法政大学
法政大学の今秋のMVPは篠木健太郎(4年=木更津総合)である。今季は8試合に先発登板し、3勝を挙げた。投球回、球数共に自己最多を更新し1回戦、3回戦とフル回転したシーズンであった。力強い投球で打者を封じ込め、打者としても勝負強い打撃や全力疾走で1点を奪いに行く姿はエースの名に相応しい活躍であった。「銀二さんと山下さんがマウンドを守り続ける姿に憧れ、チームの勝利だけを目指して腕を振るだけ。」この秋は何度も口にした憧れの勇姿を自ら体現した秋であった。魂のこもった投球や力強いガッツポーズはチームを鼓舞するだけでなく、常に周囲に何かを考えさせ、何かを促す思いがあったに違いない。篠木がエースとしてマウンドを守り続けた姿を見た後輩たちの1年後、2年後、3年後が楽しみだ。唸るようなストレート、漢としての雄叫びを何度も見せてくれてありがとう。(黒坂夏希)
東京大学
この秋、東大のMVPは渡辺向輝(3年=海城)で間違いないだろう。2カード目の明大戦以降は先発したすべてのゲームで試合をつくってくれた。そして法大2回戦では9回151球2失点完投という魂のピッチングで、チームのサヨナラ勝ちを呼び込んだ。右のアンダーハンドから繰り出される独特な浮き上がるボールは、速くても120km/hほどながらも、数々の強打者のバットを詰まらせてきた。しかしながら彼の成長意欲はとどまることを知らない。この冬を越えてチームの大黒柱として成長した彼の姿を、1人のファンとして皆さまと一緒に春まで楽しみに待っている(岩瀬笑太)
立教大学
立大のこの秋のMVPは齋藤大智(4年=東北)である。1年春にリーグ戦デビューを果たすも、中々結果を出すことができない苦しい期間が続いた。しかし、調子が悪くても4年間諦めず、練習、そして夜遅くまで自主練習に取り組み、野球にストイックに向き合ってきた。今秋は開幕からスタメンではなかったものの、法政大学第1回戦に代打で出場すると、中前安打を放ち持ち前のバッティングをアピール。その後、スタメンに定着すると、今季は14安打、1HR、打率.359をマークした。明治大学第1回戦での劇的な逆転満塁ホームランは、強く印象に残っている。また、彼は選手としてだけでなく、寮長として、掃除や食事などの生活面においてもチームを引っ張ってくれた。どんなときも妥協を許さず、努力の大切さをチームに残してくれた彼はMVPに違いない。(町田日菜)
早稲田大学
この秋、早大のMVPはやはり主将の印出太一(4年=中京大中京)一択だろう。新チームスタート時に主将に任命され、常に結果を追い求めてここまで鍛錬を積んできた。打撃では4番、守備でも正捕手を務め、チームの大黒柱として1年間苦労したことは間違いない。しかしその抜群のキャンプテンシーは幾度となくチームを窮地から救い、春季リーグ戦完全優勝に導いた。それでもチームの目標である日本一にはあと一歩届かず、苦渋を味わって迎えたラストシーズン、残すは早慶戦のみとなった。春を越えるためには、もう負けは許されない。彼がここまで作り上げた最高のチームが連覇、そしてその先の日本一に向けての軌跡を辿る。(神田航)
慶應義塾大学
この秋の慶應のMVPは渡辺和大(2年=高松商業)だろう。今シーズン7試合に登板し、防御率1.23と素晴らしい成績を残している。日を追うごとにスピードを増し成長していく直球に加え、鋭く曲がる変化球で他大学の強打者たちから多くの三振を奪ってきた。また、打撃センスも併せ持ち、9人目の打者として今シーズンも数多くの安打を放ってきた。どんな凡打であれ、一塁まで全力で駆け抜ける姿に彼の野球に対する真面目な姿勢が表れている。そんな彼も、今季から1戦目の先発を任されるようになり、不動のエース外丸(3年=前橋育英)に次ぐ存在として名乗りを上げた。今季東大戦では、初となる中1日での先発に挑戦。月曜日は9回を被安打4で締め、見事に完封勝利を飾った。 厳しい夏を越え、渡辺をはじめとする下級生投手陣の成長に目まぐるしさを感じるシーズンとなった。先発を含むチーム内での競争は激しくなり、頼もしさも増すばかりだ。 最後に残るは華の早慶戦。今シーズンを締めくくる大一番で春の雪辱を果たしたい。(宮田健太郎)
明治大学
明大のMVPは、主将・宗山塁(4年=広陵)だ。1年春にリーグ戦デビューを果たすと、「不動のショート」として華麗な守備と強打でチームに欠かせない存在となった。ラストイヤーは「輪」をスローガンに掲げ、主将として、結果だけでなく良いチーム作りにも力を入れた。怪我の影響で不完全燃焼に終わった春の悔しさを晴らすべく、強い想いで臨んだラストシーズンは全試合に出場し、チームトップの打率、トップタイの打点を記録した。開幕戦で最終回に放った先制ホームラン、早稲田大学2回戦での劇的な同点打など、ここぞの場面で勝負強さを発揮し、チームを牽引した。苦労を乗り越えた彼に、お疲れさまとありがとうを伝えたい。(岸上さくら)
応援席から
神宮六景
この寄稿のお話をいただきましたのは、2024年10月末のことでした。まさにロサンゼルスドジャースがワールドシリーズの優勝を決めた直後のタイミングで、大谷翔平選手の活躍とともに、私自身の野球人生を振り返る貴重な機会をいただきました。
この2024年の野球界を振り返りますと、大谷選手の活躍に始まり、そして彼の所属するドジャースがワールドシリーズを制するという、まさに大谷選手を軸とした一年でした。
このドジャースという球団には、私も若き日に貴重な縁がありました。3年生の春に、ベロビーチのスプリングキャンプに参加させていただく機会をいただきました。当時はメジャーリーグが今ほど注目されていませんでしたが、今になって思い返しますと、世界最高峰の選手たちと同じ環境で過ごした2週間は、かけがえのない経験だったと深く感じています。
私は早稲田大学本庄高等学院の出身で、高校時代は厳しい野球部生活を送っていたわけではありません。しかし、大学に入学した際、野球部の寮である安部寮が西早稲田から東伏見に移転するタイミングと重なり、実力以上の期待値をいただいて、通常であればレギュラー選手にしか許されない寮生活を、1年次から経験させていただく機会をいただきました。
寮生活は、私にとって想像を超える厳しさでした。朝6時過ぎの起床から始まり、清掃作業、そして8時からの下級生練習、午後にはレギュラー組の練習でバッティングピッチャーを務め、夜はグラウンド整備と、休む間もない毎日を過ごしました。
神宮球場では1年次からベンチ入りという貴重な機会をいただきましたが、私の役割は、非常時に備え、常にブルペンで投球練習を続けることでした。おそらく神宮のブルペンで最も多くの球を投げた選手の一人ではないかと自負しています。
振り返りますと、あの4年間は人生の縮図のように感じられます。努力、友情、挫折、すべてが私の許容量を超えるものでしたが、その経験が後の人生を支える大きな糧となっています。
厳しい道のりでしたが、今では感謝の気持ちでいっぱいです。現代では許容されないような厳しい環境でしたが、あの時期に培った忍耐力と、共に戦った仲間との絆は、私の人生の宝物となっています。
現役の選手の皆様にお伝えしたいことがあります。当時の私は、毎日の厳しい練習をこなすことに精一杯で、自分が恵まれた環境で野球ができているということすら、十分に実感できないまま4年間が過ぎてしまいました。今になって思えば、もう少し余裕を持って、与えられた環境のありがたさを噛みしめながら野球に打ち込めていれば、という思いが残っています。
今、皆様に与えられている環境は、私たちの時代とは大きく異なり、より充実したものとなっています。この恵まれた環境に感謝の気持ちを持ち、野球に専念してください。後になって「あの時もっと頑張れば良かった」「あの時ももっと野球を楽しめていれば良かった」という後悔を残すことがないよう、今この瞬間を大切に、精一杯野球に打ち込んでいただきたいと心より願っています。
(早稲田大学 平成8年卒 鈴木研二)