俺たちのラストシーズン──大崎美穂(延岡)
皆さんこんばんは!
推し活で習得したであろう合いの手を、応援団の応援中にも発揮する秀逸なアイドルオタク、渡部翔太郎くんからバトンを受け取りました。マネージャーの大崎美穂です。
喋りが得意ではない私は、マネージャーとして様々な仕事をするうえで言葉や表現をとても大切にしてきました。これまでブログでは様々な記事を書いてきましたが、本当の意味で、最初で最後の私のブログ。私なりの言葉でこの4年の想いの丈を記したいと思います。
右から2番目
「何でマネージャーになったの?」そう聞かれることは多々ありました。その度にはぐらかしていましたが本当はある言葉がきっかけでした。この話は本邦初公開です。
最初は野球をしていた父の影響で女子野球チームに入ったことが第一歩でした。それから中高でも球技を続けましたが、高1の秋に試合中の接触で肩を脱臼し約半年リハビリをした時期があります。上手くなっていく同期にどんどんおいていかれるような気がして焦っている中、マネージャーや身近な人の言葉や気遣いが支えになっていました。私も誰かの支えになれたらいいなと漠然とした想いを抱えていた頃に六大学野球のマネージャーの存在を知りました。
志望大学を決める際、ふと浮かんだ「東京六大学野球っておもしろいんだぞ」。えんじ色のユニフォームを着ていた祖父の言葉です。小学生の頃に聞いたその言葉の真相を既に亡くなっていた祖父に確かめることはできず、自分自身で確かめたいと六大学への進学を決意し、ご縁があって明治大学に入学しました。今考えれば祖父がそっと私を導いてくれていたのかもしれません。じいちゃん、ありがとう。
入部後は真新しい経験ばかりで、毎日がお祭りみたいでした。だけど田舎でのんびりマイペースに育った私にとっては環境の変化があり過ぎたのか、皮膚科の先生に重症だと言われるくらい肌が荒れたり、学生生活はほとんど皆勤賞だった体力自慢なのに体調管理が上手くできなくなったり…。
さらには「何でもそつなくこなす先輩方のように」という理想と、「頭では分かっているのになぜか思うようにいかない」現実の狭間で自分を嫌になる毎日でした。そんな中、追い打ちをかけられるかのように未だに解けない難題と向き合うことになります。
『頑張っている人に何と声をかけるべきか』という問いです。既に重たい話ばかり続いているので、もうお腹いっぱいという方はそのまますーっとスクロールを、見てみようかなという方は少し心を軽くしてからご覧ください。
突然ですが、皆さんは頑張っている人に何と声をかけますか?
きっと正解なんてないのに私はその言葉から逃げてしまったことがあります。
高校に入学してすぐ、席が近いことがきっかけで仲良くなった友達が5人います。クラスが別かれても定期的に一緒にお弁当を食べてはくだらない話をした日々は楽しくて楽しくて、今でも忘れられないです。そんなある日、一人から話があるからお弁当食べよ!と呼ばれ、彼女に病気が見つかったことをうちあけられました。ディズニーは6人で回ろうと約束していた修学旅行目前で突きつけられた事実に、笑う彼女をよそに私たちはただただ泣くことしかできませんでした。
絶対治すから待ってて。そう告げて彼女は治療に入りました。
体調はどう?と聞いても「私は大丈夫、それより大学でいい人みつけた?笑」と明るく返す彼女に、愚痴一つはかずに誰よりも頑張って病気と戦う彼女に、次はなんて言ったらいいだろう。考えれば考えるほど分からなくなって、部活が忙しいことを言い訳にして逃げるように返信を空けるようになってしまいました。
そして大学2年生の夏、絶対に届いてほしくなかった連絡がきてしまいました。東京を中心に全国で感染者数が増え続けていたため最期のお別れにも行けず、この時ほどコロナを憎んだことはありません。ただそれ以上に、彼女と向き合うことから逃げた自分が許せませんでした。
そんな嫌な感情ばかり抱えたまま、野球からも心が離れかけたとき、「やめてもいいんだよ」と言った母の言葉がなければきっとマネージャーをやめていたんじゃないかと思います。マイナスの感情が勝っている時、一種の反抗なのか言われたことと反対の行動をとりたくなってしまう、そんな私のことをきっと誰よりも理解してくれている母だからこその言葉のおかげでここまで続けられました。ありがとう。
中央
葛藤をしながらマネージャーを続けた先に待っていたのは、裏側からしか見えない景色でした。この野球部には、見えないところで努力できる人たちがいます。表舞台でチームの看板を背負う人、毎日自分を磨く人、裏方に徹する決断をする人。仲間なのに競争をしなければいけない世界で、それぞれ色んな感情を抱えながら野球部での長い時間を過ごしているみんなを見ていると自分の悩みなんてちっぽけだと思えました。本当にみんな凄いよ。
この4年で、表には見せない彼らの頑張る姿を、裏側からの景色を見ることができたからこそようやく難題の答えにもたどりけるような気がしています。
正直、マネージャーの仕事に意味を見いだせない時期もありました。でも、巡り巡って見えない力となってみんなの背中を押すひとつの力になれていたのではないかと思えるようにもなりました。
それはマネージャーの先輩方、同期、頼もしい後輩たち、六大学のマネージャーが陰ながら奮闘する姿をこの目で見てきたからです。この背中を目指したいと思える方にも出逢うことができました。マネージャーでの経験がこの先の進路を決めたひとつのきっかけにもなりました。後悔したくてもできないほど、マネージャーを続けて良かったと思えている今のこの気持ちを3年前の私に伝えてあげたいです。
この4年間を振り返ったときに私は『瞬き(またたき)』という言葉を選びましたが、瞬きの数だけ色んな景色を見させてもらい、瞬きの数だけ喜怒哀楽を味わい、そして瞬きの数だけ思い出ができたからです。そんな経験をさせていただけたことへの感謝を少しだけ。
マネージャーの後輩たちへ
明るくて面白いみんなのおかげでマネージャー陣の結束が強くなった気がして、毎日楽しませてもらってます!後悔しないように、みんなのやりたいことをやりたいようにやってね。
4年生へ
いつもそっけなくてごめん(笑)
自覚あるくらいリアクション薄いしハイセンスなみんなのボケにいいツッコミできなかったけど、そしてあんまり口には出してないけど、みんなと同期になれて本当によかった。みんなで一緒に勝とう。
聖花へ
私の数百倍いろんなことに気づいて気遣い上手な聖花に、正直ないものねだりしてた。気づいてたかもしれないけど、キャパオーバーになると「今日は絶対仕事しない」って決めて次の日やろうと思ってた仕事を何も言わずに終わらせてる聖花には頭が上がらない…
ごめんばっかり言うし自分でもびっくりするほど頼りなかったけど、私は同期として聖花と出逢えたこと、同期だけど尊敬できる人がいることに感謝してる。ありがとう。最後のアナウンスと補佐はとにかく楽しもう!
ファンの皆さまへ
皆さまの応援があるからこそ、このチームが成り立っていると思っています。選手への応援だけでなく、マネージャーにとってはSNSへのいいねやコメントも大きな励みになっています。ラストシーズンも最後まで、チーム村松で駆け抜けましょう!リーグ戦ラスト2カードも応援よろしくお願いします。
両親へ
4年間、マネージャーの活動を応援してくれて支えてくれてありがとう。やりたいことをやりなさいとどんな時でも後押ししてくれてありがとう。正反対の2人だけど、なんだか2人とは前世で友達だったんじゃないかと思うくらい。愛情をたくさん詰め込んで育ててくれたこと、ちゃんと伝わってるよ。ありがとう。
でも一番のありがとうは、中耳炎をくり返して失聴すると言われていたことも知らず嫌がる私に毎日薬を飲ませてくれたこと。おかげでこれまで忘れられない音たちを聴くことができました。
集大成、最後まで見届けてください。そして新しいスタートも応援してくれたら嬉しいです。
ここに書ききれないほど感謝を伝えたい方がいますが、その方々には日本一の報告をもって感謝を伝えられるように最後まで明治大学野球部のマネージャーとして努めます。
最後に、この2つだけは言わせてください!
ひとつは、髪を約30cm切ってヘアドネーションをした時のこと。おそらく理由を知らずに、心配そうに「何かあったん?失恋したん?」と言ってきた人たち(特に4年生)!声かけてくれてありがとう。でも失恋じゃないよ(笑)
もうひとつは、神宮でのアナウンスをした時のこと。一番近くで頑張っている人が一番遠くで輝いているような不思議な感覚になりながら、それでも想いを込めてアナウンスをさせていただきました。もう二度とできないであろう貴重な経験をありがとうございました。
おそらく人生最後のアナウンスとなった試合、私が見た最後の景色を皆さんにもおすそ分けします!
少々長くなってしまいましたが、この辺りで手を止めようと思います。
野球部に入っていなければ、普段写真を撮らない私のスマホのフォルダには思い出が空っぽだったんじゃないかなといつも思います。だから最後は日本一になってみんなと最高の笑顔で写真を撮りたいです。そして4年生には一人ひとり、ありがとうとお疲れさまのグータッチができますように!
右
明日は、子守唄と化したリスニング中に爆睡したTOEICで900点近く取っちゃう帰国子女、聖花(小田)です!
お楽しみに☆