ラストシーズンに向けて──関根大樹(成田)
こんにちは!
明大野球部一のやんちゃ坊主である鈴木貴士くんからバトンをいただきました。
4年学生コーチ兼宴会部長の関根大樹です。
まずは、新型コロナウィルスという未曾有の事態のなか、無事に春季リーグ戦を終えることができたことに感謝申し上げます。
これもひとえに医療従事者や連盟の方々、監督・コーチをはじめとする各大学の関係者やファンの方々などのご助力のおかげです。
それでは、リレーの方に参ります。
ちなみに私はあだ名が2千個ありますが、貴士くんは数ある中から「明大野球部動物園が誇るゴリラ界のエース」と紹介してくれました。
皆さん、彼はいいセンスをしていますね。
豆知識ですが、『かんこん』というあだ名は「関根(せきね)」を音読みしたもので、中学校の頃から呼ばれている名前です。
なぜか逢澤さん(H31卒・現トヨタ自動車)や喜多さん(R2卒・現日本製鉄かずさマジック)など野球部の方々から呼んでいただいております(笑)
さて、冗談はさておき、長く思えた4年間の学生野球生活も秋季リーグ戦を残すのみとなりました。
朝練習の時、同部屋の4年生を起こさないよう、アラームが鳴る前に起きていた1年生。
太っていたのになぜか氷見さん(H31卒・現東邦ガス)に食トレをやらされていた2年生。
毎週水曜日に清水風馬(4年・常総学院)とじゃんけんをして、負けたほうが喜多さんとの昼食に行っていた3年生。
どれもいい思い出です。(すみません、冗談はさておけませんでした。)
ここからは真剣にお話しさせていただきます。
私は明大野球部OBである父の影響で、小さい頃から明大野球部に憧れがありました。
しかし、受験では現役で明治大学に合格できず、1年間の浪人を経てなんとか合格し、野球部に入部することができました。
私はこの4年間を振り返って、沢山の方々とのつながりや、支えのもとで野球ができたのだと強く思っています。
昔から父が「明大野球部は世界一後輩想いだ」と言っていましたが、明大野球部の一員となった今では、その意味がわかる気がします。
田中監督、善波前監督をはじめとする指導者やOBの方々には、「野球をやる前にまず人としてどうあるべきか」という“人間力”をご指導して頂きました。
まだまだ未熟者ですが、社会に出てからも野球部での4年間を糧にし、精進してまいります。
ありがとうございました。
先輩方
こんなへっぽこな自分を可愛がってくださり、本当にありがとうございました。
先輩方が社会人になってから、自分に「一発ギャグを教えて」という連絡が多すぎて、ギャグを使いまわしていたことは口が裂けても言えません。
後輩のみんな
こんな学生コーチに3年間もついてきてくれてありがとう!
先輩方が自分を可愛がってくれた意味が、俺の後輩である君たちを見ているとわかる気がします。(俺がかわいがってもらえてたって思い込んでいる説もあるよね。)
そして同期!
いつも言っているけど、みんなの代で本当によかった!(決して他の代がどうこうという訳ではありません笑)
1年間浪人しているから、共通の知り合い(高校の後輩など)に会ったりすると、みんなにはタメ口なのに俺には敬語で、なんか時空がゆがんでいる気がしたけど、それもいい思い出です!
本当にみんなには世話になってる。こんなおっさんと仲良くしてくれてありがとう!
最後に両親へ
ここまで大好きな野球をやらせてくれてありがとう。そして、憧れの明治大学野球部で野球に携わせてくれてありがとう。
小さい頃からの夢をかなえることができたのは紛れもなく2人の支えがあったからです。
こう見えて恥ずかしがり屋だから、こまめに連絡をいれなかったのは許してね。
小さい頃よく母さんには「本当に大樹はお調子者なんだから」と言われていたね。
うん、今も色々な方に全く同じことを言われているよ。いつか直します。いつか…。
4年前、自己紹介で120人の前で「元気だけが取り柄です!」と叫んだ頃から、今でも取り柄は元気しかないですが、それでも学生コーチとして精一杯チームに貢献していきます。
チームの精神的柱になれるように元気を出して盛り上げ、秋こそはチーム一丸となって必ずや優勝します。
個人的には父と同じ50番のユニフォームを着ることを目標に、寮生活や練習に取り組んでいきます。
長々と稚拙な文章になってしまいましたが、最後までお付き合いいただきありがとうございました。
今後とも明治大学野球部をよろしくお願い致します。
次は中国4000年の歴史を誇るヒッピーブライアンこと、田村翔大くんにバトンを渡したいと思います!