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俺たちのラストシーズン──蒔田稔(九州学院)

Hello everyone.

あ、すみません。大学日本代表になった為、アメリカ帰りの帰国子女になり饒舌な英語が抜けきっていない九州学院高校出身の蒔田稔です。
つま先重心二足歩行で有名な中谷優斗君からバトンを受け取り、ブログを書く事になりました。光栄です。
他の皆さんは、文章に自信が無いと保険を掛けたような事ばかり言っていますが、明治時代の文豪・夏目漱石氏の玄孫(嘘)である僕の文章構成能力に期待して下さい!

写真:左から4年・石原勇輝、田中武宏監督、蒔田

まず僕が明治に入学する経緯をお話しします。
進路を決める時期になると、野球中心の高校生活だった為に雰囲気的に野球で進学するしかないんだと考えるようになっていました。そんな中、高校時代ろくに結果も出せていなかった僕は、先輩がよく進学している某北関東の大学に行くのかなと思っていました。しかし、面談で監督から「頑張れば明治に行けるけん頑張れ」と言われ、夏の大会も県大会決勝で負けてしまったのですが、なんとなくやっていると流れで明治に進学する事になりました。
入学当時の僕は、4年生で少しリーグ戦に出て社会人で野球を出来れば良いなというくらいの気持ちでこの野球部に入部しました。やはり入部してみるとプロで活躍していらっしゃる入江さん(R3卒・現横浜DeNAベイスターズ/入江大生)やその他の社会人で活躍されている先輩方の壁は厚くなかなか出場機会に恵まれませんでした。
高校まで、特に努力やアピールをする事が無くても簡単にベンチに入れていましたがここでは違いました。その立場になり僕は野球人生で初めて試合に出れない悔しさを覚えました。
確かに考えてみれば甲子園にも出場していないし、高校時代に指名有力のプロ注目のような立場でもなかった僕の明治大学野球部での序列は低く、普通にやってもなかなかチャンスは訪れないという事は冷静に考えれば気付きました。
また、森勝哉君(4年)とキャッチボールをしてる際に将来について語っていると「お前、プロならんなら何しに来たん?」と言われて彼が後に伸び悩み野球人生を終えた事は置いておくとして、その言葉がとても心に残りました。
大学2年生の夏に、西嶋投手コーチに高い目標を持てと言われ、社会人で野球をするという今までの目標からプロになるという夢に変わりました。
その夢を実現する為に逆算して僕は練習しました。すると結果が出てきました。オープン戦で平均球速と最速が共に5キロ速くなりました。気付けばリーグ戦のメンバーに入っていました。
リーグ戦デビューとなった2年秋には失敗もありましたが、経験を積み、3年生の春にはベストナインを獲得し、4年生では前半調子を落としましたが全日本選手権で好投する事が出来て、追加招集で大学日本代表候補に選ばれ、そのまま大学日本代表に選出されました。
このような経験から高い目標を持つ事は大事だなと感じました。目標が出来れば、行動が変わる。行動が変われば、結果が変わる。僕は、大学野球生活で割と早くこの事に気付けたのでこの大学野球生活は良い方向に進めたのかなと思います。
このブログは、明治大学野球部に在学する後輩達も多数読んでいると思いますが、この事に早く気付いて欲しいです。「チャンスを貰えない」と嘆く前に試合に出して貰えるような努力をしたか?監督やコーチの前でゴマすりでも良いアピールをしたか?それもせんで「自分は試合に出して貰えん」と腐っていくやつは僕は嫌いです。
僕はあからさまに監督の前をチョロチョロして戸塚助監督からアメリカンノックを受けたり、自主練をしました。それは自信を持って言えます。
これからの明治大学野球部の生活でのヒントとして少しでもお役立て頂けたらなと思います。
しかし、結果が出てたゆえに慢心してしまっていた時期もありました。織原トレーナーに作っていただいたメニューをしっかり取り組まなかったり、適当にやっていた時期もありました。そんな感じでは、やはり安定した結果を残す事ができませんでした。そこの甘さが僕がエースナンバーの11を背負えなかった原因だと思います。反省と後悔をしております。
しかし、今後の僕の野球人生はまだ続きます。この反省と後悔を踏まえ、まだどんな形で野球を続けるかは分かりませんが、野球人生を終えた時にやりきったと言えるようにしたいです。
この明治大学野球部での生活を一言で言うとターニングポイント(分岐点)でした。充実した生活を送れるか?それとも腐ってしまうか?前者になれたと僕が思うのは、やはり自分だけでは無く皆さんのおかげです。
まずは、田中監督をはじめとするスタッフの方々、織原トレーナーには僕の失礼極まりない行動や言動を温かい目で見守って下さった事に非常に感謝しています。とても素の自分を出す事ができ生活しやすかったです🥺。先輩理事の津賀さん(S58卒・津賀正晶)にも迷惑をかけたり、御指導して頂き感謝しています。
そして、先輩では高校と大学の3歳年上の松下且興さんには野球の事は一切教えて頂けませんでしたが、1年生で右も左も分からない僕に野球以外の色々な事を教えてくださりました。髙山陽成さん(R5卒・現JR東日本)には、沢山ご飯に連れて行っていただいたし、友達のように接して頂きました。ありがとうございました。
後輩では、僕と同じ熊本県民の二人にとても思い入れがあります。自称済々黌の異端児・甲斐(3年・甲斐敬太郎)と、大阪桐蔭高校時代に関西弁に洗脳され関西弁を喋る藤江(3年・藤江星河)です。アンチ関西弁協会終身名誉会長の僕としては、藤江君が喋る関西弁は鼻に付きます。熊本弁をしゃべるごつ更生させるのが僕の使命です。僕が弱冠2年生で立ち上げた、「肥後もっこすファミリー」のファミリー飯を通して彼らには沢山食べさせたいと思います。最近では、部内での熊本県出身者の数も増え出費がかさみ1人で払うのは正直キツいです。しかし、彼らの喜ぶ顔が僕は見たいです。また後継者問題もあります。甲斐か藤江どっちにファミ長を継がせるか。。。世襲を止めて、他県出身者から次期ファミ長を選定するか。。。せめて僕の遺産を巡って争う事だけはやめて頂きたいです。皆さんのご意見を待っています。

写真:左から2年・上田マネ、甲斐、蒔田、藤江、2年・八十慎之介、1年・前田悠槙

そして、同期では投手陣にとてもお世話になりました。
AKIRA(石田朗)
東大教授を父に持つAKIRAは、いつも寡黙ですが優しい心の持ち主。投手陣のリーダー的な存在で我々を引っ張ってくれました。頼りになる存在でした。ちなみに祖父は一橋大学名誉教授です。
ゆーき(石原勇輝)
大学生活で一番行動を共にしました。ライバルでもありました。喧嘩もしました。一緒のベッドでも寝ました。大好きです。

写真:左から蒔田、石原

かんた(岡田幹太)
持ち前の立ち回りの良さには感嘆させられます。全ての人と仲良くできる秘訣を教えてください。カマキリ投法を僕は忘れません。
みのる(蒔田稔)
僕です。
フェン(村田賢一)
君の投球の安定感が羨ましいです。沢山イジってごめん。ほんとはカッコいいばい。
モリカツ(森勝哉)
1年生の同部屋の時に、「3・2・1」沈黙を挟む「寝らんのか〜い」。夜中に2段ベッドの上でモリカツはよく電話をしていました。
わたなべ(渡部慎之介)
薄らハゲカット時代のわたなべが懐かしいです。
群馬での活躍をお祈りしています。

写真:左から2年・遠藤雄介、大川慈英、久野悠斗、蒔田、3年・菊地竜雅、村田

写真:左から渡部慎、蒔田、石原、村田

あくまで自分で課題をやりましたが、同じ商学部の同期のしゅん(杉浦駿)、髙竿(髙竿大暉)、じゅんや(大櫃準也)は勉強の面でアドバイスしてくれていました。また僕も彼達にアドバイスをしていました✋。
髙竿の、「お前らを卒業させるのが、俺の責務。卒業させなければ親御さんの顔が見れない。」という言葉には、感銘を受けました。もう一度言わせて下さい、あくまで自分で課題などはやりました。
龍一(4年・植村太亮)
最近は、飲みに誘ってくれませんが、いつもありがとう。
また、家族にも感謝しています。特にウチの場合は両親に加えて祖父母とも同居しているので手厚いサポートを受けました。祖父母ともに後期高齢者ですが長生きをして欲しいです。
最後になりましたが、名前をあげることのできなかった同期の皆さんにも感謝しています。それぞれの道で頑張っていきましょう。
まずは秋のリーグ戦、心を一つにして4連覇達成しましょう!
次は、「お前、プロならんなら何しに来たん?」の名言でお馴染み森勝哉君です。お楽しみに!