明治大学
この春の明治大学のMVPは、左のエース毛利海大(4年=福岡大大濠)である。9試合に先発登板し、6勝0敗防御率1.34と圧倒的な成績で投手陣を牽引した。53 2/3回を投げ、与四球12という素晴らしいコントロールと、奪三振54と投球回を上回る奪三振能力でリーグ戦を通じて打者を寄せ付けなかった。2カード目の慶應義塾戦から4カード連続で1戦目と3戦目に先発登板するタフさを魅せ、まさに鉄腕、まさに明治の大黒柱へと成長した。中でも法大戦第1戦で自身初の完封勝利は圧巻だった。チームからの援護がない時も常に粘り強く、援護を待ち続けた。彼の粘り強さが今年のチームの強さ、試合終盤の粘りにつながっているに違いない。毛利海大の投球に今後も目が離せない。(本岡里空)

法政大学
今春のMVPといえば境(1年・大阪桐蔭)だ。1年生ながら今春全試合フルイニング出場を果たし、打率も3割超と申し分ない活躍をした。実力も然ることながら、彼が試合に出続けることができたのは、高校時代から培ってきた大舞台への経験値と身体のタフさである。特に3ヶ月前までは高校生という中で六大学の4年生と対等に戦い、最終節まで警戒される能力には目を見張るものがある。特に印象に残っているのは、法慶4回戦に放った2本のタイムリーヒットだ。今季大車輪の活躍をしてくれた1年生の境をはじめ只石、槙野には感謝しかない。春は悔しい結果に終わってしまったが、この夏を過ごすか、成長できるか、熾烈なメンバー争いができるかが鍵となる。全員の力を集結させ、秋の悲願のリーグ戦優勝に向け法政大学野球部は邁進する。(藤森創立)

東京大学
投のMVPは渡辺向輝(4年=海城)、打のMVPは中山太陽(4年=宇都宮)だ。渡辺は父親譲りのアンダースローで他大学の強力打線を手玉に取り、全カード試合を作る大車輪の活躍を見せた。167cm63kgという体格で、屈強な男達に立ち向かっていく様は、思わず応援したくなってしまうこと間違いなしだ。その笑顔と愛くるしい動きにはスタンドから「可愛い」という声が飛んでいた。一回戦に投げるエースの宿命として、今季は中々援護が得られなかったが、秋は相手エース相手に猛攻を見せ、渡辺を勝ち投手にする。昨季外野手でベストナインを獲得した中山は、今季から一塁手に挑戦した。マークが厳しくなる中で、昨季以上の打率.371を残し、守備でもその長身を活かした好捕を連発した。チームが苦しい中でも頼れる副将として、「太陽」のように周りを明るく照らしてくれる存在である。秋は全員がMVPといえるような活躍で、応援してくださる方々に結果でお応えしたい。(奥畑ひかり)

立教大学
この春の立大のMVPは、何と言ってもこの男――山形球道(4年=興南)に他ならない。第6週終了時点で、打率4割4分4厘、5本塁打、17打点、いずれもリーグトップと圧巻の成績を残し、三冠王獲得をほぼ手中に収めている。今季の主役と言って間違いないだろう。チャンスで一本を放つ勝負強さに加え、守備でもファインプレーを連発し、幾度となくチームのピンチを救ってきた。その気迫あふれるプレーはチーム全体を熱くし、士気を高める原動力となった。彼がバッターボックスに立つたびに沸き起こるスタンドからの拍手が、その期待の大きさを物語っている。山形は2年春に神宮デビューを果たし、幸先の良いスタートを切ったかに思えた。しかし、怪我にも悩まされ、レギュラーの座を掴みきれない苦しい日々が続いた。だが、この春季キャンプでは、明らかにひと回りもふた回りも逞しくなった姿を見せていた。決して諦めないひたむきな努力が今の大活躍に繋がったのだろう。チームとしては惜しくも春季優勝には届かなかったが、秋にはきっと彼が頂点に導いてくれるはずだ。覚醒した山形球道のさらなる飛躍から目が離せない。 (小野馨子)

早稲田大学
この春のMVPは、エース・伊藤樹(4年=仙台育英)だ。今季は、未だ負けなしの5勝でチームを勝利に導いている。エースとして2年目の今年は、昨年よりもさらにレベルアップした投球を見せている。特筆すべきは、明治大学二回戦でのノーヒットノーランである。負ければ優勝の可能性が無くなる大事な一戦で、誰もの予想を超える投球を披露し、連盟結成100年の節目に名を刻んだ。そんな彼の粘り強い投球は、9回裏のサヨナラ打を呼び寄せるほど、野手にも刺激を与えている。そして、残すは最終週の早慶戦のみ。超満員の神宮球場で、圧倒的なピッチングを披露し、チームに勝利をもたらしてくれることを期待したい。(井上彩希)

慶應義塾大学
慶應義塾大学のMVPには林純司(2年=報徳学園)を挙げたい。今季は主に8番打者としての出場ながら、打率.351という好成績をマーク。さらに、法政大学戦ではリーグ戦初本塁打を放つなど、パンチ力も兼ね備えた打撃で存在感を示した。春のオープン戦では1番打者として起用されることも多く、将来的にはリードオフマンとしての活躍も期待される。また守備面でも、抜群の安定感と華のあるプレーで観客を魅了した。持ち前の軽快なフットワークと鋭い打球反応でヒット性の打球を次々に処理し、特に要所でのファインプレーは、流れを呼び込む原動力となってくれた。活躍の一方で、法政大学との第4戦では最後の打者となり、悔しさを味わう場面もあった。しかし、その経験こそが彼をさらに成長させるに違いない。早慶戦、そして秋季リーグ戦では、より逞しくなった林純司の姿を見るのが楽しみだ。(勝野淳)

応援席から
慶應スポーツ新聞会 
スローガン“DOMINATE”を掲げ、昨春3位、昨秋5位に終わった悔しさを糧に、投打ともに”圧倒“的な実力を身に付け、勝利に向かって貪欲に挑み続けてきた慶大。開幕カード・立大との試合では、2勝1敗で幸先よく勝ち点を獲得。明大とのカードでは引き分けを挟み2連敗で勝ち点を落としたものの、3カード目の東大戦では2連勝で勝ち点2を獲得。しかし法大に対し先勝も、2連敗で勝ち点を落とすと、その翌週となる第7週で法大が明大に敗戦したことにより、3季連続で優勝を逃す無念の結果に終わった。
投手陣はエース・外丸東眞(環4=前橋育英)主将と昨秋最優秀防御率のタイトルに輝いた渡辺和大(商3=高松商業)の2枚看板が先発として、粘り強い投球で試合を作っている。また中継ぎは、荒井駿也(商4=慶應)や木暮瞬哉(法4=小山台)、小川琳太郎(経4=小松)といった下級生の頃からリーグ戦登板を重ねてきた最上級生の活躍はもちろん、田上遼平(商3=慶應湘南藤沢)、水野敬太(経2=札幌南)、入江祥太(環1=石橋)がリーグ戦初登板を果たすなど、下級生投手の台頭が光った。特に水野は力強いストレートとカーブを武器に、ここまで今季防御率“0.00”を誇る守護神・広池浩成(経3=慶應)、小川琳に並ぶ5試合に登板。法大1回戦でリーグ戦初失点も他の4試合を無失点に抑え、防御率1.50と安定した成績を残し、堂々たる主力へと成長を遂げた。
野手陣は今津慶介(総3=旭川東)と小原大和(環3=花巻東)の1・2番が躍動。今津は今季開幕から不動の1番として、ここまで3本塁打含むチームトップの17安打&9打点を記録するなど勝負強さと豪快な打撃で存在感を放っている。小原は法大3回戦を除く11試合に2番として先発出場すると、巧みなバットコントロールで広角に打ち分け、今津に次ぐ15安打を記録するなど、打率は両選手ともに3割5分超。また、常松広太郎(政4=慶應湘南藤沢)、中塚遥翔(環2=智辯和歌山)、今泉将(商4=慶應)副将、渡辺憩(商2=慶應)ら一発を秘めた打者が主軸に座り、幾度となく慶大を勝利に導いてきた。そして林純司(環2=報徳学園)と上田太陽(商3=國學院久我山)は、巧みな小技で下位打線のつなぎ役として活躍するだけでなく、鉄壁の二遊間としてチームの守備の要となっている。
残すカードは最終第8週の早慶戦のみ。1つでも高い順位を目指すためにも、早大から2連勝で勝ち点を獲得し、「全員野球」で勝利への執念を燃やす。神宮球場全体に“熱狂”を巻き起こすのは、間違いなく慶大だ。(加藤由衣)
神宮六景 
神宮の杜で会おう
今から50年以上前の話になります。昭和47年(1972年)は慶應が早稲田に勝ち3連覇を成し遂げた年です。私はその年の春の早慶戦をご両親が慶應出身の小学校の級友宅でTV観戦しました。満員のスタンド、華々しい応援合戦、早慶戦ってすごいなあ、慶應はいいなと思った瞬間でした。
当時の六大学野球は、NHKラジオ第一放送で試合中継があり、一般紙の夕刊には試合途中経過が、好カードはNHKだけでなく民放でも中継されることもしばしば。NHKニュースで、「今日から早慶戦の徹夜が始まりました」と伝えられるなど、国民の関心も高い時代でした。
ちょうどそのころ、文京区に文京リトルリーグが誕生しました。野球少年だった私は喜んで入団したのは言うまでもありません。球団の創設者は、歯科医の田中久雄さん。球団創設は、医院の前の道路でキャッチボールをしている小学生を見て、土のグランドの上で思いっきり野球をさせてあげたいとの思いからの発案でした。そして、明るく健康な小学生になってほしいとの願いを込めてチーム名をリトル・インディアンズと名づけました。
ここから、私と東京六大学野球とのかかわりが始まります。田中先生の思いに応えてくださったのが、当時東大野球部監督だった岡村甫さん。その後数十年、歴代の東大監督のご厚意で、文京リトルのホームグランドは東大球場になります。そして、文京リトル総監督に就任されたのは法政大学野球部OBの高尾憲治さん。高尾さんの同級生には山中正竹さん、江本孟紀さんがいらっしゃいます。高尾さんは、本格的に野球を始めた私達に野球の基礎を教えてくださった恩人で、ご自身のお話も含めて東京六大学野球の話もいっぱいしてくれました(今でも当時のお話をたくさんしてくださいます)。冒頭の言葉、「神宮の杜で会おう。」は、その高尾さんが文京リトルの選手たちに送った合言葉です。その言葉を聞き、私は東京六大学でプレーする。慶應義塾で野球をするという気持ちが固まりました。そして、私は一足早く、慶應義塾高等学校に入学することになります。
同じ思いだったのでしょう。山田智康君(1985年法政大学卒)、江端徳人君(私と同じく慶應義塾1986年卒)、山中亨君(1988年立教大学卒)らが続き、当時全く想像できなかった「神宮の杜で会おう」という合言葉が現実のものとなったのです。また、野球部には入らなかったけど、明治大学に進んだ現在東京都市大付属高校の教頭の野田宏幸君(1985年卒)は、長男の宏太朗君を立教大学野球部に、また、昨年まで同校の野球部監督を務め、教え子を東京六大学野球部全校に送りだすなど、東京六大学野球の魅力を伝え続けてくれています。きっと、自分自身の思いも込められているに違いありません。
さて、私は同期堀井哲也監督との縁もあって2021年から母校慶應義塾大学野球部のコーチに、今季からは助監督に就任して神宮球場に戻ってきました。助監督就任を高尾さんに報告すると、ことのほか喜んでくださり、少しは恩返しができたようです。
東京六大学野球が作ってくださった縁、今思えば、こうした人達との出会いがなければ、私の人生は全く違うものになっていたでしょう。卒業してからも、仕事で、観戦に行った神宮球場のスタンドで、いろいろな方のお世話になりました。中でも、東大の野村雅道さん(1979年卒)は、金融業界の大先輩で、20年以上前に偶然再会し、以来、北倉君は野球つながり、神宮つながりだからと言っていただき大変かわいがってくださいました。恩人の一人です。慶應義塾、元塾長、小泉信三先生のスポーツの与える3つの宝ということばの一つに「友」、生涯の友を得る。というのがあります。「友」を、「野球つながり」に置き換えれば、東京六大学野球、神宮球場はそうした素敵な関係を実現させてくれるところのようです。
今年、東京六大学野球は100周年という記念の年を迎えました。次の100年もまた東京六大学野球が、学生野球の聖地神宮球場が、これまでもそうであったように、私にとってそうであったように、少年、少女のあこがれであるとともに、高校生の夢の舞台として、また、卒業生をはじめ関係者の皆様、神宮を愛する人たちがいつでも帰ってこれる素敵な場所であり続けて欲しいと思います。
(慶應義塾大学1984年(昭和59年)卒業 北倉克憲)