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JINGU ROKKEI

神宮六景

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TOKYOROCKS2025 春季号外 第2週 2025年9月17日掲載

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マネジャーで得た「学び」

小生が大学4年間在籍した平成初期と、現在の令和時代では、マネジャー事情も大きく変わった。聞くところによると、大学入試が終わると、合宿所には多くの問い合わせがあり、エントリーシートを経て、監督と面接を行い、厳正に選考し、入部が認められる。男子部員は定員2人対して5人ほど、女子部員は定員3人に対して15人ほどの応募があるという。信じられないほどの人気ぶりだ。

当時は人材不足だった。現実問題、だれもマネジャーはやりたがらなかった。入学後、選手としての技量が厳しい部員に対し、マネジャーを打診するケースはあったが、受け入れるのは稀である。スポーツ推薦組、選手上がりのマネジャーへの転身は難しい。高校時代はスター選手として騒がれてきたわけで、裏方業務への拒否反応は、より大きくなる。

付属高校出身の小生は野球部マネジャーだった3年夏を前に、監督を通じ、大学野球部マネジャーの打診を受けた。付属校から前もって、人員を確保する意図があったようだ。

付属中学時代から東京六大学、神宮球場の雰囲気が好きであり、応援団への入団も考えていた。だが、より身近で「真剣勝負」に関われると、法大野球部への入部を決めた。

入学当時のマネジャーは4年生1人と3年生1人。つまり下級生は1人だ。入学式よりもだいぶ前の1993年2月10日に合宿所に入寮した。スポーツ推薦組、付属校と同じタイミングだった(3月に若干名の一般入試組が入部する)。私物もほとんど持たずに入寮すると、想像以上の雑用の山が待っていた。理不尽なことも、すべてがプラスになると受け入れた。

2年生になっても、新たなマネジャーは入部してこなかった。山積みの雑用は継続。一方、サブマネジャーとして、一部ではあるが、仕事を任されるようになった。この1年間は2人体制。今の野球部では、あり得ない人員である。この年、山中正竹監督が就任した。バルセロナ五輪で銅メダルへ導いた指導者は、企業人としての経験も豊富であり、チームビルディングの基礎を勉強する機会に恵まれた。目配り、気配り、心配り。山中監督との出会いが、人としての生き方、人生観を大きく変えるターニングポイントとなった。マネジャーで得た「学び」が、今も支えとなっている。

3年生になると、1年生マネジャーが入部。チーフマネジャー(主務)の役割と、下級生の教育という2つのテーマが与えられた。他の5校は4年生主務である。同年は東京六大学野球連盟結成70周年と、各種記念行事が重なった。5大学の先輩マネジャーの優しいご指導により、何とか1年間を全うすることができた。野球部でも、4年生の気遣い、協力があり、何とかチームを動かすことができた。

4年時は2年目の主務。前年の反省を生かそうと、マネジャー業務にまい進した。新たな1年生が入部し、下級生2人を指導。卒業後の次年度は6年に1度の当番校が控えており、より緊張感を持って接したつもりだ。

一人では何もできない。指導者、OB会、先輩、同級生、後輩への「感謝」を形に残そうと、マネジャーマニュアルを作成した。下級生時代に行き当たりばったりの業務が続き、バタバタした苦い経験から「トリセツ」が必要と考えた。もちろん完成形ではない。後輩にはさらなる「ブラッシュアップ」を託して卒業した。

今年1月。「平成8年卒 東京六大学野球部・応援団 合同同窓会」が行われた。卒業から30年。小生は1学年下の3年生主務ではあったが、諸先輩の配慮により、幹事の一人として運営に携わった。各校の野球部、応援団(部)から卒業生80人が出席。2つの組織は、リーグ戦運営における「一心同体」である。約30年ぶりの再会で、旧交を温めた。

来年1月には「平成9年卒 東京六大学野球部・応援団 合同同窓会」が開催予定で、準備を進めている。大学の野球部の枠を超えた「仲間意識」が、東京六大学の良さ。卒業後もこれらの「絆」により、何度も助けられる場面があった。OB会の役割は、親睦と現役学生への支援である。微力ではあるが、人として育ててもらった東京六大学のために、さまざまな形で尽くしていきたいと考えている。

2010年から続く、TOKYOROCKS号外 名物コーナーのひとつ。
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