この寄稿のお話をいただきましたのは、2024年10月末のことでした。まさにロサンゼルスドジャースがワールドシリーズの優勝を決めた直後のタイミングで、大谷翔平選手の活躍とともに、私自身の野球人生を振り返る貴重な機会をいただきました。
この2024年の野球界を振り返りますと、大谷選手の活躍に始まり、そして彼の所属するドジャースがワールドシリーズを制するという、まさに大谷選手を軸とした一年でした。
このドジャースという球団には、私も若き日に貴重な縁がありました。3年生の春に、ベロビーチのスプリングキャンプに参加させていただく機会をいただきました。当時はメジャーリーグが今ほど注目されていませんでしたが、今になって思い返しますと、世界最高峰の選手たちと同じ環境で過ごした2週間は、かけがえのない経験だったと深く感じています。
私は早稲田大学本庄高等学院の出身で、高校時代は厳しい野球部生活を送っていたわけではありません。しかし、大学に入学した際、野球部の寮である安部寮が西早稲田から東伏見に移転するタイミングと重なり、実力以上の期待値をいただいて、通常であればレギュラー選手にしか許されない寮生活を、1年次から経験させていただく機会をいただきました。
寮生活は、私にとって想像を超える厳しさでした。朝6時過ぎの起床から始まり、清掃作業、そして8時からの下級生練習、午後にはレギュラー組の練習でバッティングピッチャーを務め、夜はグラウンド整備と、休む間もない毎日を過ごしました。
神宮球場では1年次からベンチ入りという貴重な機会をいただきましたが、私の役割は、非常時に備え、常にブルペンで投球練習を続けることでした。おそらく神宮のブルペンで最も多くの球を投げた選手の一人ではないかと自負しています。
振り返りますと、あの4年間は人生の縮図のように感じられます。努力、友情、挫折、すべてが私の許容量を超えるものでしたが、その経験が後の人生を支える大きな糧となっています。
厳しい道のりでしたが、今では感謝の気持ちでいっぱいです。現代では許容されないような厳しい環境でしたが、あの時期に培った忍耐力と、共に戦った仲間との絆は、私の人生の宝物となっています。
現役の選手の皆様にお伝えしたいことがあります。当時の私は、毎日の厳しい練習をこなすことに精一杯で、自分が恵まれた環境で野球ができているということすら、十分に実感できないまま4年間が過ぎてしまいました。今になって思えば、もう少し余裕を持って、与えられた環境のありがたさを噛みしめながら野球に打ち込めていれば、という思いが残っています。
今、皆様に与えられている環境は、私たちの時代とは大きく異なり、より充実したものとなっています。この恵まれた環境に感謝の気持ちを持ち、野球に専念してください。後になって「あの時もっと頑張れば良かった」「あの時ももっと野球を楽しめていれば良かった」という後悔を残すことがないよう、今この瞬間を大切に、精一杯野球に打ち込んでいただきたいと心より願っています。