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『僕の野球人生』第1回 井澤駿介投手

【僕の野球人生スタート!】
本日より4年生特集、≪僕の野球人生≫がスタートします!
この企画では、ラストシーズンを迎えた4年生に1人ずつ、今までの野球人生を振り返ってもらいます。

第1回となる今回は井澤駿介投手です!

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『僕の野球人生』第1回
井澤 駿介 投手 (4年/札幌南)

R4.05.01vsW②‗Nicon (613)

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「挑戦」

そこには常に失敗というリスクがつきまといます。しかし、その先に成功があると信じる限り挑戦し続けたいです。

 

野球を始めたのは小学1年生の時でした。二人の兄の影響で気づけば近所の野球チームに入り、ボールを追っかけていました。守備中にライトで地面に絵を書いていた自分も4年生になると、チームの人数が少なかったこともあり少しずつ試合に出れるようになりました。4年生まで捕手だったせいかこの頃には今くらい太い太腿が形成されていたと思います。6年生になると同期が1人だったこともあり、キャプテンを務めましたが、歴代ワースト2位のチーム成績でした。「野球なんて楽しくない。やめたい。」と思うこともありました。野球をやめたいと思ったのは後にも先にもこの一度切りでした。

 

何も考えることなく進んだ地元の中学では部員が15人前後だったこともあり1年生から試合に出ることが出来ました。10人で臨んだ最後の大会では数年ぶりに3回戦まで進むことができ、さらに負けた相手が後に全国大会に出場したことで大満足の引退となりました。高校はどこにしようかと考えていた時、3歳上の兄が通っていた札幌南高校が甲子園常連校の北海高校を倒したことを知り、野球も勉強も高いレベルでしたいと考え目指すことにしました。

 

運良く札幌南高校に合格し、自分もここなら甲子園を目指せるんじゃないか、とどきどきわくわくで入部しましたが、順風満帆とはいきませんでした。これまで、人が少ないから試合に出れていたことを上手いからだと勘違いしていた自分はシニアやクラブチーム出身のレベルの高い同期が早くから試合に出ることに焦り、5月に怪我をしてしまい一年を棒に振りました。しかし、冬場の地道なトレーニングの成果もあり、2年からは背番号をもらうことができ秋からは1番をつけました。秋そして春と道大会まで進むことができ、シード権を得て満を辞して臨んだ高3の夏。結果は3回戦敗退、スコアは11−5と悲惨なものでした。投げても投げてもアウトが遠く、次々とフェンスを超えていく打球をただ眺めることしかできませんでした。悔しさと不甲斐なさから号泣しました。引退してから一週間。切り替えることができず、何も手に付かない自分に転機が訪れました。母校の大先輩で、甲子園に主将として出場した現監督の田畑さんと話す機会があり、「六大学を目指してみてはどうか」と勧められ、縁あって東大の練習会に参加することが決まりました。練習会に参加し、正直東大野球部はレベルが高いとは思いませんでしたが、甲子園に出るような選手に負けたくない、そんな気持ちを持っていた自分は東大野球部を目指すことを決めました。

 

これまで勉強をろくにしてこなかった自分が受かるはずもなく、受験は不合格。浪人を決意しました。それから遊ぶこともなく毎日孤独に勉強した甲斐もあって翌年晴れて東大に合格することができました。

 

東大野球部に入って3年半が経ちました。開幕戦をリーグ戦初登板で迎えた2年春。ゲームを作れた試合もあれば、1つもアウトを取れずに降板した試合もありました。大学野球を代表する打者を抑えることができたという収穫とともにレベルの高いリーグで自分たちが勝つことの厳しさを痛感しました。間もなく開催された秋のリーグ戦でも先発しましたが、自身が勝つことはおろかチームとしても勝利を挙げることはできませんでした。それでも最終カードでは初めて完投することができ僅かながら自信もつきました。一冬超えて臨んだ3年。自身はリードした展開で進んでも終盤に逆転される投球が多かったですが、春の最終戦の法政戦で連敗を64で止めることができ、さらに秋も立教戦で勝つことが出来ました。チームの勝利、そしてその試合に投げれたことに大きな喜びもありましたが、同時に先発として勝利を挙げられていないことへの憤りもありました。冬の成果を確実に感じられ、手応えを持って挑んだ今年の春も他大学の高い壁に跳ね返されました。

 

そしてついに迎えたラストシーズン。開幕前の9月8日にプロ志望届を提出しました。ここまで突出した成績を残したこともなければ、高い能力を持っているわけではありません。お前じゃ無理だという意見は最もでしょう。それでも今日まで上手くなりたい、他大の選手に負けたくない、ただその一心で自分なりに努力してきて、僅かでも可能性があるなら挑戦したいという思いが大きくなりました。

 

2年のときから出させてもらって2年半。個人の実力が圧倒的上の他大学を相手になすすべもなく負ける試合がほとんどで悔しい思いばかりでした。自分のせいで勝てないと涙する時もありました。体調が悪くなり通院することもありました。監督からしたら正直期待外れかもしれません。

それでも連敗を止めた法政戦、初めて勝利投手となった立教戦など勝利の瞬間に立ち会うために、何にも変えがたい喜びを味わうためにここまで頑張ることが出来ました。

 

自分は主将でもなければ副将でもありません。チームをまとめることもしなければ、責任を負うこともありませんでした。そんな自分がチームにできること。それは抑えること。結果を出すことしかありません。これまでお世話になった方に、メンバー外に、そして何より自身に報いるには結果しかありません。これまでプレーで引っ張ることができたかはわかりませんが、エースとして、試合において責任ある立場としてこの秋は必ずや結果を残し、チームの勝利に貢献し、最下位脱出します。

 

お世話になった方々へ

ここに来るまで本当に多くの方の影響、サポート、支援がありました。特に高校の恩師の池田監督、東大を目指すきっかけをくださった田畑監督をはじめとして野球指導をしてくださった方々、体を診ていただいたトレーナー、理学療法士の方々、相談に乗り進言・支援していただいたOBの方々、本当にありがとうございました。

 

応援部へ

炎天下の日も大雨の日もスタンドにはみんなの姿がありました。正直、東大は圧倒的劣勢の展開が多く、試合時間も長いため熱中症で気分が悪くなること、凍えて体調を崩すこともあったと思います。それでも最後まで諦めずに応援する、神宮での応援に向けて時間を割き練習し、当日は朝早くから準備する、そんな野球部のために努力する姿があったからこそ辛い時も常に前を向き続けることができました。本当にありがとう。

 

同期へ

たくさん一緒に練習しました。たくさん刺激をもらいました。チームとして勝利を目指す中で練習・分析・生活した日々はかけがえのないものとなりました。ラストシーズンみんなで勝とう。

 

両親へ

車の送り迎えとか弁当とか大変だったと思うけど野球をしてばっかの自分を応援してくれてありがとう。大学に入ったら遠いにも関わらず、北海道から毎シーズン応援に来てくれてありがとう。これからも挑戦し続けるので応援してくれたら幸いです。

 

兄の影響で始めた野球。これまで16年間野球のためなら嫌なことも厭わず努力し続けられたことは僕の矜持です。この先野球を続けられるかはわかりません。ただ、これからの人生においてこれまでの野球人生が僕という人間の根底にあることは一生変わりません。

 

ラストシーズン。学生野球の集大成。数え切れない悔しさを糧にここまで成長してきた自分、そして仲間を信じ、勝利を掴み取り、これまでにないほどの「躍進」をお見せします。

応援よろしくお願いします。

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次回は9/14(水)、金子投手を予定しております。
お楽しみに!