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《僕の野球人生》 Vol.12 藤川 翔太 内野手

4年生特集、《僕の野球人生》では、ラストシーズンを迎えた4年生に1人ずつ、今までの野球人生を振り返ってもらいます。

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《僕の野球人生》 Vol.12 藤川 翔太 内野手 (4年/私立武蔵)

藤川X

 

僕は初めて野球をした日のことは覚えていません。東大野球部OBの父の影響でいつの間にバットを振り、ボールを投げていました。

 

小学生のころから父に連れられ、神宮に東京六大学野球を見に行っていました。このころから漠然と「プロに行くような選手たちと野球をやってみたい」と思っていました。

 

 

 

野球の楽しさを教えてくれたのは少年野球チーム内野シャークスです。ただ純粋に野球が楽しくて、週末学校のグランドに行き、一日中仲間とともに野球に明け暮れていました。自転車のカギをなくして大泣きしたり、出塁後3塁まで進塁するうちにトイレが我慢できなくなって、球審にタイムを要求しようとして危うくホームスチールを決めそうになったり、なかなかやっかいな小僧だったと思います。いろいろとご迷惑をおかけしました。また、故・原監督や桑田団長をはじめ、コーチの方々には大変お世話になりました。平日は仕事で忙しい中、休日にグラウンドに出て僕たちに野球の楽しさを教えてくださり、ありがとうございました。内輪話ですが、軟式特有の高いバウンドのショート越え勝ち越しヒットで地元最強の印旛ブラザーズを倒した日は鮮明に覚えています。

 

 

 

中学でも迷いなく野球部に入部しました。同期は中学10人、高校7人と人数は多くなく、同期全員が試合に出て全員で野球を満喫していました。

高校では1年生の夏、高橋祐太郎さん(R4卒)など偉大な先輩たちのおかげで強豪に勝ち、3回戦まで進出しましたが、その後は公式戦1勝にとどまり、僕らの代は決して強いチームとは言えませんでした。

3年時には主将を務めさせていただき、自分なりにチームをより良く、より強くするために、ミーティングを重ね、どのような練習をすればいいかを考えました。主張が激しく、だいぶ好き勝手やって岸川監督には大変申し訳なかったと思っています。岸川監督のほかにも、石井助監督、小池トレーナー、中村コーチなどほかにも多くのOBの方々が貴重なお時間を僕たちの指導に充ててくださり、野球を教えてくださいました。本当にありがとうございました。

 

高校野球部は結果こそ出ませんでしたが一生懸命練習したのでやり切ったと思っていました。ですが高校生のころから怪我が多く、合宿前に怪我をしたり、体育の授業中の怪我で春の大会を欠場したり、野球をできない期間が少なくなかったので今思えば不完全燃焼感が残っていたのだと思います。

 

 

 

そうして僕はその不完全燃焼感と子供のころからの神宮への憧れから東大野球部を目指し東大に進学しました。

 

 

大学に入り、初めに思ったことはフィジカルの差でした。他大学には身長が高く、足が図太く、とてつもない打球を飛ばす選手が大勢いました。僕は身長が高くなく、リーグ戦で戦うためにはとにかくフィジカルレベルを上げないとスタートラインにすら立てないと感じていました。そのため下級生のうちは野球の練習と同じかそれ以上ウェイトトレーニングを重視し、とにかくトレーニングをしまくりました。そのうち、数値が上がるのが楽しくなってしまい、毎日のようにウェイトトレをする気持ち悪い人になっていました。

その成果もあってか、2年に学年が上がる直前の3月の初めて出場した対外試合では初打席に初球の高めストレートをとらえセンター越本塁打を放ち、大学野球最高のスタートを切ったかに思えました。

 

 

しかし、その1週間後、盗塁練習のスライディングの際に左肩を脱臼。主治医の鎌田先生の助言に従い、全治6か月の手術を行いました。それからは全体練習に参加することはできずに、リハビリのため病院に通う生活が続きました。

 

その間は同期が春のフレッシュトーナメントやオープン戦で実戦を経験し成長していくのを傍観するしかありませんでした。この時は悔しいというより本当に何もできない状態だったため無力感を感じることしかできませんでした。

肩のリハビリを精一杯やって、どうにか秋のフレッシュに間に合わせ、出番をもらいましたが、守備ではミスをして、打撃でも実戦感覚が失われていて結果が出ず、思うようにはいきませんでした。

その後も左肩の怪我の影響は長く続き、怪我をする前と同じようにスイングすることができなくなっていました。

 

 

 

3年の春直前、そこそこ足が速かったことを買われ、代走要因としてリーグ戦出場を目指すことになりました。しかし、実戦形式の練習で盗塁を試みた際、今度は肉離れをしてしまいました。ちょうどオープン戦が始まる直前の怪我で試合に全く出ることができずにリーグ戦に突入。出番はありませんでした。

 

 

このころから、怪我が怖くて全力でプレーすることができなくなっていました。走るのも常に8割未満。自分の一番の強みだと思っていた足を失い、リーグ戦が大きく遠のいたと感じました。

1年生のころに頑張って付けた筋肉も度重なる怪我で付いては落ちてを繰り返し、フィジカルも伸び悩みました。

 

3年生の時は授業が忙しく、全体練習を欠席することも多く、1限前にノックを受け、授業に行き、課題を済ませた後、夜に室内練習場でひとりでマシンを打つ。そんな生活をつづけました。

そんな練習を続けていたので自分の課題を明確にして改善することができていたので自分の中では成長は感じているものの、先輩たちには追い付けず、尋常じゃないスピードで成長する後輩たちの後塵を拝すにとどまりました。

 

 

 

先輩方が引退し、最高学年となったタイミングで、偉大なる金子トレーニング長の後を引き継ぎ、それと同時に新しいトレーナーとして高木さんにチームの指導をお願いすることとなりました。高木さんの指導は様々な気づきを与えてくれて、教わったことを試してみて上手くいって、自分が成長していくのを実感することができて、野球がより楽しくなりました。自分はトレ長という立場で高木さんとチームのつなぎ役をさせていただいたのもあって高木さんのチームに及ぼす絶大な影響はほかの人よりも感じていたと思います。どうぞこれからも東大野球部をよろしくお願いします。

 

 

 

そして今は代走要員としてチームの戦力になることを目指しています。腸腰筋のトレーニングをしたり、動画を取ってオーバーストライドを矯正したり、打撃練習で打球判断の練習をしたりとにかく走ることばかり考えています。打ったり捕ったりしないけど、これだけ突き詰めると案外楽しいものです。今こうやって全力で楽しむことができているのは肩の手術をしてくださった鎌田先生をはじめとした、僕に関わってくださった医療従事者の方々のおかげです。神宮での決勝ホームインを夢見て引退の日まで走り抜けたいと思います。

 

 

 

 

 

 

僕の大学野球は入部当初に思い描いていたものとは違ったもので、正直ずっと悔しいことばっかりでした。試合で結果が出ない。調子が上がってきたと思ったら怪我で振り出しに戻る。リーグ戦で勝つのも負けるのもスタンドで見ることしかできない。それでも、試合に出てプレーするのは最高に楽しかったです。チームメイトにも恵まれました。全く打てずに悩んでいて久しぶりに試合でヒットを打った夜、寮食を食べていたらグータッチを求めながら「ナイバッチっす」って言いに来てくれる西前(3年/内野手/彦根東)みたいなチームメイトもいる素晴らしいチームです。また、僕たち選手がこうして野球を通して全力で悩み、全力で楽しむことができるようにサポートしてくれたスタッフの方々には感謝しています。マネージャーはコロナ禍で例年以上の苦労があったと推察します。また、選手として野球をプレーすることを辞めてまで、ノックを打ち、練習内容を考え、チームのために奔走してくれた学生コーチ。特に入部からずっと学生コーチとしてチームを引っ張ってくれた永田(4年/学生コーチ/開成)には感謝しています。以前、「やむなく選手をサポートしているという感覚ではなくて、自分がやりたくてやっているんだ」と言っていましたが、それでも何年もそれをやり続けることは並大抵のことではないし、僕にはできないことです。感謝の念でいっぱいです。さらに、神宮球場でどんなときも全力で応援してくれた応援部の皆様にも心から感謝の言葉を述べたいと思います。2年ほど前の試合のとき、お客さんが球場の中に避難するほどの大雨の中、応援部の皆さんが最後まで応援してくれていたのを見て感動しました。淡青祭楽しみにしています。僕たちとともに全力で勝利を目指してくれる皆さんのような存在がいて僕たちは本当に幸せ者です。

 

 

 

この野球部に入ってよかったと心から思います。

 

 

 

 

最後にずっと近くで見守ってくれた両親に感謝の気持ちを述べさせてください。

野球も含め何不自由なく学生生活を楽しませてくれてありがとうございました。母は怪我の度に学校に送り迎えしてくれたり、試合では周りがびっくりするほどの大声で応援してくれたり、ありがとう。父はだれよりも僕の野球を応援してくれる僕の専属コーチです。家の前で父と意見を交わしながらバットを振った数々の夜は今思えば感慨深いものです。僕の成長のためなら惜しまずお金や時間をかけてくれて頼もしくかっこいい父親です。本当は神宮の舞台でプレーを見てもらって感謝を伝えたかったのですが、まだ叶っていません。残りのチャンスは少ないですが、最後まで頑張ります。

 

 

長くなりましたが、最後までお付き合いいただきありがとうございました。

 

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次回は明日10/3(火)、秋山千裕外野手を予定しております。
ぜひご覧ください。