モバイルアプリ&プレミアムパス 2024年度も発売準備中!
BIG6 BLOG LEAGUE

明治大学
野球部ブログ

主将 宗山 塁
  • TOP
  • 俺たちのラストシーズン──菅原謙伸(花咲徳栄)

俺たちのラストシーズン──菅原謙伸(花咲徳栄)

こんばんは!

明治大学の歴代No.1学生コーチと呼び声高い、自称めんつゆ顔の熱田くんからバトンを受けました。謝罪後打率10割の花咲徳栄高校出身の菅原謙伸です。

文章を書くのは苦手ですが、この4年間で培ったレポートでの文章力をここで見せつけたいと思います。ご評価宜しくお願いします。

去年の今頃、同部屋だった蓑尾さん(R5卒/現Honda熊本・蓑尾海斗)がブログを書いている中爆睡していたのに、もう自分が書く側になっていることに時間の速さと共に寂しさを感じます。

まず、監督をはじめ、スタッフの皆様、そして自分を拾ってくれた善波前監督。4年間ご指導ありがとうございました。リーグ戦の残り2カードもチームのために頑張ります。

今の自分があるのも花咲徳栄の岩井監督のおかげでもあります。軟式野球出身の自分に根気強く指導していただき、野球の基礎を作ってもらいました。高校在学中は嫌なくらい怒られましたが、今では辛いときに見透かされているようにメッセージを送ってくださったり感謝しかありません。

思い返せば、コロナ禍の中の入学でした。難しい世の中でしたが、みんなに出会えてこの寮で過ごしていて笑わなかった日は一度も無いと思います。入学してすぐは明大野球部に入らなければ良かったと思っていましたが、この同期に出会えたことでその思いは消えました。ほんとに最高の同期に出会えました。

写真:左から4年・石原勇輝、菅原

写真:左から菅原、4年・久島光太郎

写真:左から菅原、4年・山本伊織

上岡さん(R4卒・上岡崚太郎)をリーダーとして活動した大櫃(大櫃準也)、山本との確執ファミリー。

西川(西川黎)ホールディングス。

たまごの会 久島、渡部(渡部慎之介)、山本、そして熱田(熱田泰祐)の一人勝ち

常にタイムギリギリを攻めていた鈍足ファミリー

幹太(岡田幹太)と伊織は男の戦いを繰り広げ決別。

渡邊麟太郎は自転車がなく行きたいお店にも行けず。

能登さん(R5卒・能登亮太)には操縦の仕方をアドバイスいただきました。

この他にも必ず最高の思い出があるのですが、多すぎるので他にも聞きたい人は自分まで連絡下さい笑

これからこの同期のみんなとお酒を飲む際にはいろんな思い出話ができるのをすごく楽しみにしています。みんな本当にありがとう。

写真:左から大櫃、3年・菊地竜雅、中山琉唯、菅原、4年・蒔田稔

写真:左から菅原、大櫃

その中でも同じ捕手のザキ(石﨑聖太郎)と中谷(中谷優斗)。1年生の頃は朝練終わった後に誰がブルペンキャッチャーに行くかで揉めました。

ですが未だに中谷だけが行ってる回数が少ないことには不満しかありません。

ザキとは同じ埼玉から来てシビアと言われていたけどザキのことが大好きです。ザキはMの旗を逆さにつけちゃったりと可愛らしいところが最高です。

二人にはキャッチャーのことやピッチャーのことをたくさん相談して助けてもらいました。これからは中谷が言っていたよう人生の女房役を見つけに行きたいです。見つかったら二人にまず連絡するので待っててください。

写真:左から中谷、菅原、石﨑

写真:左から石﨑、菅原

そして自分は恵まれていて先輩にもよくしてもらいました。自分が野球を諦めていた時に声を掛けてくれて夜まで毎日練習した陸人さん(R5卒/現ENEOS・山田陸人)。自分がふさぎ込んでいるときに陸人さんの言ってくれている言葉が自分を明るくしてくれました。陸人さんと長南さん(R5卒/現東海REX・長南佳洋)と練習したおかげでバッティングにもっと興味をもつことができました。

写真:左から菅原、山田陸

また憧れでもあった蓑尾さん。高校生の時に初めて話した大学生が蓑尾さんでした。入学してからも蓑尾さんにたくさんのことを教えてもらいました。蓑尾さんと一緒に見た他大学のデータや部屋で話したいろんな会話はすごく楽しかったです。蓑尾さんみたくなりたいと思っていましたが、やっぱりなかなか蓑尾さんには追いつけませんでした。これからも憧れの蓑尾さんには変わりないので、いつか追いつくように頑張るのでそれまでは野球をしててください。

写真:左から蓑尾、菅原

幹部の希由翔(上田希由翔)、祐我(堀内祐我)、賢一(村田賢一)。副将になってからはこの3人には迷惑しか掛けていませんでした。ごめんなさい。

日曜日に大富豪やウノで遊んだ時間はとても楽しく試合前なのに時間を忘れてやりこんでました。おかげで大富豪のルールを22歳になって覚えることができました。この3人は常にチームのことを考えみんなによりよく野球をしてもらおうと必死でした。一緒に考えている3人の姿はすごくかっこよかったです。

後輩には常にだるい絡みしかしてなかったと思います。でも可愛くてちょっかいをかけたくなるくらい可愛いかったです。卒業しても後輩たちの活躍を楽しみにしてます。道は違くても応援しています。頑張って!

応援団のみんな。いつもスタンドから大声援を送ってくれてありがとうございました。打席に立ってスタンドを見るとどんなに辛くても頑張れるし、みんながついていてくれてると感じることができました。最後まで応援団と一緒に戦うので残り2カードも応援よろしくお願いします。

最後に家族に少しだけ感謝を伝えさせてください。

まず、小学校4年生から野球をはじめ、ここまでの13年間何不自由なく生活させてくれてありがとう。僕の野球人生には常に家族が寄り添ってくれていました。春には試合に出ないから神宮に来ないでくれと言ってしまい、次の日に試合に出してもらえたのに家族に見せることができなかったことは今でも後悔しています。これからはずっと見ていてほしいので、たくさん球場に来てね。お父さんはあまり褒めてくれなかったけど、周りの人からずっと僕の話をしていたり、気にかけてくれていたことを聞いた時はすごく嬉しかったです。お父さんと同じユニホームを着れてとても幸せでした。

お母さんには野球をやめたいとたくさん言いました。それなのにお母さんはいつも優しくどうしたのって話を聞いて頷いてくれました。お母さんにとってつらい言葉をたくさん言ってしまっていました。でもここまで来れたのはお母さんがいたからです。

お父さんお母さんこれからも元気でいてね。

おばあちゃんもしーちゃんもこの上ない愛情を注いでくれました。これからは自分からもお返ししていくのでたくさんいろんなところに付き合ってください!

お兄ちゃんは、自分が野球するきっかけをくれて、小さい頃はお兄ちゃんの背中を追っかけていました。ずっと一緒にキャッチボールをしたり素振りしてくれてありがとう。

お姉ちゃんは過保護すぎます。小さいころから優しくしてくれてありがとう。

お姉ちゃんお兄ちゃんが大好きです。これからもわがまま言うのでよろしくね!

また親族もいつも二階席を埋めて、そろそろ連盟から売り上げの貢献に感謝状をいただいてもいいくらい神宮に駆けつけてくれました。本当にありがとう。

最後に肉ニラ定食とハツ刺し ありがとう。

4年間のレポートの成果は文字数を稼ぐために長文を書くようにしていたため、今回も長い文章になってしまいました。ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

 

次は、ボールへのコンタクト率よりも笑いのコンタクト率の方が高い、堀内祐我(ピョンス)です。お楽しみに!

おやすみなさい!!!!!