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《僕の野球人生》 Vol.3 小島 舜平 投手

4年生特集、《僕の野球人生》では、ラストシーズンを迎えた4年生に1人ずつ、今までの野球人生を振り返ってもらいます。

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《僕の野球人生》 Vol.3 小島 舜平 投手  (4年/ラ・サール)

小島X

 

3年生の頃、B戦のあとの整備中だったと思います。別に野球を見るのはそんなに好きじゃないというような雑談をしていました。すると大好きだったとある先輩が、試合前も緊張して投げたくないって言うし、野球そんなに好きじゃないのに小島はなんで野球してるの?と聞いてきました。たしかになあと妙に腑に落ちてヘラヘラしていたと思います。僕の野球人生というブログを書くうえで何となくこの出来事を思い出しました。
テレビアニメの『メジャー』を見て野球を始めたぼくは主人公になりたかったのでピッチャーにあこがれていました。父とのキャッチボールではいつもだれもバットを振らないカカシーズとの試合に、ピッチャーとして登板していました。これがぼくの野球人生の始まりだと思います。

小学校、中学校のころは身体も小さく、非力で運動神経も悪かったので試合に出た記憶はあまりありません。中3の夏休みに見た樟南高校の浜屋将太選手にあこがれて高校でも野球部に入部しました。毎月あるテストのたびに1週間練習ができず、さらに長期休みになると寮が閉鎖されるため4泊5日の合宿以外は通いの生徒だけで集まって練習をするしかないという不思議な環境でした。ただ、顧問の先生が大学野球をしていたことや、一つ上の県内でも有名だったエースの先輩が東大野球部を目指していたこともあり、東大で野球をするということを現実的に考え始めました。夏休みの自宅生練習のときに炎天下の砂浜のようなラ・サール高校グラウンドを走りまくって死にかけたり後輩が寮内にデュエルマスターズを持ち込んだのがばれて塁間ダッシュ100本のペナルティを走ったりと高校野球の思い出には事欠かないです。野球の方では同じ左ピッチャーだった白澤先生に県内ナンバーワン左投手を目指そう!とかなり期待をかけてもらい、たくさんのことを教えていただきました。フィールディングや牽制をつきっきりで教えてもらったことは大学に入ってからもかなり生きていると実感しています。自分たちの代になってからはなぜか大会の1か月前からの練習試合だけ抑えられて先発をさせてもらうことが多かったです。しかしパッとしない結果しか残せず、県内ナンバーワン投手には程遠い並以下のピッチャーでした。

高校生練習会では浜田監督と中西助監督に声をかけていただき、すっかりやる気になったぼくは、猛勉強の末なんとか東大に合格すると平佑さん(R5卒)の導きで3月10日には入部を決めました。8月にやっと練習に参加できるようになると周りのレベルの高さに圧倒され、2年生になってもオープン戦すら1試合も投げられませんでした。転機になったのは選手としての進退がかかっているつもりで臨んだ春のフレッシュトーナメントでした。紅白戦やシートバッティングを経てなんとか登板機会をつかみ、ゼロで抑えると春のリーグ戦オフ明けに初めてAチームに入れてもらいました。学生コーチとの面談の時にAチーム入りを告げられ、夏の間Aチームで野球の上手な人たちと練習して、オータムフレッシュの注目選手に選ばれて、秋のフレッシュでは先発させてもらえて、とこのころは大げさではなく自分の野球人生が開けていくような感じがしました。自分の未来は明るいのだと信じてやまなかったです。

そうして迎えたフレッシュの早稲田戦で打ち込まれてからは正直あまり記憶にないので割愛します。3年生にあがるころにもともとコントロールが悪かったのを直そうとしているうちに球速が落ちて投げ方がよくわからなくなり、結構ずっとしんどかった気がします。

結局、リーグ戦ではいまのところ一度も登板できず、それどころかAチームで過ごしたのはほんのわずかで全く満足のいく大学野球ではないです。あの時永田の言うことを聞いていれば、あの先輩のように早くからウエイトをちゃんとしておけば、など後悔することはいくらでもあります。これを読んでいる後輩がいれば、そうならないように毎日取り組んでほしいです。ただ、今は学生コーチの誘いを断って選手にこだわることを許してくれて、試合で投げていい状態ではない自分に期待して何度もB戦の登板機会をくれたこのチームに少しでも恩返しできるように、できる限りのサポートをしたいと考えています。もちろん、選手として活動する以上最後までリーグ戦を目指し、準備して待ちます。

決して満足のいく野球人生ではないですが、ここまでの野球人生は何不自由なく恵まれたものでした。上級生になってなにもうまく行かず、トイレ掃除に格闘して午後のB練に参加しているときでも、森岡や増田をはじめとした愉快な後輩たちと練習するのはそれなりによかったです。いじりなのかいじめなのかわかんないくらいきついいじりをしてくる同期ピッチャー陣もたまに優しくてなんだかんだ大好きです。ぼくと関わった全ての人のおかげで毎日の練習はとても楽しいものでした。その他にも指導してくださった先生方、ラ・サール野球部のみんな、東大野球部の尊敬できる先輩や同期、後輩、お世話になったトレーナーの方、治療をしてくださった接骨院の先生をはじめたくさんの人のおかげで楽しく野球をすることができました。本当にありがとうございます。子供のころキャッチボールをして野球の入り口をつくってくれたお父さん、高校野球では特に迷惑をかけたお母さん、鹿児島では二人目のお母さんのように優しくしてくれたばあばへの感謝は直接伝えようと思います。

神宮のスタンドで声を出して野球人生を終えるのはしゃくなので就職してからもクラブチームか何かでもう少し硬式野球をしていたいと思っています。なんで野球をしてるのかはまだよくわからないですがもう少し野球をするつもりです。我ながら長い自分語りだったと思います。最後まで読んでくださりありがとうございました。

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次回は明日9/22(金)、鈴木健投手を予定しております。
ぜひご覧ください。

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