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《僕の野球人生》 Vol.17 別府 洸太朗 外野手

4年生特集、《僕の野球人生》では、ラストシーズンを迎えた4年生に1人ずつ、今までの野球人生を振り返ってもらいます。

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《僕の野球人生》 Vol.17 別府 洸太朗 外野手 (4年/東筑)

別府X

 

物心ついた時から野球が大好きでした。
幼稚園で先生が投げたボールが自分のバットに当たり、遠くへ飛んでいく。この感触を味わいたくて昼休み前になるとソワソワしていた子供でした。

 

小学校に入学してすぐに、地元の少年野球チーム「鯰田リトルキッズ」に入部しました。周りより早く始め体も大きかったため、当時は自分のことをネクストイチローだと信じて疑わないくらい野球に自信がありました。

 

野球人生初の挫折は6年生の時にやってきました。
地区の選抜チームに選ばれた僕は、佐賀県選抜との試合で人生初の3エラーをかまし、自分の打席が回ってくるより前に交代させられ、頭が真っ白になってしまいました。その試合のことはそれ以外ほとんど覚えていません。

 

この試合で完全に自信を無くしてしまった僕は、クラブチームに所属する勇気が出ず、飯塚第三中学校には野球部が無かったため、陸上部に所属しました。

 

中学校の併合が決まっていて、2年後には飯塚第一中学校に通うことになっていたので、「3年生になってまた野球部に入ろう。その為に今は陸上部で速く走れるようなっておこう。」と自分に言い訳する毎日でした。

 

野球から逃げてしまったというモヤモヤはずっと感じていましたが、陸上部での活動はとても楽しく、陸上部の仲間と楽しく練習すればするほど足が速くなりました。この時のおかげで今も野球が出来ていると思うし、無駄ではなかったと思います。

 

3年生になり、転入すると同時に野球部に所属しました。夏の引退までのとても短い間でしたが、久々の試合は本当に楽しかったです。運良く16年ぶりの県大会出場もできたり、自分も活躍できたりとまあまあ満足のいく中学野球でした。

 

高校はどこに行こうかとぼんやり考えながら過ごしていた夏休み、たまたまつけたテレビで東筑高校が決勝進出をかけて戦っている試合を見ました。公立高校が甲子園に手の届きそうな位置で奮闘しているのを見て、「やっぱり甲子園で試合に出たい。この高校に行くしかない!」と思いました。

 

野球から一度逃げてしまった僕がベスト4の高校に入学するのは怖くてたまらない選択でしたが、もう野球から逃げたくない、ここを逃したら一生後悔すると思って飛び込むことに決めました。

 

受験勉強の末合格し、初めて東筑高校の練習に参加した日、僕は激しく後悔しました。

 

まずベースランニングの意識から違う先輩、守備練習で漂う緊張感、明らかに打球の飛距離の違う同期。帰宅後母に「ごめん、3年間公式戦ユニフォームもらえんかも。」と弱音を漏らしてしまうほど、レベルが違うと感じました。

 

毎朝4時半に起き、5時4分の始発で登校しグランド整備と自主練、放課後の全体練習を終え帰宅後食事を済ませ、夜遅くまで自主練の毎日。それでも結果の出ない日々が続きました。

 

冬は北村(慶應R5卒)に座ってもらい2日に1回200球ほど投げ込みましたが、全くコントロールが良くならず、結局2年生の秋の大会は背番号をもらえませんでした。
後輩たちの成長も著しくこのままピッチャーをしていては最後までベンチに入れないと考えた僕は、外野手転向を決意しました。

 

なにがなんでも試合に出たい。走攻守のどれかが伸びればベンチに入れるはずだと覚悟を決め、バッティングと守備の猛練習に励みました。監督がくれる少ないチャンスで結果を出し続け、初めて背番号9をもらい1番ライトの座をつかみ取ったときは、こみ上げるものがありました。

 

そのまま夏の大会を迎え、2回戦で逆転タイムリースリーベースを打てた時の喜びは尋常じゃなかったです。チームは前評判を覆しどんどん勝ち続け、21年ぶりの甲子園出場をつかみ取りました。
僕はチームの誰よりも号泣していました。この瞬間に死んでもいい。そう思えるほど嬉しかったです。

 

福岡県大会の準々決勝でフェンスに激突して手首を負傷してしまい、それから決勝までは守備固めとして出場していた僕は、「甲子園までに治して絶対に試合に出る!」と意気込んでいました。
ベンチの中でいつでも出場できるよう準備し「別府、行け。」の言葉を待ち続けましたが、結局聖地の土を踏むことはできませんでした。

 

やっとつかんだ夢の舞台はあっけなく過ぎ去りました。「野球の神様なんていないんだな。」そう思いながら甲子園の土をかき集めました。

 

「ここまで来れたしな。」試合終了直後はそう自分を納得させようとしました。ただ時間が経てば経つほど悔しさが溢れ出し、誰もいない夜の宿舎のロビーで涙が止まりませんでした。

 

「このままでは終われない。東京六大学野球でスター選手たちと対戦したい。」そんな気持ちが沸々とわいてきました。
1週間後、東大野球部の高校生練習会に参加し、本気で他大学に勝つために練習しているこの先輩達と一緒に野球をしたいと思い、志望校を東大に絞りました。

 

現役合格を目指して猛勉強しましたが野球漬けだった僕が合格できるはずもなく、結果は90点差で不合格。一浪を経て、今年は受かっているだろうと福岡から合格発表の掲示板を見にやってきましたが、またまた不合格。膝から崩れ落ちました。
3度目はコロナ渦でオンライン発表。ありえないくらいブルブル震える手で画面をスクロールし僕の番号を見つけたときは、現実かな?と何度も何度も見返しました。
それから入学までの間に何度も、東大に落ちる夢を見て飛び起きる、を繰り返しました(笑)。

 

コロナで練習参加は遅れましたが、夏に東大野球部に合流することができました。
久しぶりにする野球はとても楽しく、いつも球場で練習していたように思います。

 

初めて応援に行ったリーグ戦で、慶應に最終回までリードしながら逆転負けをしてしまいました。1戦目からこんな試合ができるなんてすごいと思った一方で、この展開でひっくり返してくる他大学の強さを思い知りました。

 

大きく見えた4年生が一勝もできずに引退していくのを見て、東京六大学はなんて厳しい場所なのかと思いました。

 

2年の春、リーグ戦で連敗が続く苦しい雰囲気のなか法政大学に勝ち、64連敗をストップさせた試合後に涙を流して喜んでいる先輩方を見て、心の底から嬉しく思いました。また、東大野球部が東京六大学で勝つことの重みも知りました。

 

3年の春・秋リーグでは、スタメンで起用されるようになり、攻守ともに大事な場面に関わることが増え、重圧を感じましたが大きなやりがいもありました。
2勝して勝ち点を取ることの難しさを痛感したのもこの頃です。

 

 

最上級生となり、最下位「奪出」を目標に掲げ、同期が前に立ちチームを引っ張る中、うっかり者の僕は特に重要な役職についているわけではないので、このチームを後ろから見てきました。その中で東大野球部は本当にすごい人たちの集まりだなと気付かされました。

 

どんな状況でも前を向いて、チームのために動き続けるキャプテン。
試合で活躍するための準備を決して怠らないメンバー。
自分がリーグ戦に出られないことがわかっても腐らず分析や補助をしてくれる同期。
選手を辞めて学生コーチになったくれたみんな。
大きな組織を動かす大変な仕事を当たり前のようにこなしてくれるスタッフのみんな。

 

こんな最高の仲間と野球ができている僕は本当に幸せ者だとつくづく思います。
みんなのおかげでずっと後悔してきた高3の時の怪我も、あれがなかったらこのチームで野球ができていなかったと考えると、むしろ感謝したいと思えるようになりました。

 

神宮でいいプレーをして勝つ。そう誓って入部してきた僕ですが、今ではこのチームで「奪出」ができるのなら自身の結果はどうでもいいと考えている自分に驚いています。

 

野球の神様、こんなふうに思えるような素晴らしいチームに出会わせてくれてありがとう。
高校の時いないなんて思ってしまってごめんなさい。おかげで最高の場所で野球人生を終えることができそうです。

 

10月8日の今日、チーム2023で初めての勝利を掴みました。
このチームがなぜ勝てないんだろう、そう悩みもがき続けた1年間でしたが、これでようやくスタートラインに立てた気がします。
ずっと欲しかったこのチームでの1勝を手にすることができましたが、僕たちの目標は最下位「奪出」です。
みんなで嬉し涙を流して引退できるよう最後まで全力で食らいついていこうと思います。

 

どうか最後まで応援よろしくお願いします。

 

 

最後に、お世話になった方々にメッセージを送らせていただきます。

 

両親へ
行き当たりばったりで突き進む僕を、常に見守り支えてくれてありがとう。
朝5時4分の始発に乗る生活を乗り切ったのは一生の思い出です。
「楽しめていればなんでもいい。」その言葉に何度励まされたかわかりません。
立教戦を最後に野球で楽しそうな姿は見せられなくなりますが、これからの人生も思いっきり楽しみます。

 

 

東筑高校の指導者の方々へ
入部した時下手くそだった僕を、辛抱強く育ててくれてありがとうございました。今も結果を気にしてくれているというのを知った時は驚いたし、とても嬉しかったです。

特に吉野先生には本当にお世話になりました。外野手に転向してからバンザイ連発の下手くそな僕をまともに守れるようにしてくれてありがとうございました。吉野先生が何気なく言った「お前は勝負所でなんかやってくれそうな期待感がある。」という言葉は今でも自分の支えです。

 

 

応援部のみんなへ
どんな試合の日も最後まで一緒に戦ってくれてありがとう。
神宮でみんなの大応援を聞きながらプレーした4年間は本当に幸せだったし、一生忘れることのできないものだと思います。
残り試合もどうか力を貸してください。

 

 

井手監督へ
井手監督には孫のように可愛がっていただきました。
試合前、試合後の言葉はいつも僕たちをやってやるぞという気にさせてくれるものでした。
特に褒められて伸びるタイプの僕を一番褒めてくれたのは井手監督だと思います。本当に大好きです。
井手監督のようなシブくて愛されるおじいちゃんになれるようこれからの人生も頑張ります。

 

 

先輩へ
多くの先輩たちに可愛がってもらった最高の後輩人生でした。
打てなくて元気がない時にご飯に誘ってくれたり、試合での考え方を教えてくれたりとあげだすとキリがないほどお世話になりました。これからも一生後輩するのでよろしくお願いします!

 

 

後輩へ
みんなのことが可愛くて仕方ないです。
別府おじだのなんだの好き勝手呼んでくる生意気な声も、もうすぐ聞けなくなると思うと少し寂しいです。
引退したら近所のマイバスケットには一緒に行けなくなりますが、ご飯はいけるのでいつでも誘ってください。
来年以降もずっと応援しています。

 

 

応援してくださるすべての方々へ
いつも東大野球部を応援してくれてありがとうございます。
いつもあたたかく見守り、応援してくださるみなさんの前で野球ができて本当に幸せだったと思います。
もう神宮でプレーする姿を見せられるのも数試合となってしまいましたが、最後まで全力でプレーして今までの恩を返したいと思います。

 

 

同期へ
4年間一緒に野球をしてくれてありがとう。
普段は恥ずかしくて言えませんが、みんなのことを心から尊敬しています。
このチームで野球人生を終えられる僕は本当に幸せ者です。
みんなとならもっともっと勝てると信じています。
絶対に「奪出」を果たして笑って引退しましょう。

 

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次回は明日10/10(火)、矢追駿介外野手を予定しております。
ぜひご覧ください。