2019春 明治戦振り返り
こんにちは。
4年学生スタッフの岡林です。
天王山の戦い。
1582(天正10)年に織田信長を本能寺の変で討ち取った家臣の明智光秀と、同じく家臣の羽柴秀吉との間で勃発した山崎の戦いに由来します。
勝敗はみなさんご存知の通り、秀吉が明智を破り、のちに天下統一を果たしました。
その際、秀吉は標高270メートルの山、天王山を制し、戦地となった山崎を一望できるようになっておりました。
天王山を獲得したことが勝負の分け目を決した、と後に名軍師として知られる黒田官兵衛が評したと言われます。
このことから転じて「天王山」という言葉が勝敗や運命の重大な分かれ目として、慣用的に用いられるようになりました。
さて、リーグ戦も大詰めに入り、首位を争う明治大学とのカードはまさに天王山の戦い。
その戦いを振り返って参ります。
まずは初回、添田選手、丸山選手と嫌なヒットを浴び、無死二、三塁とされます。
続く、内山選手を三振にとるも、四番の北本選手に三塁線を抜けていく痛烈なツーベースを浴び、2点を許します。
この日も初回から先制される不穏な立ち上がりでしたが、その後は追加点を許さず、後続を打ち取ります。
迎える慶應の攻撃は、二死から三番中村がセンター前を放って出塁し、暴投の間に二塁まで到達するもチャンスをものにすることが出来ませんでした。
先発の髙橋佑樹は、その後は立ち直り、持ち前のコントロールと鋭い変化球で追加点を許さないピッチングを見せます。一方の明治大学の先発、最速150km/hを超える直球を武器にする森下選手も5回まで3塁を踏ませない好投で投手戦となりました。
膠着状態となった試合が動いたのは7回でした。
先頭の西野選手に右中間へのツーベースを浴び、三塁まで送られます。続く打者にデッドボールを与えてしまい、二番丸山選手のセンターへの犠牲フライで1点を追加されます。
続く、三番内山選手に右中間を破るスリーベースを浴び、この回2点の追加点を許しました。
差を4点に広げられたその裏の攻撃では、先頭の六番嶋田がツーベースを放ちます。その後、二死三塁となり、九番津留﨑の打席で代打を告げられたのは一年生の下山でした。
シャープな打撃が持ち味の下山は、初球を見事レフト線に運ぶツーベースを放ち、1点を返すことに成功しました。
その後の8回には、四番の郡司から今季初のソロ本塁打が飛び出し、点差を縮めるも、先発の森下選手の好投に屈し初戦を落とす結果となりました。
<代打で出場し、リーグ戦初適時打を放った下山>
初戦で勝ち点を奪われ、後が無い場面でマウンドに登ったのは、今季初先発となる佐藤。
初回の攻防は両者ともに三者凡退に倒れ、この日も投手戦になると思われました。
しかし、続く2回の守りでは、2つのヒットとフォアボールで二死満塁とされ、迎えた九番ピッチャー竹田選手の打席で思わぬ満塁弾を浴び、序盤から4点を失いました。
反撃したのは4回でした。先頭の二番・渡部遼人がスリーベースを放つと、続く三番中村が変化球をセンター前に運び1点を返します。
6回には、一死から郡司がツーベースで出塁すると、六番嶋田に代わって打席に入った福井がライトへツーベースを放ち、差を2点に縮めます。
投手陣も4点を取られてからは、佐藤、津留﨑、増居、木澤、髙橋亮の継投で相手を無安打無失点に封じるも、追いつくことができませんでした。
結果的に2回裏の満塁弾が試合を決してしまう形になり、慶應は勝ち点を失ってしまいました。
<ここまで代打成功率.667を記録している福井>
優勝の行方として、慶應が優勝するには、明治が法政に2連敗し、かつ慶應が早稲田に2連勝したのちの慶明優勝決定戦で勝利する、というかなり厳しい展開となりました。
勝ち点一つ落とすと自力優勝が消える、私たちはまたしても勝負の厳しさというものを味わいました。
しかし、まだ優勝が消えたわけではありません。今週末に行われる明治大学と法政大学の結果次第です。
冒頭で触れた、「天王山」がこの試合でないことを祈るばかりです。
ただ、万が一優勝が消えるにせよ、次の相手は宿敵早稲田。
早稲田に勝つということは慶應の至上命題であります。
昨年のあの日の敗北から早稲田に勝つために、これまで練習してまいりました。
早稲田に勝つ
早稲田に勝つ
早稲田に勝つ
慶應のウエイトルームにデカデカと貼られているその言葉を胸に刻み、我々野球部は、進む道を見失わず来月の慶早戦に向けて今一度気を引き締め、必ずや早稲田を倒し昨年の雪辱を果たします。
最後まで、読んでいただきありがとうございました。
今後とも、温かいご声援のほど、何卒よろしくお願いいたします。