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『僕の野球人生』第20回 阿久津怜生外野手

『僕の野球人生』第20回

阿久津 怜生 外野手 (4年/宇都宮)

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2枚目

3枚目

ややもすると少し経歴が特殊なので破天荒で好きなように生きているかのように見えるかもしれませんが、本当は対極の性格をしています。結構気が弱く色々なことを考えてしまうタイプの人間です。野球を続ける勇気と覚悟がなくてそれで中学に入った時と大学に入った時とこれまでに2回野球を続けないという選択をしました。挑戦しないってリスクもないしちょっぴり楽です。でもどうしても野球をやらなかったという後悔がずっとついて回りました。野球をする覚悟はないくせに、辞めると後悔するというどうにも救いようのない弱い人間です。もちろん野球は楽しいしずっと好きです。でも本気で野球をやるってまあ少しハードル高くはあります。大学入ったら一人暮らしになるし勉強もあるし親にも迷惑かけることになるし、ここに4年間全てかけられるのかと問われた時、迷いなくyesと言えるだけの覚悟は僕にはありませんでした。それが入学当初東大野球部に入らなかった理由です。

 

結構僕は人の文章読んだりするの好きなんですよね。だから毎年先輩方の僕の野球人生読むのすごく楽しみにしてたし、読む度に感動して泣きそうになってました。去年の奥野さん(R4卒)の文とかその前の玉村さん(R3卒)の野球人生とかは泣きました。今年もみんないい文章書いててやはり普段ふざけてるように見えてもちゃんと色々考えてるし文才あるなぁと感じる今日この頃です。多分ネタになりやすい人生を送っていることが理由だと思いますが、「阿久津の”ぼくじん”は読むの楽しみだな」というプレッシャーを往々にしてかけられます。(余談ですが、東大野球部では「僕の野球人生」を”ぼくじん”と略します。僕が広めました。さらに余談ですが、宮﨑さん(4年/外野手)のことを”みやゆう”と呼び始めたのも僕です。)

僕はあんまり文書くのは得意ではないのですが、心込めて書くので時間があったら最後までぜひ読んでくださったらとても嬉しいです。先に言っておきますが9月頭から書き始めているので長編になるのは明明白白です。笑

 

初めて野球に触れたのは、小学生の時です。仕事から帰ってきた父と近くの公園でキャッチボールをしてバッティングセンターに連れて行ってもらい、夜にはDSでパワプロくんの試合をしていました。本気でやれば全部勝てますが、それだとやってもらっているのに申し訳ないのでたまにエラーしたりど真ん中を打たせたりして、試合を調整するようなませたガキンチョでした。イチローさんとか青木さんとかに憧れて、父の助言もあって左打者になりました。なんとなくだけど左バッターじゃなかったら今野球続けてないような気もするんで左に進めてくれた父にはとても感謝してます。まあ右打者だったパラレルワールドがわからないんでアレですが。もし右打者の世界線でめちゃくちゃ打ってたら少し悲しいです。

 

今いうと笑われますが学童野球の時はショートとピッチャーやってました。ショートは鉄壁で送球も非常に安定していました。今では考えられません。今年内野手がコロナで人手不足になった時「そろそろ阿久津がショートやるか」と言ったら、中井さん(4年/内野手)に「阿久津はthe last personだ。」と言われました。悲しかったです。

ピッチャーは毎回3者連続フォアボールだして、その後3者連続三振取ってました。劇場型です。いい意味で小宗さん(R4卒)みたいな感じでした。笑

小学校の卒業文集に書いた将来の夢は、周りのみんなと同じくプロ野球選手でした。全然ませてなくてちゃんと夢みてました。恥ずかしいですが、作新学院に入ってドラフト1位でヤクルトに行くって書いたのはっきりと覚えてます。笑

ちなみに僕は熱烈な作新学院のファンです。大学で試合やるとちょくちょく作新の選手でてくるので興奮します。六大学だと明治の高山くん(4年)と横山くん(2年)。とてもファンです。

 

この展開ですが、中学では野球をやっていません、終わり!

 

高校に入ってまた野球をやります。高校生活は本当に野球と勉強の2つだけって感じでした。高校野球部の同期は今でも仲良いですし、全国各地から神宮の試合見に来てくれます。とても充実していて素晴らしい高校生活でした。

野球の思い出はあれですが、やっぱり惜しいところで強い私学に勝てなかったなっていうのが高校野球の感想です。進学校あるあるですが、惜しいけど勝てないんですよね。学童野球のコーチが言ってた「惜しい試合は3ヶ月もしたら忘れられてしまうけど、勝った試合は一生残る」っていうセリフが最後夏負けた時に頭の中に出てきました。とても負けず嫌いの性分なのでやっぱり何事も勝たなきゃダメなんですよね。だからあんまし文武両道っていうのは好きじゃありませんでした。東大に入って梅林(3年/内野手)とか別府(3年/外野手)に会って、世の中に甲子園出て東大来る人間がいるのかと思って衝撃を受けました。本当にむちゃくちゃ尊敬してます。かっこいいです。

 

そいで引退してから猛勉強して東大に運良く合格します。これは多分東大野球部あるあるですが、受験勉強の息抜きで夜素振りする時には不死鳥の如く(東大のチャンステーマ)を聞いてました。神宮で1番センターでコールされて先頭打者ホームラン打つのとサヨナラホームラン打つシミュレーションは毎晩してました。このままだとシミュレーションだけで終わってしまいそうだけど。これ多分読んでる東大野球部の皆さんは共感してくれる気がします 笑

 

しかしながら冒頭に述べたように初め野球部には入部しませんでした。新歓で声をかけて頂いたアメフト部に入部し、筋トレしてタンパク質を取りまくっていたらいつの間にか体重が15kgも増えていました。入学式の時買ったスーツは太ももが入らなくなり、久々に実家に帰った際にはお風呂場の椅子にお尻が収まりきらないほどには肥大化していました。野球は変わらず大好きだったので、よく神宮球場に足を運び六大学の試合を見に行っていました。神宮で試合を見るたびに野球への憧れは強まりました。しかしまた一歩踏み出す勇気も持てないまま大学2年の夏になりました。

 

そんな僕が野球部に転部する契機となったのが、2020年の春コロナで延期となり夏開催になった東大と慶應の開幕戦です。結果は4-5というあと一歩のところで負けてしまいましたが、本当にいい試合でした。東大野球部がめちゃくちゃカッコ良くて輝いて見えました。途中出場の中井さんが逆転のタイムリーを打って大活躍した試合です。もうひたすらカッコ良くて心が揺さぶられて、この日僕は転部することを決意しました。もちろん途中で部活を変えることは大きな変化ですしリスクもありましたが、それよりも東大野球部への憧れ、神宮で勝ってみたいという気持ちが大きかったのだと思います。何をやる時でも色々と考えてしまいなかなか行動できない自分がこの時にはもう思考が入るよりも先に行動していました。それくらい東大野球部は輝いて見えました。本当に偶然というかなんというか言葉では言い表しづらいけどあの試合がなかったら今僕は野球部にいないだろうし、本当先のことは分からないものだなと感じます。中井さんは元々知ってたし、あの日の中井さんの活躍はとても心に残っています。ありがとうございます。

野球部に入ってから中井さんには守備をちゃんとやれと度々怒られますが、この時の話をするとニコッとしてくれます。可愛いです 笑

 

野球部入ってからはまたガラッと大学生活が一変しました。転部してからはひたすらに練習を頑張りました。ずっと憧れの場所だったので初めて神宮のグラウンドにたった時は夢のようでした。大勢の観客の中、不死鳥の如くの応援を聴きながら立つ打席は何回目でも興奮しますし心臓がバクバクします。未だにリーグ戦の前の日はワクワクとドキドキで寝れないし、試合中の脳汁は半端ないです。試合前のベンチ裏、監督助監督のお言葉の後、キャプテンの「勝とうさあ行こう!」の瞬間はたまらなく好きです。22歳になってもこんなにドキドキワクワク感じられるのとても子供みたいだけど、なんかまだそういう純粋さが自分の中に残ってて少し嬉しい気もします。でも引退したらちゃんと落ち着いたちゃんとした大人になりたいです 笑

 

2021春のリーグ戦で東大野球部は4年ぶりの勝利を挙げました。チーム全員で勝ち取った勝利です。僕も堪えきれず大号泣してしまいました。僕が1番東大野球部歴短いのに1番大号泣しててみんなにツッコまれました。本当に涙止まりませんでした。本気で勝利を目指して勝った時の感情、気持ちはやはりここでしか味わえない特殊なものだと実感しました。東大野球部に入って良かったと心から思いました。あの時勇気を持ってもう一度野球をやるという決断をしてくれた自分にありがとうと言いたいです。

 

僕の気の弱さが故にこれまでに2回野球を離れていますが、22歳になった今でもこうして白球を追っているのは野球を始めた小学生のあの頃と同じ気持ちを今もずっと変わらず持っているからだと思います。野球がめちゃくちゃ面白くて大好きで、かっこいいプロ野球選手に憧れていて、そして何より試合に勝った時みんなで喜ぶのは最高です。だから僕は今も野球をしています。だいぶ遠回りをしてしまいましたが、今こうして野球に戻ることできて本当に良かったなって心から思います。

 

最後になりますが、ここまで野球を続けてこれたのは本当に周りの方々のおかげです。この場を借りて感謝の気持ちを伝えたいと思います。

 

まず両親

色々とありまして手にかかる息子でなかなかに大変だったと思います。大学2年の夏、急に帰省して野球やるって言い出した時にはお母さんはど刺されして、まさに口をポッカリ開けていました。僕が親でもびっくりしたと思います。それでも応援してくれて神宮まで足を運んで頂いて本当にありがとうございます。とても感謝しています。これからはこれまで苦労をかけた分ちゃんと恩返ししたいと思っています。野球をやらせてくれて応援してくれてここまで育ててくれて本当にありがとうございます。父がしてくれたように僕も将来は子供とキャッチボールしたりするパパになりたいと思っています。笑

 

宇都宮高校の篠崎先生、森田先生

高校時代も高校を卒業してからも本当にお世話になりました。先生方の教えがなかったら今の自分はいないと思っています。神宮にも何度もお越し頂いて、本当にありがとうございます。感謝してもしきれません。

 

野球部のみんな

先輩方も同期も後輩も、そして井手監督、大久保助監督、皆さん本当にお世話になりました。ありがとうございました。みんなと切磋琢磨した毎日は多分忘れられない日々になると思います。転部してすぐこくわがた(TOKYO LIGHT BLUE HONGOー3)のうどんの昼飯に誘ってくれた秀島くん(3年/内野手)とか、隠れて僕のイップス克服練習に付き合ってくれた別府くん(3年/外野手)とかそういうの一つ一つちゃんと覚えてます。本当にありがとう。夜カラオケ行った時誰も泊めてくれなかったのは未だに根に持ってるけど 笑

本当に選手もマネージャーさんもアナリストも学生コーチも、みんなみんな心から尊敬してます。いつ東大球場にいっても誰かしら練習していて、夜遅くまでティー打つ音が聞こえてウエイトのガシャンガシャンの音も聞こえて、そんな環境で自分も野球をできたことが必ず糧になると思っています。それぞれの思いを抱えて悩んだりもがいたりしながらも真っ直ぐ目標に向かってひたむきに頑張るみんなはとてもかっこよくて、月並みだけどみんながいたから自分も負けじと頑張ることができました。そんなみんなに出会えた事は僕にとって大きな財産です。東大野球部がとてもとても大好きです。引退してからも仲良くしてください。

チーム2023からも野球をするみんなに伝えたいのは今年の六大学のポスターにもあるように奇跡はほとんど最後に起こるかもしれないよって事です。もう少しだけ自分の可能性を信じてみて欲しいです。信じれば多分きっとほとんど最後に奇跡が起こると思います。これからも応援しています。

 

応援部のみんな

毎試合一生懸命声が枯れるまで、暑い時も雨の時も風の強い日も心を込めて応援してくれてありがとうございます。多分あの応援完成するまでに想像もできないぐらい沢山練習してるんだと思います。高校の時に六大学を見に行って応援の凄さに感動したのを覚えています。あの時観客席から見た応援を中から聞けて毎試合応援が楽しみです。応援の声一つ一つが本当に力になるし、僕たち野球部は勝って応援部と一緒に笑いたいという想いがみんな心の中にあります。不甲斐ない試合が多くてしんどい時多かったと思うけどそれでも真っ直ぐに前を向いて応援してくれて本当に感謝してます。ありがとう。みんなは神宮で一緒に戦うチームメイトです。これからも東大野球部の応援をよろしくお願いします。もっと勝とう!

 

アメフト部の皆さん

野球部に入らないことを決めてのんびり大学生活を送ることになるだろうと思っていたら皆さんに会いました。アメフト部のみんなの熱さに触れていなかったらもう一度野球に挑戦しようという気持ちにはなっていなかったと思います。最後辞める時もうちに来て僕の頭坊主にしてくれました。大学2年の夏に坊主です。多分さすがに人生で最後の坊主だと思います。笑

バッティンググローブくれて「頑張れよ」と言ってもらった時は結構泣きそうになりました。今はもうボロボロで試合では使えないけど、グローブケースにお守りとしていれてます。神宮にリーグ戦も見に来てくれて、辞めてからも仲良くしてくれてありがとう。今年もTOP8の試合見に行きます。お互い最後まで頑張ろう。

 

ファンの皆様

日頃より東大野球部を応援して頂きありがとうございます。神宮球場に足繁く通って野球部を応援してくださる皆様は本当に温かくチームの一員です。何度負けても次頑張れと応援してくださる皆様の声援には何度も励まされました。ツイッタラーも結構多くツイートも楽しみに拝見させて頂いておりました 笑

これからも東大野球部の応援をよろしくお願いします。もう少ししたら自分もそちら側に行きますので何卒温かく迎え入れてください 笑

 

この他にも本当に多くの方々にお世話になりました。直接関わった人も、直接は関わっていない人にも本当に支えられました。繰り返しになりますが、ここまで野球を続けて来れたのは本当に周りの方々のおかげです。いい人に恵まれて本当に幸せです。ありがとうございます。これからは自分が皆さんのようないい周りの人になれるようになりたいと思います。

文中何度も「~がなかったら今の僕はありません」と書いていて「今の阿久津ない可能性高すぎだろ」っていうツッコミもそろそろありそうな気がします。でも本当に今の僕は僕によってあるものじゃなくて、出会った人との関わりの中で形成されていったのだと心から思います。野球を通じて沢山の人に出会い、たくさんの影響を受けました。沢山の失敗をしてたまーに成功してなんやかんやで何とか今があります。こうして培ったことを忘れずに引退した後も人として野球人として成長していきたいです。

 

だいぶ長くまとまりのない文章になってしまいましたが、最後まで読んで頂きありがとうございます。

 

「今日絶対に勝って勝ち点とる!」と人生で1番勝ちたかった慶應との3回戦は2対20で大敗しました。勝負の世界はそうそう甘くはないです。頑張る勝ちたいだけで勝てるものでもなくて、これまでに何度も何度も負けてきました。でも僕は、そして僕達東大野球部のみんなはまだまだもっと諦めが悪いです。残り2カード立教と法政から勝ち点を取って最下位脱出という目標に向けて最後まで全力で戦います。

 

みんな頑張ろう絶対に勝とう!

 

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次回は10/7(金)、伊藤和人外野手を予定しております。

お楽しみに!