッセージそのものだったように思います。
なんとか入部した私ですが幸運にも1年時から試合に出る機会を与えて頂きました。
4年を迎える前の春のキャンプでは生前ドジャースのフロントでご活躍された故アイク生原さんからのご縁で早大野球部と親交のあったピーターオマリー氏(当時のドジャースオーナー)の計らいにより アメリカ・フロリダ ベロビーチに招待していただきました。
そこで、名門ドジャースのメジャーリーガーたちと夢のような2週間を過ごすことが出来ました。
また春季リーグ戦では早慶戦が44年ぶりの天覧試合となりその試合にも出場することが出来ました。
振り返ると早稲田の野球部での4年間は私にとって野球(人生)の厳しさと誇りを持つという本当の意味を教えてくれた貴重でかけがえのない時間だったと思います。
来春(令和7年)、私と同じ兵庫の滝川高校で共に甲子園を目指した友人(中村君)のご子息がプロ野球への志望届けを提出せず、早稲田の野球部に入部することが決まりました。
大学野球を経て彼がプロ野球に進むのか、また違う道に進むのかは誰にも分かりません。
しかしながら、石井連藏監督の教えを色濃く継承されている小宮山監督の下
私が感じた「誇り」を彼も練習を通じて感じ取り、今後の人生においての一助となることを祈りながら早稲田大学野球部と彼を見守り、応援したいと思っています。
末筆ながらこのような機会を与えてくれた主務の日永君に心より御礼申し上げます。
(早稲田大学 平成7年卒 金城宏治)